Cookieと向き合うこと-231017の日記#13
▶︎イヤホンをして通話しながら歩いてくる人
イヤホンをして通話しながら歩いてくる人ってちょっと怖いですよね。側から見ると1人で会話しているように見えるので、やべえ人か…?と思ってしまう。近づいてくるとイヤホンをしているのが判明して一安心…という場面によく遭遇する。
最寄り駅近くの夜道にて、また1人で話しながら近づいてくる人を発見。やべえ人か…?と思いつつ近づく。
街灯がその人を照らす。
イヤホンをしていない…。
いや、本当のやべえ人なんか〜〜い。
▶︎BeReal
BeRealというSNSがある。
基本的にはInstagramのような写真をシェアするアプリだが、投稿のタイミングがユーザーに委ねられていない。それがBeRealの特徴だ。
1日に一度突然のタイミングで写真を撮るように指示され、撮った写真が自動で投稿される。加工もできないし、自分を飾り立てるための時間も与えられないため「リアルな」写真をシェアできるという仕組みだ。
アプリの機能を充実させるのではなく制限することで、より不自由であることを遊んでいる感じが
とても面白いし、開発した人すごいな〜と思いました。
しかし、やりたいかと問われると絶対やりたくない。
BeRealはもってのほか、X(旧Twitter)のアカウントを持っておらず、InstagramもアプリではなくWebサイトからログインしているような自分にとって、
このアプリは一種の完成された地獄だ。
学生時代ビジネスアイデアを提案するコンペに取り組んだことがあって、アイデアの一つとして
「ランダムにシャッターが切られることでその人の日常を写し出すカメラとそれをアルバムにするサービス」が浮上した。
結果、チーム内で却下された。
理由はなんかキモいし、常にアルバム映えするように意識しないといけないような世界をつくりたくなかったから。
その1−2年後に同じようなコンセプトのアプリが流行るなんて…世界はどんどん最悪になっている….
調べてみると、生活のキラキラした部分を浴び続けることによる「SNS疲れ」がBeRealの人気の要因だそう。
SNS疲れをSNSで癒そうとするのか…
果たして本当にBeRealによって日常のキラキラした部分を浴びることはなくなるのか。24時間365日どこを切り取ってもキラキラしていないといけないプレッシャーが生まれるだけだと思ってしまうのだが。ただの闘争領域の拡大だ。
では俺たちはどうすればよいのだろう。
全くわからん。現代の技術を携えたまま、人類全体として晴耕雨読みたいな生活に戻ることはもうできないのか。
小さな反抗として、BeRealインストールしてやろうか。そして投稿のカウントが始まった瞬間、スマホを丸呑みして大腸の内壁の写真を収めてやるんだ。これが俺のリアルだよバカタレ。
▶︎Cookieを許可する
今になって申し訳ないのだが、Cookieってなんなんだ?毎回「Cookie…?許可しとくか…」みたいな感じで許可している。
調べてみる。Cookieを有効にすると、webサイトの利便性が高まるらしい。なんもわかんね〜〜〜〜〜〜〜〜。なにか隠しているときの書き方やん。
Cookieという名前が功を奏しているな。これがVEVE(ヴィーヴィー)とかだったら多分みんな許可してない。いや、VEVEはむしろいけるか…?
なにかわからないものに自分の領域を侵されているけれど、それをほったらかしにしてしまう罪悪感。
Cookieを許可しているたびに心の何かが削られていっている。
俺はCookieとちゃんと向き合うことにする。
ちゃんと調べてCookieを理解した上でCookieを許可するか決めるわ。
お前はどうする。Cookieと向き合え。
▶︎本日は以上とします。
▶︎おわり