わへいの生い立ち⑤ 〜大学生編〜

今日は「わへいの生い立ち」シリーズの⑤ということで大学生になったわへいについて書いていこうと思います。
内容に入る前に、前回の記事のお詫びです。かなりのボリュームになってしまい申し訳ございませんでした。

ということで本日は前回の記事の反省点を踏まえ、大事なところをよりコンパクトに書きます。

・魚に引き込まれるわへい
・ドラムと出会ってしまうわへい
・バイト戦士と化すわへい

の3本立てです。


○魚に引き込まれるわへい


・魚好きが集まる集団に飛び込む
遂に魚の勉強ができる大学に入学したわへい。
漁師の息子や卓越した腕を持つアングラー、水族館で働くことを志す人など魚好きが集まる集団に飛び込みます。
入学してすぐに大学の近くにある水族館にみんなで行った時にみんなの魚の知識の深さにひっくり返りそうになったのを覚えています。

・専門性が高い講義に興奮する
1年生の頃の話をします。
初年度とはいえ、一般教養に加えてしっかりお魚の講義があります。特に面白かったのは「病理学」と「生理学」です。
少しでも多くのことを吸収したかったので最前列で食い入るように講義を受けていたのを覚えています。講義中は常に頭がフル回転でなんでこんなことが起こるんだろう。これってつまりこういうことじゃないか?と頭の中から溢れてきたアイデアを片っ端から青ペンでプリントに書き殴って、講義終わりに講師の先生に質問したりもしてました。

ここで高校の頃に学んだ能動的に何かを学んでやろうという姿勢を存分に活かすことができました。とにかく勉強が楽しくて楽しくて、この大学に入れてよかったと心の底から思っていました。自分が選んだ道は間違っていなかったと確信します。

・水族館に通いまくる
座学から得られる知識も大事だけど、やっぱり実物を見たいなぁ。
そう思ったわへいは早速格安の年パスを購入し大学の近くにある水族館に足しげく通います。
この頃に一人で水族館に行くことに全く抵抗が無くなります(笑)
生き物を見るときは、目に入る全ての情報に出来るだけ疑問を持って気になったことはなんでもメモを取っていました。
その内容はネットや文献の情報で解決できるものもあれば教授に質問してもまだ誰も研究していないと言われてしまったものまで多岐に渡ります。
研究されていないものは自分の研究テーマとして一人占めできるとニヤニヤしてました(笑)

わからないことはまず自分で調べてみる。
なんでも疑問視してみる。
好きなことに没頭する。

小さい頃から両親に教わったことがここにきてめちゃくちゃ活きてきます。


○ドラムと出会ってしまうわへい


・軽音サークルに入部
中学で音楽に救われたわへいは徐々に音楽に対するスタンスが変わりはじめます。
具体的には音楽に救われるだけでなく今度は自分の演奏で誰かを救ってみたいという気持ちの変化です。
つまり、リスナー→プレイヤーということですね。

これまた奇跡的な話なのですが
そんな気持ちの変化が芽生えかけていたところに同じ学科の友達が高校で軽音をやっていたこともあり声をかけていただきます。
二つ返事で興味があることを打ち明けるとその友達に早速、新歓のブース(サークルを紹介しているところ)に連れて行かれます。
そこは頭髪の色がおかしい人やギターを担いでいるひと、見るからに不健康そうな顔色の人がいて、まるでヤンキーのたまり場みたいになっておりめちゃくちゃ怖かったのを覚えています(笑)

しかし、そのブースで先輩たちと話してみると見た目と反して(ご無礼をご容赦くださいw)めちゃくちゃ優しい。しかも音楽にアツい。あっという間に意気投合してしまい入部を決意します。

・ドラマーになる
いろんな楽器がある中、父親が元々ドラマーだった影響もあってか一番しっくりきたのはドラムでした。
初心者スタートなので、バスケの時と同様めちゃくちゃ練習しました。入部して2か月で人生初ライブだったのでとにかく死ぬ気で練習に励む毎日。
人生初ライブは緊張のしすぎでボロボロの出来でしたが、ステージに立つことの楽しさやバンドとして演奏する一体感に感極まったのを覚えています。

・部長になる
音楽を本気で打ち込んでいる先輩方と一緒に活動していくうちに音楽の素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいという気持ちがさらに強くなります。
そのためにまず自分が所属しているサークルの良いところを伸ばし、変えた方が良いところは変えた上で活動していくべきだと考えました。
同期の中でその思いが特に強かったので自ら部長になることを選びます。

部長になった後、自分の悪いところが原因で壁にぶつかります。
それは自分の価値観を正義として他人に振りかざすところです。
この頃のわへいは「世の中には多様な価値観が存在し、それらを受け入れることでより良いものを作ることができる」ということがイマイチわかっていませんでした。
自分は正しくて、お前は間違ってる。
こんなスタンスのやつにリーダーが務まるはずがありません。ただの独裁者です。
この暴走気味のわへいを支えてくれたのが同期の幹部や優しい先輩方です。自分が誤った道に進みそうになったときはたくさん話し合って道を正してくれました。

サークル活動を通じて学んだことのは音楽の素晴らしさだけでなく、本当にたくさんの人と出会い、たくさんの価値観に触れたことです。相手の価値観を受け入れることでより良いものが生み出せるということをやっとこの頃から理解し始めます。


○バイト戦士と化すわへい


・料理と実験は似ている
大学時代、支出が大きかったので収入を増やす必要がありました。
収入を増やすためにバイトのシフトを増やすだけでは収入に限りがあったのでバイトを掛け持ちしていました。
1日にバイトをはしごすることも少なくなく、下手したら社会人よりも働いていたと思います。

バイトは全て飲食系で、ホールとキッチンの両方をやっていました。
バイトとはいえ、業務に慣れてきたらオペレーションの効率化や回転率を意識して仕事をするように心がけていました。
もともと要領が悪くマルチタスクが苦手だった私にとってバイトで複数のタスクを同時に回しながら効率化を図るという作業は思わぬところに役に立ちます。

それは実験の手技です。
(研究室についての詳細は明日の大学院生編に書きます)

大学4年から卒業論文の作成のために様々実験を行います。
私が行っていた実験は複数の試料を様々な試薬で反応させ行うものだったので非常に料理に似ていました。まさか飲食のバイトで培った経験が研究に役立つとは思わず、ラッキーでした(笑)

・忍耐ついて学ぶ
私が働いていたバイト先ではパンチのある社員さんがいました。
だいぶマイルドに書いたのですが、要はバイトをゴミのように扱う社員です。

それを象徴するエピソードを1つご紹介致します。
事件はテスト期間直前に発生しました。お金が欲しいとはいえ、学生の本分は勉学です。大学生の単位数は卒業に関わるので、テスト前はどの学生も勉強に集中します。当然バイトのシフトはスカスカになり人手不足になります。当時、バイトリーダーをやっていたわへいはシフトの穴はお前が埋めろと言われます。

全バイトにヘルプを頼みますが当然テストの方が大事なのでわへいが身を犠牲にしてシフトの穴を埋めます。身だけで済めば良いのですか、テスト勉強ができないので当然単位を落とします(笑)正直めちゃくちゃしんどかったです。なんで俺がって思いました。

そんなクソみたいな社員がいるバイト先でしたが、「ここで逃げてしまっては負けだ」と謎の負けん気があったわへいは最低1年以上は勤続します。
ここでわへいはクソ社員の下でも(イライラしながらも)なんとか耐えることを学びます。
高校の時に学んだ、「嫌なことがあっても逃げない」にさらに磨きをかけました。


○大学生のわへいのまとめ


・小さい頃に学んだことは大きくなって芽を出す
幼い頃、両親に植え付けられた習慣は意外なところで芽を出すことを学びました。両親は科学を突き詰める上で大切なことをちびっ子わへいの頃に教えてくれていたんですね。本当に宝物です。

・音楽は人を救う
リスナーからプレイヤーに昇華したわへいは、様々な価値観とぶつかります。相手を否定するのではなく、受け入れ、より良いものを使っていく。幼い頃より自分と異なる価値観を否定し続けてきたわへいにとってかなり大きな壁でしたが、音楽が好きという共通のベクトルがあったおかげでその壁を少しはぶっ壊せだと思います。
いじめられた時、悩んだ時、誰かとぶつかった時、どんな時も音楽に救われていたと思います。自分がプレイヤーになって誰かを救うことができたかはわからないですが、誰かの心を少しでも動かせてたら嬉しいなぁ。

・学んだことは転用できる
飲食のバイトで学んだことをまさか研究に活かせると思ってなかったので、結局学んだことを活かすも殺すも本人次第なんだと思います。失敗→気づき→学習→転用。この繰り返しが多ければ多いほど豊かな人生になると思っています。技術的な部分でも精神的な部分でも同じことが言えると思います。

今回は研究と就活のことは字数の都合上割愛しました。
明日の大学院生編でたっぷり書きたいと思います。
改めて大学時代もいろんな人に助けられて生きていたことを感じました。

遂に同い年がほとんど社会人になった中、大学院に進学をしたわへい。皆が働く中、まだ学生気分のわへいが大学院生で得たものとは!

ということで明日は大学院生編を投稿します。

最後まで読んでくださりありがとうございました。


🦈わへを🦈

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