生きてるって素晴らしい 〜part6〜
その頃、兄に頼み友人達に、手紙を欲しいと伝えてもらった。入院して私と連絡が取れず何かを察知した友人が、皆と連絡を取りグループをたちあげてサポートしてくれてた。
スマホを震える手でダメにした私は手紙というアナログに頼るしかなかった。
沢山の手紙が送られてきた。涙無しでは読む事が出来なかった。何度も読み返し、手の届くところにしまい宝もののようにした。
あーなんという幸せな事なんだろう。より一層リハビリにも力が入り、厳しくなり怖さを伴う練習にも耐えた。震える左手もコントロールがきくようになり、50音表もスムーズにさせるようになり、限られた面会時間も有効に使えるようになってきた。
お箸も左手で使えるようになり、左ききになれた。
文字の練習もはじめ心の支えは手紙だった。 それと大切にしてきた畑や田んぼを守ってくれてる仲間の存在だった。写真を部屋に飾り何度もうれしくて眺めた。
まだ看護師さんの見守りが無いと動けなかったが、だんだんと良くなっていくのがわかった。ほんの少し余裕が生まれた。
体は変わっても魂は変わらない。幸い記憶もあるし。これから障害を持って生きてく自覚も生まれた。落ちる変わりに、体は魂の入れ物なんだとやっと自覚出来た。そう、私はワタシ。何も変わらない。やっと色々感じられるようになった。
今まで体験した事、他の人が体験した事。行きたいと思えば行けるし、感じる事が出来る気がした。時間はあって無いようなもの。そしていつも宇宙の愛を感じられる。大地の愛かある。植物の愛がある。
けど、体も大切。体は神様から預かった大切なもの何だろうな。だから、大事にしなきゃならない。また歩きたい。歩けるようになりたいと思うのは当然な欲望。ただある事の素晴らしさを感じた。なにものかになろうとするのではなく。自分という個性でいることがいい。
その頃からお見舞いに頂いた芳香蒸留水や、アロマのピンに手が届くようになり、まだ開けられないし、スプレーすることも出来ないけど持ってるだけで幸せだった。でも嗅げるようになりたくて新たな目標が産まれる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?