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川口ゴールデンドリームス・豊山裕憙主将インタビュー(前)
今年、創部15年目で全日本クラブ野球選手権本選出場を果たし、全国ベスト8という戦績を残した川口ゴールデンドリームス。
創立メンバーの1人であり、選手としても活躍するベテラン・豊山裕憙キャプテンに、チームのこれまでとこれから、豊山さんご自身の野球人生についてなど、様々なお話を伺いました。
今日から2回に分けて、伺ったお話を公開していきます。今日は第1回目、前編です。川口ゴールデンドリームスの歴史、今年のクラブ選手権予選突破までについてのお話です。
(文中における人名は敬称略のことがあります)
PROFILE
とよやまゆうき◎1988年生まれ。川口青陵高〜全三郷硬式野球部。2009年、川口ゴールデンドリームスを現在の鈴木俊輝監督、櫻井孝義コーチと共に創部し15年目。現在も右投両打の内野手として試合に出場し、キャプテンを務める。
(本稿の取材にあたり、ぶるっく(X(旧Twitter)ID: @buru_photo)さんに多大なご協力をいただきました。ありがとうございます!)
「真剣さ」と「楽しさ」
――川口ゴールデンドリームスの創立までの経緯を教えてください。
豊山さん
川口青陵高校卒業時、当時の高校の監督のすすめにより、同じ高校でプレーしていた鈴木(俊輝、注1)と共に、クラブチームの全三郷硬式野球部に入部しました。高校の監督が、全三郷の監督とつながりがありましたので。
その後2年間全三郷でプレーしたのち、鈴木、全三郷で出会った櫻井(孝義、注2)と3人で、「全国を目指して熱くやるチームを作りたい」という思いから、川口ゴールデンドリームスを創立しました。鈴木は現監督、櫻井は現コーチです。
ただ、当時は20歳と若く、チームを創立する大変さを理解していなかったように思います。
(注1)鈴木俊輝…1989年生。川口青陵高~全三郷硬式野球部。現川口ゴールデンドリームス監督。
(注2)櫻井孝義…1988年生。春日部工高~全三郷硬式野球部。現川口ゴールデンドリームスコーチ兼投手。
――創立してしばらくのチームの状況を教えてください。
豊山さん
しばらくは、部員は創立者の3人のみでした。場所もなく人もいない。公園でトレーニングやゴロ捕球を行っていました。
当時(2009年)は、SNSも今ほど発達しておらず、選手の募集は完全に横のつながりで行っていました。知人を誘い、1年かけてやっと試合ができる人数となりました。
その後は、10人~11人くらいで試合をすることもありましたね。若さだけで、勢いはあったけど現実は見えていない感じでした。集まったメンバーも同年代ばかりで、大学生が草野球チームを作りました、みたいな感じでした。
創立メンバーの3人は、やはり「真剣に野球をやりたい」という気持ちが強く、それを常々言っていました。
当時の私は、まだ20代前半と若く、やる気がない選手には強く言い、指摘することがありました。ただ、それも度が過ぎると、選手が辞めていき、試合が出来ずもどかしさを感じることもありました。ただ、「楽しい」方に合わせすぎると目的が変わってしまいます。そのあたりが凄く難しかったです。
―—「真剣さ」と「楽しさ」の両立をチームのメンバーに伝えることは、現在ではどのように工夫していますか。
豊山さん
クラブ選手権に出場できた今年のチーム状態はすごくいいのですが、私自身、15年間のなかで色々試して、伝え方が上手くなってきたのだと思います。「人に合わせられる」ようになったというか。
例えば、私みたいに「熱い」選手には、そのまま熱く対応することをしますし、「楽しさ」を求めている選手には自分も楽しんでやる。ただ、締めるとこは締めようとアプローチする。人によって自分を合わせていって、それをどうまとめていくか。それを常々考えています。
今のメンバーで言うと、コーチ兼選手の根上(一茂、注3)と、投手の山本(一真、注4)は2年前まではふざけていました(笑)。2人とも野球で挫折を感じていて、「今は野球を単純に楽しみたいんだろうな」と遠くで見ていて、彼らに合わせながらやっていました。ただ、彼らも去年あたりからやっと本気になってくれました。
(注3)根上一茂…1997年生。金沢高~立命大。現川口ゴールデンドリームスコーチ兼内野手。
(注4)山本一真…1998年生。札幌日大高~北海道教育大旭川校~アジアンブリーズ~ウイン北広島。現川口ゴールデンドリームス投手。
―—お2人が「本気になった」理由は何なのでしょうか。
豊山さん
根上によると、昨年の練習試合でTOKYO METSに大敗して、鈴木監督から「豊山頼みでやってたらいつまで経っても成長できない。君たちの世代が主体性をもってやらないとチームは強くならない」という言葉があり、そこから本気になったとのことです。
全国大会に出るまで、私は死ねなかった
―—今、鈴木監督の話が出てきましたが、創立者のお2人である鈴木監督、櫻井コーチは、豊山さんからみてどんな方ですか。
豊山さん
鈴木は高校時代からチームメイトで、今も同じ職場の同僚。絆はずっとあります。
高校時代はバッテリーを組んでいました。鈴木が投手で、私が捕手。
いい意味でバランスが取れている2人だと思っています。私は熱血タイプなのですが、鈴木はいい意味で冷めていて、遠くから冷静な目で見られる人。お互いの足りないところをかばい合える関係です。
鈴木は監督になった今も冷静で、場面を見極めて、常識では考えられないサインを出して驚かされることもあります。裏をかくというか。
鈴木は創立当初はエースだったのですが、極度のイップスになり、泣きながら「辞めたい」と言われ、5年ほどチームを離れていた時期があります。
櫻井は、全三郷の頃に出会いました。本当に優しすぎる人で、人間が出来てる人です。
年長となった今でも、チームの道具は櫻井が自分の車で運んでくれます。チームの雑用とか、陰で支えてくれる存在です。
櫻井も、仕事が忙しく、海外に出張してチームを離れた時期があります。鈴木も、櫻井もチームを離れ、創設メンバーは私しかいない時期が数年間ありました。それが私が26、27歳の頃でした。凄く私としては「シラケた」時期でした。理解者が周りにおらず…
選手に強く当たってしまって辞めていってしまうこともあれば、優しくしすぎてしまって締まりのない状況になってしまうこともありました。
――今まで川口ゴールデンドリームスを運営していくなかで、一番つらかったのはその時期でしょうか。
豊山さん
そうですね。私もあまり野球を楽しめていなくて。
ただ、「何か形を残すまで絶対にやめられない」という気持ちがありました。
――先日の全日本クラブ野球選手権(以下、クラブ選手権)が終了した後、豊山さんはSNSで、川口ゴールデンドリームスという物語の「第1章完結」という旨の投稿をされていました。全国大会出場ということで1つは「形に残った」という理解でよろしいのでしょうか。
豊山さん
そうですね。全国大会に出るまでは、私は死ねなかったので。とりあえず、目指していたところには行けたということで。
ただ、全国大会に出て、燃え尽きた感じが出るかなと思ったのですが、2回戦でショウワコーポレーションの高田萌生投手(注5)と対戦して150キロ台の速球に三振して、悔しくなってしまいまして。また次の夢の続きというか、本気で「日本選手権に行きたい」と思うようになりました。
全三郷にいたときは、Hondaと対戦し、当時のエースの筑川利希也投手(注6)の154キロの速球をライト前にはじき返したことがありました。それで、150キロ台の球も打てると思っていたのですが、この前高田投手と対戦して三振して、「このくらい当ててたのになー」と思いまして。このまま辞めるのが悔しくなってしまいまして…
(注5)高田萌生…1998年生。創志学園高~巨人~東北楽天。現ショウワコーポレーション投手。
(注6)筑川利希也…1982年生。東海大相模高~東海大~Honda。元Honda投手、コーチ。
――今、これまで対戦した投手の話が出てきましたが、これまで対戦したなかで、印象に残っているチーム・選手を教えてください。
豊山さん
5年前に、チームがクラブ選手権の関東予選に初めて進出したことがありました。その時に対戦した横浜金港クラブは守っていて怖かったですね。ベンチの登録メンバー以外の控えのメンバーが、みんなで控室から声を出していました。一体感が凄くて、印象に残っています。それで圧倒されて、5-10で負けてしまいました。
去年のJABA一関市長旗で対戦した東北マークスも強かったですね。打線が攻撃を徹底していて、センターから逆方向を狙ってきていて、チームとして完成されているなと思いました。
選手で言えば、茅ヶ崎サザンカイツの三吉央起投手(注7)ですね。埼玉予選から関東予選を含めて、関東予選で対戦した三吉投手が一番手ごわかったです。140以上の球速があり、インコースの真っすぐかと思ってのけぞったらシュート回転してストライクになったり…球質が捉え辛かったです。
打者で言えば、TOKYO METSの中村繁内野手(注8)ですね。打たれる気しかしなかった。
(注7)三吉央起…1996年生。東京都市大付高~横浜市立大~琉球ブルーオーシャンズ~オセアン滋賀ブラックス。現茅ヶ崎サザンカイツ投手。
(注8)中村繁…1998年生。広島工高~東農大。現TOKYO METS内野手。
――川口ゴールデンドリームスは、企業の背景のないいわゆる「同好会型」のクラブチームだと思いますが、それゆえの苦労を教えてください。
豊山さん
やっぱり資金面ですね。今でこそスポンサーの鳥昇さんに援助はいただいていますが、基本的には選手の部費で賄っています。企業型のクラブチームに比べると部費が高額となり、それがネックでやめてしまう選手もいました。オープン戦や公式戦でも移動は自家用車で乗り合いとなり、道具が支給できるわけでもありません。グラウンドもなかなか取れないですし、取れてもお金がかかります。今は人数が多くなり一人一人の部費も比較的抑えられていますが、かつてはもっと高かったです。
部費とは別に、選手一人一人には、遠征費も、ユニフォーム代も、道具代もかかります。
私はバットをあまり折らない方ですが、バッティング手袋や、スパイクもよく買ってしまいますので、結構使っているかもしれません。
今回のクラブ選手権でも予想以上に資金繰りが厳しく、SNSを通して皆様にご支援を依頼しました。皆様には想像以上のご支援をいただき、感謝しかありません。
ターニングポイントは「公式戦0勝」だったかもしれない
――これまでも部分的に出てきてはいますが、話を今年の躍進に移していきたいと思います。2022年には公式戦0勝だったチームが、今年、全国大会に出場するほど強くなったわけですが、そうなる上での「ターニングポイント」はどこだったと思いますか。
豊山さん
先ほども触れましたが、根上が鈴木監督から「君たちが主体性を持たないといけない」という言葉をもらい、それで彼が本気になったのは大きかったと思います。コーチとして、選手として、チームに何が足りないのかを真剣に考えてくれるようになりました。試合後の振り返りで、「こういうところができるようになったから、こうするといいよね」ということを選手に言い続けてくれました。
去年、どの大会でも1勝は出来るようになり、「勝つことの喜び」を感じることができるようになりました。
一昨年、「公式戦0勝」というのが「ターニングポイント」だったかもしれませんね。それで悔しさを覚え、チームとして「やはり勝たないと面白くない」という気持ちになれた。それまでふざけていた根上や山本が、本気モードになってくれた。チームでも、その年の冬の期間は、足りないところを意識し、その解決のためにこういうことをしないといけない、という気持ちで練習ができました。
それで、去年、ある程度、「もう少しやれば行けるんじゃないか」と思うことができ、冬の間もテーマをもって練習できていました。その時は、一昨年の冬よりもより具体的な練習をしました。どういう練習かというと、チーム内では「埼玉4強」と呼んでいる、所沢グリーンベースボールクラブ、全大宮野球団、都幾川倶楽部硬式野球団、新波に勝つために、それぞれのチームの選手を想定した練習を行いました。例えば、所沢にはこういうピッチャーやバッターがいるから、こういう攻めをしたら勝てるんじゃないか、とか。具体的なチームをイメージして、そこに勝つための練習をしていました。
真っ向から勝負したら勝てなそうならば、ディレイドスチールをやってみるとか。こういうバントの練習をするとかエンドランの練習をするとか。
そして、春の最初の公式戦である、3月の関東連盟クラブ選手権埼玉県予選で強豪の所沢グリーンベースボールクラブに勝つことができた。「今年は違うぞ」という雰囲気を自分たちで感じることができました。その後、これまでの公式戦を通じて、「埼玉4強」には全て勝利することができました。
――練習メニューは誰が考えていましたか。全て根上兼任コーチが考えていたのですか。
豊山さん
根上だけが考えていたのではありません。投手だったら山本や山下(貴史、注9)が案を出し、野手では渡邊(元登、注10)なども考えていました。それらの案をまとめてくれるのが根上でした。先に挙げた選手以外のいろいろな選手とも話した上で、「やっぱりこういうのが必要だから、これを練習しよう」と根上が練習メニューを決めていました。
(注9)山下貴史…1996年生。時習館高~立命大。現川口ゴールデンドリームス投手。
(注10)渡邊元登…1997年生。掛川西高~立命大。現川口ゴールデンドリームス内野手。
――クラブ選手権出場を決めたあとの根上さんのnoteの記事で、ラプソードを初めとしたトラッキングデータの練習への活用の話がありました。その話について教えてください。
豊山さん
長野大のコーチの西澤(悠、注11)さんという方がいらっしゃいます。長野大出身の引木(拓己、注12)は西澤さんを恩師として慕っており、以前から引木、山本とお知り合いだったようです。その西澤さんがもの凄い野球オタクでして(笑)。個人でラプソードを所有していらっしゃいます。西澤さんが所有しているラプソードを、クラブ選手権前の数か月間、チームに貸与していただきました。
ラプソードを使用して、ピッチャー陣は山本を中心に、「ここが足りない」と分析できました。ピッチャーの場合だと、球の回転数や回転軸などが出てきます。そして投げる手首のスロー映像を撮影し、それを数値と照らし合わせ、「これがこういくと(バッターとしては)見辛いよね」などと話しました。バッターの意見も聞きながら。「このチェンジアップ、ここらへんで落ちているけど、これだと見極められる。もう少し奥で落としたいよね」とか、細かいところまで見て話していました。
バッターもラプソードを使っていたのですが、打球速度や打球角度を測定しました。オープン戦の時も、ピッチャーとキャッチャーの間にラプソードを置いたりしていました。その打撃結果と、数値を照らし合わせて、「こうしたらいいよね」などと話していました。数値を出して話ができたのはよかったと思います。具体的な例を挙げれば、打球速度が140キロ以上ある選手は、角度をつけるような打球を上げた方が長打の率が上がる。あるいは、140キロ以上ない選手は、角度を下げてライナーを打った方がヒットになる率が上がるとか。
最近はトラッキングについてYouTubeなどで勉強することも可能ですが、探究心の強い選手が多かったのもよかったかなと思っています。
おそらく、他のクラブチームでラプソードを使用しているチームは、かなり少ないのではないかと思います。下嶋(浩平、注13)の通っている野球アカデミーで数値を測定するなど、個人としての取り組みはありますが、チームとして使用している例はほぼないのではないかと。
このようなデータを使った指導も、根上がするのですが、根上も熱くなってしまうことがあり、言い方を間違うことがありました。その際には、私がフォローをして、すれ違いを解消することもありました。コミュニケーションのエラーが起きないようにすることが、クラブチームでは大事ですので。
みんな自分の弱いところから目を背けたくなるものですし、数字が好きじゃない選手もいます。数字が好きじゃない選手には無理強いせず、感覚値で伝えるようにしました。試合でこうなっているからこうしよう、と。
(注11)西澤悠…1986年生。長野南高~長野大~上田硬式野球倶楽部コーチ。現長野大コーチ。
(注12)引木拓己…1996年生。佐久長聖高~千曲川硬式野球クラブ~長野大~信濃グランセローズ~ハナマウイ~カリフォルニアウィンターリーグ~上田硬式野球倶楽部~大阪ゼロロクブルズ~EBC野球部。現川口ゴールデンドリームス内野手。
(注13)下嶋浩平…1992年生。仙台二高~東大~横浜金港クラブ~一球幸魂倶楽部。現川口ゴールデンドリームス内野手。
――全国大会に行くにあたっては、今年他チームから加入した3選手、下嶋選手、引木選手、助川(義信、注14)選手の活躍は見逃せませんでした。この3選手について教えてください。
豊山さん
下嶋は、ご存知の通り東大出身の選手で、凄く「建設的」な会話のできる選手です。
今こうだったから、ここが足りなかった、こうしたらいいよねと振り返ることができる。
全国大会では、三遊間の深いゴロが刺せないという課題を感じたようです。敗退した次の日から、彼の通っている野球アカデミーの練習施設で課題解決のための練習をしています。
引木は不器用な人間で、結構カッコつけるところがあります。元独立リーガーということもあり、プライドもあると思います。兄貴肌で、彼の1つ下の根上や渡邊が質問をすると、凄く嬉しそうにしています。全体的には、プレーで引っ張るタイプの選手ですね。
助川は表には出さないですが、ホントは凄く熱いタイプ。根上が真面目なことを言うと茶化すようなことをしていて、一見ちゃらんぽらんに見えますが、いざ個人的に話すと凄く真面目です。的確なアドバイスをくれることも多いです。センターから、外野守備の指示は彼が全て出しています。
(注14)助川義信…1996年生。東海大菅生高~静岡硬式野球倶楽部~茅ヶ崎サザンカイツ。現川口ゴールデンドリームス外野手。
――その3人を始めとして、これまでも、いろいろな選手が加入されています。言い方を変えれば「補強」とも言えます。しかし、そうなるとそれまでレギュラーとして出られている選手が出られない、ということにもなりますから、チームをまとめる上では大変な面もあると思います。新規加入する選手をチームで受け入れる上で、気をつけていることを教えてください。
豊山さん
例えば、今年の助川、引木、下嶋、この3人の新加入選手が3番、4番、5番を打ちました。傍から見ると、他のチームからすると「獲られた」とか、そういう見方をされるかもしれません。しかし、彼らがウチのチームに「マッチした」と言えます。チームに彼らを「巻き込んだ」感じなんです。スカウトをしたわけではないんですよ。
実力のある選手たちが移籍してきて、競争は確かに激化します。しかし、チームには、ネガティブな捉え方はせずに、「競争できるようになったよね」と捉えるように伝えました。競争できるということは、より自分が強くなるチャンスですから。
チームでは、「いつ、誰が出てもチーム力が落ちないような層の厚さを作る」ということを心掛けています。例えば、現在はベンチメンバーの吉村(慎ノ介、注15)も、佐藤(陽、注16)も、全然レギュラーの力があるのですが、腐らずにやってくれています。そして、彼らが良いところで出ると必ず結果を残してくれています。特に佐藤は、西南学院大でもキャプテンを務めていて、私と同じで暑苦しい男です(笑)。とても信用しています。
ここ最近のチームとして、ここぞの場面で彼を代打に送り出せば、と思っていましたので、あえてベンチに置いていました。
ウチのチームは、皆さんに言っていただきますが、雰囲気がよいです。辞めていく選手が少なく、有難いことに移籍してくる選手も多いです。移籍してくる選手たちは、「楽しそう、雰囲気よさそう、そして勝てそう」という感想を出してきます。
(注15)吉村慎ノ介…1998年生。札幌日大高~日大。現川口ゴールデンドリームス外野手。
(注16)佐藤陽…1998年生。大分豊府高~西南学院大。現川口ゴールデンドリームス外野手。
人生を豊かにするために、硬式野球をする
――今、「雰囲気がよい」というお話がありました。観戦者も、「川口ゴールデンドリームスは雰囲気がよい」と言う方が多いです。「雰囲気をよくする」ために、チームとして意識してされていることはありますか。
豊山さん
今のチームは、いい意味で、昔ながらの上下関係が全くありません。
どうしても、勝とうと思うと真剣になり、言葉も強くなることがあります。しかし、そのままでは雰囲気が悪くなります。
雰囲気が悪くなったときは、常々、何を目的にやっているのかを思い出させるようにしています。
目的としては「人生を豊かにするために硬式野球をすること」、そのためには大前提として楽しくなければ意味がありません。それはチームのコンセプトです。
皆が毎週の活動を楽しみにして、楽しく帰れること、を大事にしています。
熱くなりすぎて、言葉が強くなっている選手には、「熱くなるのはよいが、そうなるとチームのコンセプトから外れている。何のためにやっているのかもう一度考えようよ」と伝えるようにしています。それをちゃんと、素直に聞いてくれる選手たちが集まっている状態がいいのかな、と考えています。
――予選のなかで、一番苦しかった試合はどれだったでしょうか。
豊山さん
埼玉予選の2回戦、新波戦ですね。
本当にチーム力が高く、ピッチャーも凄く良い。左の小越(晴渚、注17)投手というエースが出てきたらまずいぞ、と考えていました。小越投手が出る前に、何とか点を取ろうと。
ウチのメンバーは、試合を通して冷静でした。小越投手は長いイニングは投げられないという情報があったので、「この回までに何点取ろう」と考えることができました。ただ、そのなかでも、「クラブ選手権に出るためにやってるんだから、死んでも勝とう」と言っていて、冷静ななかでも熱い部分を持つことができました。
終盤に、みんながチャンスを作ってくれて私に回してくれて、勝ち越し打を放つことができました。それで勝てました。
関東予選のTOKYO METS戦も同点打を放ちましたが、15年プレーしていると感じるものがあります。「これ、多分、この回チャンスで自分に回ってくるぞ」と。2つの試合では、それを感じていました。後は…気持ちだけですね。
TOKYO METS戦では、チャンスの自分の打席で相手の投手が交代し、中川(誠也、注18)投手が登板しました。自分のなかでは、そこまで読めていました。しかし、同点打を打てるとは思ってはいませんでした(笑)
(注17)小越晴渚…1999年生。高松北高~拓大。現新波投手。
(注18)中川誠也…1993年生。伊勢工高~愛知大~中日~REVENGE99。現TOKYO METS投手。
…今日の前編はここまで。
明日公開の後編では、クラブ選手権出場決定後のお話から、豊山さん自身のこれからの野球人生、川口ゴールデンドリームスのこれからなどについて語られます。お楽しみに!