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「みんなの迷惑にならないようルールを守りましょう」

一昨日、越谷にある、とあるグループホームの方で見学に行った時のことである。

一見周りの住宅と変わらない建物で、中に入るとリビングルームみたいな食堂があって、一階が男性用、二階が女性用になっていて、しかも風呂もトイレも一階と二階とで別々にあるところだった。

結構悪くない所だなとは思ったものの、ほぼ毎週夕飯時は利用者同士で協力し合って作るのがここの規則になってるらしく、自炊したい俺としては好きなものを作って好きなものが食べれないので少し不満である。

その時、ここのスケジュール表を一応見せてくれたのだが、内容はこうである。

午前(平日)

7:00 起床・洗面 整容・朝食準備

7:30 朝食・片付け

8:00 出勤準備 日中支援サービス 就労・自由時間 作業終了・帰寮 自由時間

*基本的には17時30分前には帰宅すること!

17:30 夕食準備

18:00 夕食・片付け

21:00 完全施錠

★(玄関施錠について就労者又は許可者は別 *連絡必須)

★(自分の部屋に戻る事)

22:00 就寝

午前(休日)

8:00 起床・洗面 整容・朝食準備

8:30 朝食・片付け

10:00 施設内外掃除(土or日) (部屋の片付けも) 終了後 自由時間

(後は上記と同じなので省いた)

とまあ、ざっくりこんなものだが、何から何までスケジュール通りにキチンと守りましょう、とまるで個人の行動を縛っているような感じがしてなんだか窮屈だな、と自由でいたい俺としてはそう思った。

そーいや、駅なんかでもあちこちに「駅員に暴力をふるうのはやめましょう」、「エスカレーターは正しく乗りましょう」「線路に落とし物をしないようにしましょう」みたいなポスターがあちこちに貼ってあるし、なんだか小学校の壁に「廊下は走らないようにしましょう」「手はキチンと洗いましょう」みたいなポスターや張り紙、標語みたいなものがあちこち貼られているのを連想してしまう。ゼイリブかな?

「みんなの迷惑にならないよう規則、ルールを守りましょう」なんてごもっともな考えだと思うのだが、その「規則」や「ルール」が時として個人の行動そのものを縛っているんじゃないのかと思うと今の閉塞感や生きづらさの原因の一つが何となくわかる気がする。そもそも「みんなの迷惑にならないよう」とか言ってるけど、その「みんな」って自分でそう思ってるだけじゃないの?

ああ、「個人の自由」が存在しない社会って生きづらいなぁ!

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