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11月21日から25日

11/21
晴れ。
ばあちゃんの訃報。深夜1:37。布団に入って1時間くらい。やたら眠かったので、「もう手遅れなら今焦って動かず明日の朝にゆっくり向かってもいいのでは?」と二度寝しようとするが、それを知ったらばあちゃんが悲しむだろうなと思い15分くらいで起床。宮古へ行く。

向かう途中、なんでこんな仕事もバンドも何もかも忙しい時に!と正直イライラしていたが、ばあちゃんの顔をみたらそんな気持ちはどこかへ行ってしまった。じいちゃんの時とは違い、口がムッと閉じていた。涙は出なかった。

仕事先、友達等々に連絡をした時、友達が「最後の時間をゆっくり過ごしてね」と返信をくれた(こういうとき最適解の言葉を送れる人を本当に尊敬する)。少しでもばあちゃんとの時間を長く過ごそうと思い、基本はばあちゃんのいる大広間に居ることにする。そこでくどうれいんの「日記の練習」を読み、日記を書き留めることに。
湯船に浸かってたら、何故か元恋人と二人で入った時のことを思い出した。

11/22
晴れ。
車の運転中ずっと流してたサニーデイ・サービスのサニーデイ・サービスというアルバムが初めて心に沁みた。これは歌詞を聴くものではなくビートを聴くものだなと思った。救われる音楽というのは、歌詞に心を打たれなくても別にいいんだなと思えた。

11/23
曇りのち晴れ。
朝、ばあちゃんへの手紙を書いた。気合、気合、気合〜!って俺が頑張らなきゃない時にいつもそうやって送り出してくれた。だから俺もそうやって送り出したいと思った。外の喫煙所でボロボロ泣いた。

お昼ご飯、毎食スーパーで買ってくる弁当が嫌で駄々を捏ねた。いや正確にはそこまで嫌じゃないけど、最近母さんが料理をあまり作ってないことが気がかりだった。
自分でナポリタンでも作ってやろうかと思ったが、母さんが鍋焼きうどんをカゴに入れたのでそれで妥協。うーん、落ち着いたら簡単でもいいから何か作ってほしいなぁ。


あなたが好きなものを大切に思うのは、あなたのことが大好きだからだよ。


夕ご飯の後の家族との会話。通夜とか葬式とか、お盆とか正月とか、平日とか休日とか、きっとこういうのでいいんだなって思う。

11/24
晴れ。
泣くように笑う人、笑うように泣く人

11/25
晴れ。
昨日の夜に実家に帰る。みんな疲れていた。一段落して一旦盛岡へ戻る。
夜はバンド練習。前回の全体練習に行けず、色々と組んでた予定も飛ばし、泣けるだけ泣いた後だったから落ち込んでたけど、唄を歌ってギターを弾いたら少し元気になった。音楽ってすごい。けどメンバーのみんなも何だか疲れてた。

練習の間くらいは元気になれる。メンバーの皆もいずれそうなれたらいい。憂鬱を音楽で掻き消すような、不安がどっかいっちゃうような。その域にいくまでにはまだまだ時間が必要かな。


P.S.
写真は宮古のラサ煙突。盛岡から宮古の市街地に入る時、真っ先に目に飛び込んでくる。
宮古弁かるたには「ラサの煙突が見えだぁ。みやごだぁ。」という読み札があったはず。

最後の瞬間を見送る時はいつもこの煙突の下。じいちゃんの時もそうだった。

葬儀は全部司会進行がいて、儀式的なものがあって、ご都合的に簡略化、省略化して、泣ける場面があったり、祈りを捧げる場面があったり。
何だかシナリオ付きのゴッコ遊びみたいだと思う。悪いとは思わないけど。

もし自分の番の時は、儀式は何にもしなくていいから、ただ心の底からの祈りがあればいいと思った。

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