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川口ゴールデンドリームス・豊山裕憙主将インタビュー(後)
今年、創部15年目で全日本クラブ野球選手権本選出場を果たし、全国ベスト8という戦績を残した川口ゴールデンドリームス。
創立メンバーの1人であり、選手としても活躍するベテラン・豊山裕憙キャプテンに、チームのこれまでとこれから、豊山さんご自身の野球人生についてなど、様々なお話を伺いました。
全2回、後編の今回は、クラブ選手権出場決定後のことについて、豊山さん自身のこれからの野球人生、チームのこれからなどについてのお話です。
(文中における人名は敬称略のことがあります)
PROFILE
とよやまゆうき◎1988年生まれ。川口青陵高〜全三郷硬式野球部。2009年、川口ゴールデンドリームスを現在の鈴木俊輝監督、櫻井孝義コーチと共に創部し15年目。現在も右投両打の内野手として試合に出場し、キャプテンを務める。
(本稿の取材にあたり、ぶるっく(@buru_photo)さんに多大なご協力をいただきました。ありがとうございます!)
「ゴールデン」な「ドリーム」
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――クラブ選手権出場を決めて、代表盾をもらうときに号泣されていたのが印象的です。涙の理由はなんだったのでしょうか。
豊山さん
これまでの15年間、いろいろなことがありました。「全国に行くまではやめられない」と思っていましたので。だからこそ、櫻井や鈴木のいない数年間、20代後半のつらい時期も乗り越えることができました。言葉で表せられない感情がたくさんありました。人生最高の瞬間でした。
――最後のアウトを取ったときから泣いていたのですか。
豊山さん
今だから言いますが、9回2アウトから泣いていました(笑)。
私の娘と妻が、スタンドから試合を観ていましたが、2アウトで私が泣いているのを娘が見つけ、妻に「見て、パパが泣いてるよ」と言ったそうなんです。私の妻は気が強いので、「まだ2アウトなのに泣いてんじゃねえよ」と言ってましたが(笑)。
最後の打球は、ホームラン級の当たりをレフトに放たれました。打った瞬間はやばい、と思いましたが、だんだんと失速し、フェンスの手前でレフトの横山(貴彦、注19)が捕球しました。その時には、他の選手はマウンドに集まっていたのですが、私はファーストベースで倒れ込みました。膝から崩れ落ちて、出遅れてしまったんですね。なかなか動けなかった理由は、ずっと追いかけていた夢が叶ったから…ですかね。
他の選手の肩を借りつつ、歓喜の輪に遅れて入りました。
(注19)横山貴彦…1993年生。昌平高~淑徳大~BIG WINGS 印西。現川口ゴールデンドリームス外野手。
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――「ゴールデンドリームス」というチーム名にこめた思いは何ですか。「クラブ選手権出場」が「ゴールデン」な「ドリーム」なのかなと、今のお話を聞いて思ったりもしたのですが。
豊山さん
チーム名は私が決めたのですが、20代の若いクソガキが単純につけた名前というところもあって(笑)。「黄金の夢」ですね。普通にやってたら叶えられない夢を叶えたいと。
――クラブ選手権出場を決めた試合で、その他に印象に残っていることはありますか。
豊山さん
キャッチャーの小澤(勇介、注20)がいるのですが、彼は今年10年目です。都市対抗では10年表彰を受けました。鈴木や櫻井がいないときも、小澤と一緒にやってきました。お互いの苦しいときから知っている選手です。
私の涙が落ち着いたときに、小澤の方から、「続けてきてよかったっすね」と言われたときに、もう1回涙が出てきました。ただ泣いて、抱き合いました。
根上、山本、吉村、あと松原(岳、注21)が、野球をするために私が住んでいるところに引っ越してきたんですよね。それで、水曜日の平日練習も毎週参加して。この4人と行動を共にすることが多いです。特にそのメンバーたちと分かち合えることもありましたね。
(注20)小澤勇介…1993年生。藤代高~帝京大。現川口ゴールデンドリームス捕手。
(注21)松原岳…1997年生。立命館宇治高~立命大。現川口ゴールデンドリームス投手。
――今のチームのなかでは、「クラブ選手権出られてよかったよね」とか、そういった話が多いのでしょうか。
豊山さん
それが、チームのなかでは、そこに浸っているという空気はなく、「社会人野球日本選手権に出たいよね」という会話ばかりしています。
みんな、クラブ選手権に出たらバーンアウトして、一旦リセットされてしまうのかと思っていました。ただ、先ほども触れたように、下嶋が敗退した次の日から練習するなど、みんなやる気に満ちています。
今まで「全国大会」に行きたいって言っても、行ったことないので、実際どういう場所か、どういうレベルかわかりませんでした。今回出場して、レベル感を体感して、よりやるべきことが明確になったなと思っています。「こうやったら、ショウワコーポレーションに勝てるんじゃないの」とか、次に向けた話が多いです。凄くいいチームになったなと思いました。
――クラブ選手権で敗戦した、ショウワコーポレーション戦の話が出ましたが、「ここをこうすれば勝てた」というものはありますか。
豊山さん
守備の乱れから崩れて、敗戦しました。ショウワコーポレーションさんは、投内連携とか、細かい部分が本当に上手でした。そこが自チームに足りない部分だなと思いました。
あとは「人工芝への慣れ」(注22)でしょうか。クラブ選手権では、勝ち進んでいくごとに開催県で1番の球場で試合をする確率が高くなり、そういった球場は人工芝である可能性が高いです。もう少し人工芝のグラウンドでの練習を増やそうかと思っています。
(注22)クラブ選手権準々決勝が行われたエイジェックさくら球場(大平運動公園野球場)は、内外野共に人工芝の球場だった。普段川口ゴールデンドリームスなどの埼玉県のクラブチームが公式戦を行うアイル・スタジアム浦和(さいたま市営浦和球場)、岩槻川通公園野球場はいずれも内野がクレー舗装、外野は天然芝である。
――クラブ選手権全体で得た収穫と課題を教えてください。
豊山さん
収穫は、140キロくらいの球速帯へのバッティングでの対応はできたなと。また、投手力が持ち味なのですが、準々決勝のショウワコーポレーション戦で先発した及川(望、注23)も最速143キロくらいは出ていて、序盤は相手打線を抑えていましたので、通用しなくはないと思いました。
課題はやはり守備ですね。野球は守備から始まりますので。下嶋が言ってた肩の強さも大事だなと思いましたし。逆に言えば、きちんと守備を固めてやれば全然勝負できるのではないかと思いました。
(注23)及川望…2001年生。仙台南高~埼玉大。現川口ゴールデンドリームス投手。
生涯現役って感じになっちゃうかと思いますね
――豊山さんは現在36歳ですが、何歳まで野球をやりたいですか?
豊山さん
生涯現役って感じになっちゃうかと思いますね。今の感じだと。
クラブ選手権出場を決めたときも、自分が野球を引退するというイメージは沸きませんでした。
ただ、ショウワコーポレーション戦の試合の最中に、もちろん試合には集中していたのですが、頭の片隅に「引き際」というものが浮かびまして。そろそろ若い子たちに、という気持ちに一瞬なったんです。人生初めてのことでした。
ただ、その試合で最後のバッターになって、三振して。もう1回気持ちを再確認できました。やっぱりまだまだやめられないぞと。
しかし、この話とは相反する形にはなりますが、30歳を超えてから、年齢との葛藤がありました。35を超えてからは焦りました。身体が動くうちに、早くクラブ選手権に出ないと、と…クラブ選手権出場を決めたときに崩れ落ちたのはそれもありましたね。安心したというか…。
35を超えて、怪我の治りが遅くなっているんですよね。デッドボールが来た場合、20代の時は当たった翌週でも全然出られましたが、今では一週間痛みが残っていたり。
周りの同年代からはたくさん言われました。「クラブ選手権に出られて、ストーリーとしても、こんなにいい引き際はないんじゃないか」と。しかし、私のなかでは、「ベスト8では終われない」と思っています。
今までは「クラブ選手権出場」が目標でしたが、いざ出てみると、もっともっと次へ、欲が出ています。自分のなかにその気持ちがあったのはとてもいい気付きでした。自分でも嬉しかったですね。
――次の目標は「クラブ選手権優勝、日本選手権出場」かと思いますが、イメージはできますか。
豊山さん
ぼんやりとは想像できます。しかし、まだまだ全然ですね。
日曜に私たちは敗退し、月曜から普通に仕事をしていました。しかし、クラブ選手権の準決勝と決勝が開催される火曜日の朝に出社したのですが、ぼんやりとしてしまって。
根上に連絡して、「決勝を観に行こう」と言いました。午後有休を取り、足利まで決勝を観に行きました。目に焼き付けようと。
やはりマツゲン箕島硬式野球部さんなどを観ると、ピッチャーの枚数が違いますね。
クラブ選手権は、優勝するためには4連戦4連勝が必要です。となると、ピッチャーの枚数がまだ足りないなと。有難いことに、ウチのチームは埼玉県内ではピッチャーの枚数が多い方なのですが、目標が全国制覇となると、まだ足りないなと。
――もし日本選手権に出場できたとして、「ホームランを打ちたい」とか、「ブラスバンドで応援されたい」とか、何かチームのメンバーのなかで「やりたいこと」のイメージはありますか?
豊山さん
まだそこまで具体的なものは出てきてないですね。ただ、ウチのチームには立命大出身者が多く、特に渡邊は掛川西高~立命大。ヤマハのキャッチャーの大本(拓海、注24)選手と高校、大学が同じ。みんな、「大本と対戦したい」と言っているので、日本選手権に出たらヤマハと対戦したいですね。
(注24)大本拓海…1997年生。掛川西高~立命大。現ヤマハ捕手。
――同好会型のクラブチームは運営も難しいと思います。そのようなチームがクラブ選手権に出るためには、何が必要だと思いますか。
豊山さん
本当にベタな精神論になってしまいますが、やはり「諦めない心」だと思います。
私の娘にも、ずっと「諦めなければできるよ」と言っています。それを体現出来て、親としてもよかったなと思っています。
やはり、ブレない気持ちを持っている人が中心にいないと、軸ができませんので。「諦めない心」は必須だと思います。
野球は人間がやる「メンタルのスポーツ」だと思うので。今は数字や、技術的に見てやっていこうというのが流行っていますが、絶対精神面もあると思っています。よく、数字が大好きな根上にも言われます。私は数字で見ると、打率は決して高くはないのですが、「なんでチャンスで打てるんですか?」と。そう言われると、私としては「気持ちしかねえだろ」と。根上は「それだと僕の理屈が崩れてしまいます」と言いますが。
「野球を楽しむ」というコンセプトは変えたくない
――「川口ゴールデンドリームス」というチーム名は、「川口」という地域名が入っています。それに対する思いは何かありますか。
豊山さん
私は生まれも育ちも川口市です。川口に貢献したいという気持ちがあります。チーム創設の際にも、当時の川口市長に「川口」という名前を使わせていただくことをお願いし、許可をいただきました。生まれ育った地でもありますし、思い入れはすごくあります。
――川口という地域に対して、川口ゴールデンドリームスができることは何があるとお考えですか。
豊山さん
川口の地域活性化ですね。今までも少年野球教室や、埼玉ベースボールフェスタin川口(注25)にも2年前から参加させていただいています。
今回クラブ選手権でベスト8に入り、川口市長に表敬訪問したところ、市長から「川口の野球を盛り上げてください」というお言葉をいただきました。
例えば、川口市内の高校野球部や中学校、小学校の野球部との交流や、高校生にラプソードの使用を体験させてあげたいとか、そういうことを考えています。プロも使っている機器で、自分の数値を見てみようとか。中学生や小学生向けには、球速や、打球速度やスイングスピードを測ってみようとか。あまり小中学校の野球にはそういう観点はないと思うので。
野球人口が減ってきていますから、私みたいなおじさんになっても野球はできるんだよ、と知って欲しいですね。どうしても高校で辞めてしまう人が多いので、高校卒業してからも、草野球よりももう少し真剣な野球ができるよと教えたいですね。
高校野球と社会人野球は、私としてはもはや別競技に近いと思っているのですが、もっと奥深い野球が高校卒業後にあるんだよ、と教えていきたいです。
そもそも「クラブチーム」という存在が知られていないので、野球が続けられる環境があるんだよ、ということをもっとみんなに知らせたいですね。
(注25)埼玉ベースボールフェスタ in 川口…2024年で第6回を数える、野球教室や野球体験のイベント。
――豊山さんが感じる「クラブチームのいいところ」は何ですか。
豊山さん
いつになっても楽しめる、人生を豊かにできる場所だと考えています。
メンバーのみんなは、野球のために仕事をやっています(笑)。そういう場所、そういうコミュニティがあるのは非常に大事だと思いますし、そういう場所があることはもっと皆さんに知って欲しいですね。
――川口ゴールデンドリームスを、これからどんなチームにしていきたいですか。
豊山さん
「野球を楽しむ」、というコンセプトは絶対に変えたくないと思います。楽しくなくなってしまうともともとの目的が変わってきてしまうので。「野球を楽しむ」というスタンスは変えずに、全国に通用する戦力が整うようにこれからもやっていきたいですね。
チームを構成するためには新入団選手を受け入れる必要があるのですが、これまでずっと「来るもの拒まず」の姿勢でやってきました。これからもそのスタンスは変えずにやっていきたいと思っています。例えば、トライアウトをやったりするのは、ウチのチームの場合は違うのかなと思います。
――川口ゴールデンドリームスは、野球経験がない方も受け入れているのですか。
豊山さん
受け入れています。
例えば、高橋倫太郎(注26)さんという、51歳の方がいらっしゃるのですが、野球未経験の状態から49歳の時に野球をやりたい、と言って、チームに入ってきました。
しかし、我々としても学ぶことが凄くあります。若い選手たちがいても、率先して裏方の仕事をしてくださいますし、野球の技術面でも着実にレベルアップしています。最初の頃はオープン戦に代打で出てきても三球三振でしたが、先日のオープン戦では代打で出てきて簡単に三振せず、粘って8球ほど投げさせていました。この年齢になってまた熱くなれるのは素晴らしいなと思いますし、そういう方を見ると、私もやめられないなと思います。こういう出会いがあるので、そういう方の受け入れ口を途絶えさせたくはないなと思っています。チームとしては来るもの拒まずで、その上でより高いレベルを目指そうよ、と考えています。
(注26)高橋倫太郎…1973年生。向丘高~立命大。現川口ゴールデンドリームス外野手。
――川口ゴールデンドリームスは、普段どのように練習をされているのですか。
豊山さん
チームの活動としては、大会以外の時は、週末に土日のどちらかだけです。
今回のクラブ選手権出場チームのなかで、おそらく一番全体練習の時間は少ないのではないかと思います。
私たちのコンセプトとして、「人生を豊かにする」というものがありますので、それぞれ家庭があったり、仕事があったりするなかで、土日のどちらか野球やって、空いた方は家族との時間などに充てるということです。
これまで、土日活動にした時期もあったのですが、人数がばらけて皆が集まらないことが多かったです。週に1回にすることで、みんなそこで集中してちゃんと集まるようになりました。
あとは、水曜日の夜間練習は毎週やってますね。2年前は3~4人しか集まりませんでしたが、今は15~6人集まっています。
今は、個人で自主練習がしっかりできる選手が集まっています。下嶋みたいに野球塾に通っている選手もいますし、根上や山下のように練習風景をSNSにアップしている選手もいます。個人練習をしっかりした上で、週末1回全体練習をやるというやり方が、今のメンバーにはハマっています。
私も娘がいますので、野球がない日は家族との時間を過ごしています。家族との時間がないと野球は続けられないと思いますので。そのあたりのバランスはとりやすいチームかと思います。
――グラウンドをとったり、試合を組んだり、SNSを管理したりと言ったチーム運営は、豊山さんがやっているのですか。
豊山さん
グラウンドをとるのも、試合を組むのも、SNSを管理するのも基本的には私がやっています(笑)。
ただ、ここ最近では、練習メニューは根上が組んでくれますし、顔の広いメンバーが試合を組んだりもしてくれて、助けてくれる人が増えました。山本も手伝ってくれるのですが、「こんなことを一人でやってたんですか!」と驚かれました。
1~2年前はなかなかグラウンドが取れず焦り、週の半ばになっても週末何をするのか決まっていないこともありましたね。仕事しながらグラウンドを探し回ってました。
大変な思いをしてオープン戦を組んでも出席率が悪いことがあったりもしました。
その時は「ああもうわかってくれよ~」と思っていましたが、最近はそのあたりの気持ちをわかってくれる選手が増えましたね。
――オープン戦はどのような方針で試合をされますか。
豊山さん
基本的には、オープン戦には選手全員を出場させます。ただし、大会が近い場合は、それができない場合もありますが、できない場合は出場しない選手にあらかじめフォローを行います。それでふてくされる選手はいません。
掲げているのは「全員野球」です。誰がいつ出ても同等の実力を出せることが大事だと思っています。
――豊山さん自身の、平日における、個人練習を含めたタイムスケジュールを教えていただけますか。
豊山さん
18時には帰宅し、その後は20時半まで家族との時間を過ごしています。
20時半以降に食事などの片付けを行います。21時半から22時に片付けが終わり、そこから素振りは毎日行います。
ジムに通う時間がないため、自宅にトレーニングルームを作ってそこでトレーニングをしています。
あとは、深夜に打てるバッティングセンターに車で行ったりもしています。大会前だと、そのバッティングセンターに行く頻度が増えます。当たるであろうチームの投手を想定したりしながら。
これは選手にも言っているのですが、平日いかに個人練習をして、週末の全体練習で発表会をするような気持ちです。それがクラブチームの選手のやるべきことだと考えています。
――豊山さんが、そこまでやれる理由は何なのでしょうか。
豊山さん
「野球が好き」という気持ちだと思います。
小学2年の時に、父親に連れられて東京ドームに行きました。その試合で巨人の松井秀喜外野手が横浜の佐々木主浩投手からホームランを打って。それで、私は感動して取りつかれてしまって。胸が熱くなってしまい、野球を始めました。
それ以降、ずっと野球に取りつかれています。好きだから続けられる。野球は最高のスポーツだなと思っています。
――豊山さん個人として、今後どんな野球人生にしたいですか。
豊山さん
現状、選手をやめるイメージが湧かないです。身体が動く限りは食らいついていきたいと考えています。
ゆくゆくは監督をやりたいですが、その時は兼任監督かなと思っています。いつまでも、若い子には負けたくないなと思っています。
野球をやることを通じて、「野球という、人生を豊かにするツールがあるよ」ということを伝えていけたらなと思っています。
――最後に、豊山さんから伝えたいことなどはありますか。
豊山さん
今年のチームの躍進の要因の1つとして、マネージャーの存在があります。
チームに所属する選手は、「野球がやりたい」という思いで入ってきます。そしてお金を払って野球をやって「上を目指したい」という気持ちがあります。
一方で、マネージャーは、「ボランティア」とも言えると思います。自分がプレーをするわけではない。そのなかで、色んなことをやってチームに尽くしてくれています。
例えば、試合前の準備や、試合中の写真や、動画の撮影などです。
特に動画は本当に大事です。我々が練習する際も、ラプソードなどの数値と結果を照らし合わせる上では動画は絶対重要なので、そのあたりのサポートは本当に大きかったです。マネージャーたちは、毎試合撮影してくれていました。
夏の暑いときの試合では、熱中症対策で氷を用意してくれていたり。道具の片付けから何からいろいろと手伝ってくれて。今年はマネージャーが3人加入してくれて、本当に雰囲気がよくなりました。
いろんな戦力補強がありましたが、私は選手の補強以上にこのマネージャー3人の補強が一番大きかったと思っています。本人たちにもこのことは伝えたのですが、「いいですよ、そんなに気を遣わなくて」と言われました。しかし、「心から本気で思っているよ」と伝えました。このことは、何度伝えてもいいと思っています。
(了)
インタビューの内容は以上です。
終始明るくご対応くださり、そのまま文字起こししても記事になりそうな、わかりやすいお話が印象的でした。
川口ゴールデンドリームスが今後どんな戦いを見せてくれるか。
豊山さんを初めとしたチームのみなさんが、今後どんな野球人生を歩んで行くのか。
一人の観戦者として、これからも追い続けたいと思います。
お読みいただき、ありがとうございました!!
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