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コットンウェイ硬式野球倶楽部・鍛治浦大貴内野手インタビュー(前)
栃木県真岡市や益子町をはじめとした芳賀地域の野球振興に関わり、2022年に全日本クラブ野球選手権出場を果たしたコットンウェイ硬式野球倶楽部。
チームの主催するJABA大会である「SLの走る街 「コットンカップ」大会」(注1)のポスターやパンフレットには、「みんなで築く 手づくりのまち 益子」と記されています。
昨年からコットンウェイの主将を務める鍛治浦大貴内野手は、まさにその「手づくり」に関係する、益子焼の窯元の家で、陶芸のお仕事をされています。
野球選手としては、クラブ選手権本選出場にセカンドとして攻守両面で貢献し、投手としての緊急登板もいとわない、多彩さを持っています。
今回のインタビューでは、そんな鍛治浦さんに、野球人生のこれまでとこれから、コットンウェイ硬式野球倶楽部について、そして益子町と益子焼について、ふんだんに語っていただきました。
本日はまず前編。ご本人の野球経歴とプレースタイル、主将として見た2024年のチームと今年のチームに期待することが語られます!
(注1)SLの走る街 「コットンカップ」大会…2009年に、コットンウェイ硬式野球俱楽部主催の自主大会として開始。2016年の第8回大会よりJABA公認大会となる。2024年まで主に益子町の益子町北公園野球場で開催されていたが、2025年からは新設される真岡ハイトラ運動公園市民球場で開催予定。
(文中における人名は敬称略のことがあります)
(本稿の取材にあたっては、ぶるっく(X(旧Twitter)ID:@buru_photo)さんに多大なるご協力をいただきました!ありがとうございます!)
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PROFILE
かじうらだいき◎1999年生まれ。茂木高~作新学院大。茂木高では3年夏に選手権栃木県予選ベスト4。作新学院大でも内野手としてプレー。コットンウェイ硬式野球俱楽部では入部1年目の2022年、セカンドのレギュラーとしてクラブ選手権初出場に貢献。24年より主将を務める。
高校で、自分たちで考えて野球をやる、練習をするという習慣が身についたように思います
――高校までの野球経歴を教えてください。
鍛治浦さん
保育園の頃から、野球ゲームなどで野球に触れていました。当時から、兄2人が野球をやっていましたので、凄く影響をうけていました。益子小学校では、学童野球を1年生から始めました。後にコットンウェイ硬式野球倶楽部にも所属していた兄(鍛治浦雅俊、注2)の影響がありましたね。兄についていって入った感じで。最初は部活にいっても遊んでいる感じでしたが。本格的に大会に出だしたのは小学2年生からですね。4年生か5年生の頃に、生徒減少の影響で、野球部は隣の益子西小学校に移動になりました。6年生の時は、ほぼ出た大会では全部優勝して、関東大会や全国大会に出させていただきました。ある大会では、北海道日本ハムの二軍球場である鎌ヶ谷スタジアムなどで試合があったのですが、現在東京ヤクルトにいる木澤(尚文、注3)くんと対戦しましたね。木澤くんとの対戦ではタイムリーを打ちましたが、直後の打席でお尻にデッドボールを当てられた記憶があります。球の速さが尋常じゃなくて凄く痛かったですね。
益子西小チームのチームメイトには、現在北海道ガスにいる海老原(丞、注4)がいましたね。海老原がピッチャーで、私がキャッチャー。バッテリーを組んでいました。当時からコントロールがよくて球が速く、また、気持ちの強さがありましたね。北海道ガスが都市対抗に行ったときは東京ドームに応援も行きましたね。
中学校時代は、益子中学校の軟式野球部でした。やや苦い思い出が多かったですね。益子西小のメンバーがほぼ全員入って、期待されていましたが、なかなか勝てなかった。3年生の時の最後の大会だけ関東大会に行けましたが。
今は自分も身長が高いですが、中学校の時は身長が前から2番目でした。身体は小さいし足が遅い、球も飛ばない。身体が追い付かなかったですね。他のチームに比べて身体の強さで遅れをとっていたなと…。なかなか飛ばせなかったので、その分ミート力を磨いていた覚えがあります。長打は狙わず、とにかく率を狙っていました。
3年生の終わりには、現在のコットンウェイ硬式野球練習会――当時は芳賀硬式野球練習会と言っていましたが――に参加しました。高校で硬式野球をやる前段階で、硬式ボールに慣れることができました。半年間ほど週末の1日の練習をやりましたが、あの経験は大きかったですね。他のチームの人とも関わりが持てましたね。
高校は、県立の茂木高校に入りました。1年生の頃、当時の3年生が強い代でしたね。春、夏とベスト8で、それを近くで見ていました。1年の秋から試合に出ていました。高校からは身体も大きくなり、球も飛ぶようになり、野球が楽しくなりましたね。2番・セカンドでした。
(注2)鍛治浦雅俊…益子芳星高。元コットンウェイ硬式野球俱楽部内野手。
(注3)木澤尚文…慶應義塾高~慶大。現東京ヤクルトスワローズ投手。
(注4)海老原丞…文星芸大付高~仙台大。現北海道ガス投手。
――小学生からのポジションの遍歴を、もう少し詳しく教えていただけますか。
鍛治浦さん
小学校はキャッチャーとサード、中学校ではセカンドとショート、高校ではほぼセカンド一本でした。
――コットンウェイ硬式野球倶楽部のホームページを見ると、鍛治浦さんのサブポジションはピッチャーとありますが、ピッチャーはあまりしていなかったのですか。
鍛治浦さん
そうですね。ほとんどやっていなかったです。高校で少しだけ、「メンバーいないから投げて」っていうのがあったくらいで。人数が少ない高校だったので。
――高校野球について、もう少し詳しく教えていただけますか。
鍛治浦さん
3年生最後の夏には、県大会ベスト4に入りました。学校として初でしたね。2016年でした。優勝は作新学院で、今井(達也、注5)、入江(大生、注6)がいて、甲子園でも優勝した代でしたね。最後は国学院栃木に負けましたが、私立の打球の速さや1つ1つのプレーなどを見て、「このレベルにならないと甲子園には行けないんだな」と思いましたね。
当時は、茂木高はメンバー17人という少人数で、監督は野球未経験者の方でした。自分たちで考えて野球をやる、練習をするという習慣が身についたように思います。自分たちで戦略を話し合って、「こうしたいんだ」と監督に伝えたりしましたね。その他に、1つ1つの練習メニューについて、その意味をよく考えたりもしていました。心の持ちようも磨かれたかなと思います。自主練習で、全体練習の足りないところを補ったりもしていましたね。
(注5)今井達也…作新学院高。現埼玉西武ライオンズ投手。
(注6)入江大生…作新学院高~明大。現横浜DeNAベイスターズ投手。
――大学時代について教えてください。
鍛治浦さん
関甲新学生野球連盟一部リーグの作新学院大に進学しました。3年秋まで硬式野球部に在籍し、就職のための勉強もあったのでその後は引退しました。
作新学院大を選んだ理由は、まずは高校の野球部の先輩が作新学院大にいらっしゃったことがあります。他には、首都圏の有名大のセレクションの話もあったのですが、「野球は楽しくやりたい」という気持ちがあり、地元の大学を選びました。高校選びもそうでしたが、私は、強豪よりかは、地元の進学先でやりたいなと思っていました。
ポジションはセカンドとショート、サードでした。リーグ戦に帯同したのは2年生の春季リーグからでしたね。当時の作新学院大では、私が1年生の時の4年生に倉澤(弘毅、注7)さんがいましたね。同じポジションで本当に上手い方でした。当時のチームとしての目標は、「上武大と白鷗大に勝つ」ことでしたね。
立ち位置としてはサブの内野手で、たまにDHでも出ていました。関甲新は本当にレベルが高くて、間近で凄い選手たちを観られたのは凄くいい経験でしたね。
同級生には入江(空、注8)がいて、今でも彼とは仲が良いのですが、あれだけ凄いピッチャーを間近で観られたのもよかったですね。紅白戦でも対戦しましたが、対戦成績は良かったです。入江からは「一番打たれたのは鍛治浦だ」と言われました(笑)。今でもそうですが、左の速いピッチャーと対戦すると燃えますね。
キャプテンだった水口(皇紀、注9)とか、当時の大学野球部のメンバーとは今でも関係が続いています。大学でも、楽しく野球ができたなと思っています。
(注7)倉澤弘毅…今市工高~作新学院大。元全足利クラブ内野手。
(注8)入江空…宇都宮工高~作新学院大~茨城日産。元栃木ゴールデンブレーブス投手。
(注9)水口皇紀…作新学院高~作新学院大~茨城日産。現作新学院大コーチ。
調子がいいときは、ボール球でもヒットにできる感覚があります
――大学までの野球経験で、現在に生きていることはありますか。
鍛治浦さん
高校時代の「考えてやる野球」以外だと、中学時代のことが挙げられますね。身体が小さくても、力がないなりに芯で捉える練習やヒットゾーンに飛ばす練習をする。バットコントロールを磨く練習をする。現在、身体が大きくなって力がついても、根本は変わらないですね。やってきたことは無駄じゃなかったなと。
――バットコントロールがいいとのことですが、もう少し詳しく教えていただけますか。
鍛治浦さん
調子がいいときは、ボール球でもヒットにできる感覚があります。多少のボール球は振ってしまう方ですね。簡単にボール球に手を出してしまうので、調子が悪いとみられることもありますが(笑)。
――ホームランはどのくらい打ったことがありますか。
鍛治浦さん
同世代と比べて身体が大きかった学童野球ではたくさん打っていましたが、その後は社会人野球まで打てなかったと思いますね。
――大学卒業後は、すぐコットンウェイ硬式野球俱楽部に入部したのですか。
鍛治浦さん
最初は、「もう野球は大丈夫かな、草野球くらいでいいかな」という気持ちもありました。卒業後は1年間、野球はせず、ブランクがあったんですよね。ただ、当時は会社に就職していましたが、働きながら「やりがいがないと面白くないな」と思っていました。それと、コットンウェイの秋山(信治、注10)さんの熱烈なオファーもあり(笑)、卒業して1年経ってからコットンウェイに入部しました。入部した年(2022年)に、クラブ選手権のチーム初出場を経験しました。
先ほど、ホームランの話をしましたが、野球をしなかった1年間にウェイトトレーニングにハマったんですよね。今でも毎週3、4回は行ってますね。それで体重も増えて、飛ばす楽しさを覚えましたね。昨年も、練習試合で3本くらいホームランを打ちました。長打力は重視していきたいです。
(注10)秋山信治…真岡工高。現コットンウェイ硬式野球俱楽部GM。
キャプテンとして、「風通しのいいチーム」を心掛けています
――今年は主将に就任して2年目となります。昨年のチームは、主将の立場からみてどうでしたか。
鍛治浦さん
なかなか結果が出ない年でしたね。勝てない日々が続いて。
主将として初めての年でした。クラブ野球の主将は難しい立場だなあ、と痛感しました。
なかなか全体練習でも全員は集まれないし、試合も土日のみで、生じた課題をどう解決するかが難しい。学生野球とは違うなあと、主将になって感じました。
主将をやっていなかった1年目、2年目の時期は、結構年齢が上の選手が多かったんですよね。ベテランが多かった。ノビノビとやらせてもらえて、悪い言い方をすれば、自分のことだけ考えていればよかった。
主将として、自分のことだけじゃなくて、周りのことを考えて動くのは難しいなあ、と思いましたね。チームをどう動かせば、どういう方向に向かっていくのか、それを理解するのは簡単ではないですね。
――今まで、主将の経験はあったのですか。
鍛治浦さん
高校では副キャプテンでした。ただ、逆にいうとそれだけですね。表立って何かをするのが、性格上あまり得意ではなくて…。先頭に立つよりかは、後ろから支える方が自分の性格には合っているなあと…。
――どういった経緯で主将に就任したのですか。
鍛治浦さん
秋山さんからのお話でした。「大貴しかいないよなあ」と。私としても、それは多少自覚していました。最近のチームですと、平均年齢が下がってきて、私より年齢が上の選手があまりいないんですよね。今のチームだと、直井(大輔、注11)さんが一番上で、次が吉沢(健太、注12)さん、その次が鈴木(秀明、注13)さん、野澤(友彦、注14)さんの2人が同級生。その次が私ですね。
下の子たちにどう接するかは、正直、まだ模索している最中ですね。年齢的なギャップもありますから。
(注11)直井大輔…宇都宮学園高~国士大。現コットンウェイ硬式野球俱楽部内野手。
(注12)吉沢健太…益子芳星高~流通経済大。現コットンウェイ硬式野球俱楽部内野手。
(注13)鈴木秀明…下館一高~福島大~JR水戸。現コットンウェイ硬式野球俱楽部内野手兼コーチ。
(注14)野澤友彦…霞ヶ浦高~関東学園大。現コットンウェイ硬式野球俱楽部投手。
――コットンウェイの場合、高校生も在籍していますからね。
鍛治浦さん
コミュニケーションにおいて、どういう話をするか。話題を探すのがなかなか難しいですね。
――いわゆる「ジェネレーションギャップ」などを感じることはありますか。
鍛治浦さん
私の経験などを話すときに「ここまで強く言っていいのかな」などと感じることはありますね。
――今のコットンウェイに、「今後こうなって欲しい」といってお考えはありますか。
鍛治浦さん
平均年齢が若いチームなので、若手主体でもっと意見を言ってくれるといいのですが、気持ちを表現してくれる選手が少ないように思いますね。ミーティングの時も私ばかりが話していることが多いように思います。私も若い頃は意見を言うのが得意ではなかったですが、「もっと若手主体で楽しくやってもいいのかな」とは思いますね。
私は、キャプテンとして、「風通しのいいチーム」を心掛けています。何かあったら、私でもいいし、副主将にも言っていいよ、と言っているのですが、そういったなかでもっと若い子たちからの意見が欲しいですね。
――昨年のチームで、鍛治浦さんから見てよかったことはありますか。
鍛治浦さん
チームの若返りですかね。秋山さんの広報活動やスカウトで、集まってくる選手たちも能力が高い選手が多いです。若返りしたことで、チームの雰囲気等が変わってきています。
今はチームとしての経験値が少ないと思いますが、それを伸びしろとしてプラスに考えています。今の若手は本当に能力が高いので。あとは経験とか、それを試合で発揮するだけだと思います。昨年は若返ったメンバーに、少しでも試合を経験させられたのはよかったかなと。
とにかく若いチームなので、勢いにのれば大きな力を発揮すると思います
――今の若手のメンバーで、特に楽しみな選手はいますか。
鍛治浦さん
ピッチャーの永岡(海音、注15)は高校の後輩でもあり、楽しみです。野手の長嶋(樹哉、注16)、横塚(匡司、注17)もレベルが高いですね。
能力の高い若手の選手たちと、どういう風な形で大会に臨めるか、これから楽しみですね。
(注15)永岡海音…茂木高。現コットンウェイ硬式野球俱楽部投手。
(注16)長嶋樹哉…青藍泰斗高。現コットンウェイ硬式野球俱楽部投手、内野手、外野手。
(注17)横塚匡司…宇都宮南高。現コットンウェイ硬式野球俱楽部外野手。
――最年長の直井さんはどのような存在ですか。
鍛治浦さん
私とは年齢が一回りくらい離れていますが、「チームの元気なお兄ちゃん」みたいな感じで、たまにはイジリながら、結構仲良くさせていただいています。直井さんの年齢になって、あれだけ野球を一生懸命しているのは凄いと思いますので、尊敬しています。
――新しく監督に就任された柳(隆、注18)監督はどのような方ですか。
鍛治浦さん
柳監督は野球が大好きな方ですね。試合で代打に出てきても本当に楽しそうにしています。監督が代わって新しい体制になりますが、オープン戦でしっかり私と柳監督で連携して、私が選手と監督のコミュニケーションの間に立てればと思っています。
(注18)柳隆…真岡農高。現コットンウェイ硬式野球俱楽部捕手兼監督。
――これからのチームに対する展望を教えてください。
鍛治浦さん
とにかく若いチームなので、勢いにのれば大きな力を発揮すると思います。それは若いチームにしかできないことだと思いますので。そのサポートを私やベテランができればな、と思っています。噛み合えば、全国に行けるチームだと思っていますので。今は楽しみの方が大きいです。去年は負けの方が多いので、失うものはない。クラブ選手権出場を目指して、チャレンジャーの気持ちを持ってやっていけると思います。
クラブ選手権の、全国の舞台を経験している選手がかなり少なくなっているんですよね。私と、國府田(智哉、注19)くらいになっています。全国の舞台を若手にも経験して欲しいですね。
(注19)國府田智哉…水戸啓明高。現コットンウェイ硬式野球俱楽部内野手。
…本日はここまで。
明日公開の後編では、2022年のクラブ選手権出場時のチームについて、そして鍛治浦さんのお仕事である窯業、益子焼や益子町への思いが語られます!こうご期待!