祈りの力を感じる 〜part3〜
今回は臨死体験はしてません。忘備録として書き留めたいのと、誰かの心に少しでも響くものがあったら嬉しいです。
みんなの祈りとパートナーHさんの師匠が山に登りお祈りをしてくれてると知ったその時から私の中で何かが変わり、絶対に良くなるという、信念がおこり、不思議な事に、夜になると、怖くて眠れず、朝をひたすら待っていた日々から、少し解放され、眠れるようになり、夜になると不思議なパワーが湧いてくる。思ったのは、時間は幻想であり、いつでも受け取れる、という感覚と、受ける方の準備を整えることも大事だなぁと思った。
けど、まだ意識も曖昧だし、病状の説明を聞いても良くわからない。ただ今日を過ごすだけでした。
Hさんや母がなんとかスケジュールをやりくりして、遠くまで来てくれるのは、有難いなぁと思いながらも、何も出来ないし、何も言えない。目を見つめたくても目が回る。体勢によっては顔を向けることも出来ない。
少しずつ言葉が出せるようになってきたが、医療従事者以外には聞き取れないほど。
看護師さん達は理解してくれて感心しちゃう。
少し左手の力がつき、ナースコールが頑張れば押せる頃、地元の病院への転院が決まったようだ。
最後の週は毎日、友人や先生達が来てくれて、それだけが楽しみだったし、生きる希望だった。みんなの支えが本当に支えだったし、それだけだった。
転院の前の日、昼間、尿の管が抜けたらしい。わからないと思って何も告げられなかった私は夜になり、酷い腹痛に襲われる。のたうち回る私を見て、向かいのおばあちゃんが声をかけてくれる。冷や汗も出るし。なんとかナースコールを押すが話せない。もうダメかと思また頃、なんとか通じ、夜勤の看護師さんが来てくれて処置してくれた。
結局しばらく排尿の度に叫ぶと言うオムツに慣れない日々が続く。
看護師さん達は不安げに、何かあったらどうするの。という感じだが、転院の日を迎え、介護タクシーで遥々茅ヶ崎から群馬県まで。
あー途中でコーヒーとか飲みたいだろうなぁと思いながらなんとか到着。震える左手でお見舞いに貰った50音表で頭をあげてもらう。そうしないと息が苦しくなる。
まだ胃への管は取れず食べらない。