第十六回「生活は死ぬまで続く長い実話」
宮古市重茂。俺が出生から高校卒業までの十八年間を過ごした場所である。ここにあるのは海と山と川。以上。中学の頃に何か新しい遊び道具はないかと買ったエレキギターを持ち込んで、15wの小さなアンプで俺が初めて音を鳴らした場所は、友達の家の海産物の加工場だった。(友達はドラムを買い、やたらとシンバルばかり集めていた。後のMr.Blitz(アジカンのコピバン)のドラムである)
市内にいくまでに当時は車で40-50分はかかった。大抵は一週間に一度、食料を仕入れるために家族は市内へ買い物に行く。俺はそれに付いて行くのが好きじゃなかったから、一人で山や川に行って遊んでいた。現在は道路が整備されて20-30分で市内に着いてしまうのだが。(あの重茂トンネルは革命的だ!)
俺は、こんな何もない重茂のことが昔から大好きだった。寧ろ、何もないことを誇りにさえ思っていた。
俺しか知らない秘密の場所から海を眺めるのが好きだった。秘密基地みたいな竹林の中を探検するのが好きだった。全然知らない山へ登って、見たこともない風景を見るのが好きだった。俺はこの場所で育ってきて不満だと思ったことは一度もない。
自分がやってるラジオで俺は、生まれた街のことをあれやこれや、散々に罵倒(というか不便だと思う事についての議論)したのだが、不便である、ということとその場所に愛着がない、ということはイコールにならない。住みやすい地域ではないし、一人の人間が生きていくには相当な覚悟が必要な場所だけど、やっぱり重茂はすきだ。(俺個人としては不便だろうがなんだろうがそれはどうでも良くて、ふとした瞬間に一人になれる場所がないといけない。この場所にはそれがある)(だから不完全な話題の尽きない俺たちのことは、多大なる愛情を持って見守ってほしい!)
少し前の話だが、俺は自分の生まれた街について文章を書く機会があった。
「あなたの生まれた街はどんなところですか?」
彼女はそんな風に聞いたので、俺は
「海がきらきらと光っているところです」
と書いた。
生まれた街、好きだった風景、実家の床の間、お盆に訪れる墓地。そんなことを思い返していたら、この曲が出来た。ずっと前からある曲のように聴こえるかもしれないけど、この曲ができたのは本当に最近。俺の場合、身近に起こったタイムリーな出来事はそのまんま曲にしてしまうから、曲が出来る時は本当にすぐ出来る。(しかも作ろうとして作ってる訳で無く、ごくごく自然に。出来るのは大抵は休みの日の朝。午前中に8割くらい歌詞ができて、少し時間をおいて夕方にもう一度曲を弾き語りすると残りのピースが埋まってる)
あと、Vote for Pedro(ハヤテのバンド)の「海が見える街」や僕のレテパシーズの「空知」を初めて聴いた時に、こんな風に自分の生まれた街を歌えたら…と悔しくなって、俺にしか歌えない歌ができたらな、とずっと思っていた。(最近ずっと好きで聴いてる僕のレテパシーズ。古宮さんはやばい。本当に素敵)
さぁ、ここまで読んだ物好きな諸君。歌を聴いてみたくなったでしょう。なんとYouTubeに動画を上げているので、すぐに聴くことが出来ます。しかも歌詞入り。これは初めて東京に行ったライブで披露した、その時の映像。
(ツアーなんてWaikatoにとって初めての試みだったが、初めての場所でライブをするときの方がいつもの俺たちらしい気がした。ホームの箱だと変に斜に構えてしまって、今日は(というか毎回)一味違うぜっていうのを見せつけたくなってしまうから。今回はそれが無かった)
他の誰かには無い、自分だけが見ている狭い狭い世界をそのまま歌えたらいい。今はエッセイを書くみたいに曲を書いていたい。毎日の生活のなかで、ちょっと額縁に入れておきたい風景や想いや希望なんかを、美しく歌えたらいいな。これはくどうれいんさんの言葉。
P.S.
表題についても、くどうれいんさんの「うたうおばけ」という著書のあとがきで書かれていた一文だ。きっと俺は君の好きを知りたくて、ずっと君のあとを追いかけてしまう。作品自体を盲目的に捉えてるつもりはなく、良いものは良くて悪いものは悪いと俺のなかできちんと言葉にしていきたい。これは良いものだった。
P.S.
というか、そもそもそこに気づかない、気づけないから「盲目的な恋だ」なんて言われるんだな。でもさ、盲目的になれないのなら、恋なんてしなくてもいいのよ。