映画『花束みたいな恋をした』を観た20代女が感じたこと①
先日久しぶりにおひとりさま映画をして観に行ってきました。作品の感想を述べることは学生以来で久しぶりですが、あまりに共感だったり考えさせられる部分が多かったので書き連ねてみます。(以下、ネタバレを含む内容ですのでご注意ください。)
観る前はエモいーかわいいーキラキラーからのどうせ菅田将暉が浮気でもするんだろって思ってましたが全然違いました。もっと複雑で深いところ、だけどよくある話だなぁという感じでしょうか。
ネットでは有村架純さん演じる絹ちゃんが可哀想、菅田将暉演じる麦くんちょっとないよなぁ〜という感想をよく目にしましたが私としては絹も麦もどっちもどっちな印象でした。
趣味が全く同じという点で惹かれ合いましたが、そもそもこの2人って生まれ育った環境が結構違うんですよね。麦は実家が田舎で家族が花火職人?の仕事をしていて、貧乏と言うほどではないかもしれませんが裕福な家庭ではない。一方、絹は両親が広告代理店勤務で実家は都内にあり経済的に余裕がある家庭。
出生が全く同じということは兄弟姉妹以外はあり得ないので難しいですが…。この生まれ育った環境の違いって今後その人がどう生きるか大きく関わってくると思います。
麦は「お金を稼がないと彼女と楽しむコーヒーも小説も買えないのでやりたくない事でも働く」というスタンス。お金がなければ仕方ないですよね。お金ってあれば幸せとは限りませんが無ければ確実に不幸なので…。
一方、絹は「やりたくない事はやらない。自分が好きなことを仕事に」なスタンス。これも凄く分かります。自分が興味のないことをやっても他人からお金を貰う程の価値を与えられるのかといったら難しいと思うんです。ですが絹がそこまで考えた上での選択かというとちょっと微妙なんですよね。「だって嫌だもん」くらいのテンションで描かれていたように感じます。
正直、絹はお金に底がついたら東京の実家に帰れるのであまり痛手はないですよね。そこに麦と絹のお金に対する価値観や仕事への覚悟の違いが出ていると感じました。私は自分が麦の環境と似ていたので「気楽でいいよなぁ。俺だって絵の仕事をしたかった。こっちは今後のこと考えて現実見て耐えてるんだよ。」って自分なら思ってしまうなーと観ていました。
実は私も麦と同じく営業職でして(はやく転職したい)彼とは環境面で色々重なるんです。直接的にあまり描かれませんでしたが「取引先からしねって言われる」という内容のセリフがあったのでまぁまぁドぎつい職場環境なんだろうなぁ…という想像ができそこもかなり自分と重なっています。そしてこれは本当に偶然ですが元カレの転職先もイベント系の会社でした。こんな重なることある?これワイの話???と一瞬思いましたが彼とは同棲もしませんでしたし4,5年も続きはしなかったな…。
さて、話が逸れましたが「非裕福」「営業」という点で私と麦には共通点があり、そこから形成される麦の思考回路には共感しました。まず営業って常に数字に追われるプレッシャーと他人にモノやサービスを売り込むためストレスはかかり易い環境だと思います。もちろん環境差個人差はありますが。それに加えて先ほど述べたような厳しい言葉を言われる機会も多いです。私も「数字が取れないやつは存在価値なし」「できないなら辞めろ」「家燃やせ」とか言われたり上司など誰かしらが詰められてるのを毎日見てます。(今見ても「家燃やせ」ってわろてまう位パワーワードが凄い…)
それらによるストレスの代償って、最初はお腹壊すくらいの症状なんですが、一旦慣れてくると体調に出るというよりは“何も考えない・感じない”のマインド変化になってくるんですよね。素直に悲しい・苦しいと感じてしまうと自分で自分を追い込む気がして、何も感じないように何も考えなくなるんです。
私は服やコスメ、カフェやインテリアなど美的感覚を刺激されるものにトキメキを感じるタイプなのですが、仕事によるストレスMAX期にはこのトキメキを感じなくなりました。学生時代は流行りの服やコスメを買って、それを着て友人とお洒落なお店に行って、写真を撮って、SNSにあげて…っていう一連がすっごく楽しかったんです。クレカの請求に追われ多少生活が苦しくなっても、ミーハーキラキラ系女子(笑)だね〜と遠回しに嘲笑されても、前日晩に残らせたおかずを詰め込むだけのお弁当を学校やバイト先に持って行って節約し、「え?それイジってます??笑」と開き直って笑いに変える気のいい女を演じて。でも、そこまでしてでも、私にとって“美”触れることは大事な行為だったんです。
ですが洋服を見に行く時間もなければ着る機会もない、「時間あったとしても家で寝てたい…」となるんですよね不思議と。ちょっとでも可愛くなった気がして楽しかった化粧の時間も億劫になりほぼスッピンで会社に行くこともしばしば。息抜きのためにと思い久しぶりに買った美容誌もファッション誌も手を付けずそのまま古紙回収へGO。そしてそんな自分に「なんでや…なんで何も感じんのや…」とちょっと嫌になります。
こんな経験があったので麦の「何も感じない」「パズドラしかできないんだよ!」の台詞が痛いほど分かりました。何が悲しいって、趣味に無関心になったことに関しては麦は何も悪いことしてないんですよね…。だけどこんな経験も現場も見たことない絹にはこの状況感情分からないだろうなぁ。
ぶっちゃけて言うと私は「そりゃ分からんよなぁ」と「いいよな何も知らないお気楽お嬢さまは」な感情が6:4くらいで入り混じってしまいました。ですがこの「いいよなお気楽で」って言う感情、本当に他人に押し付けるものではないですよね。職業選択の自由がある現在、あくまで自分が選択した上での環境なので…。だけど麦の場合は絹との生活を考えた上での選択なので正論で責めるのもなんだか違う気がしてしまいます。
私の周りも絹のような裕福な家庭の友人は多いので、「お金に苦労しなくていい人生羨ましいな」っていつも思ってしまいます。なので絹に「いつまで学生気分なんだよ」って思ってしまう麦の気持ち、どこか分かってしまうんですよね。
ですがお金持ちはお金持ちなりの苦労って絶対あるはずで。彼ら彼女らはそこをわざわざ口に出していないだけなのかもしれない。そんな可能性を考えながら人と接しなければいけないなぁと改めて思わされました。
ですけどこの作品には“お金持ちなりの苦労”という側面が描かれていなかったんですよね。(私の解釈不足もあるかもしれません。)なので絹は「良くも悪くも余裕がある、ちょっとイイトコの子」くらいに描きたかったのかな…なんて考えました。
これを観た方はどんな風に感じたのかな。特に私は周りに価値観などを語り合える異性があまり居ないので男性からの意見が気になります。
さて、気付いたら麦目線のことばかり連ねてしまいました。長くなってしまいましたので続きは次の投稿にしたいと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。
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