東京に暮らす息子へ⑥
ヨネコは長女が死んだ日を振り返ることができないでいた。思い出したくないのではなく、思い出せないのだ。
風邪をひいたとばかり思っていた。熱が高くて食欲もないという。市販の風邪薬を飲み、2、3日寝ていれば治ると思った。
病院に連れて行った時には、もう肺の半分以上が機能していないと言われた。
そこまでしか思い出せない。
とにかく長女は死んだ。
今は悲しかったのか、苦しかったのかもヨネコは思い出せない。
スナックに入り浸る前田五朗を迎えに行ったら、スナックにいなかった。
夫を探していた夜だった。
2軒目に向かう前田五朗と若い女を見つけて後ろをつけた。ラーメン屋に入ったところでヨネコが声をかけた。
「ちょっと!お兄さん!」
振り返った前田五朗に、ヨネコは往復ビンタを食らわせると足早にその場を去った。
午前2時。
雨上がりのアスファルトがキラキラと光る。
ヨネコには万華鏡のように見えた。
(きれいだな…あの子は死んじゃったかしら…)
涙ぐむたびにアスファルトが表情を変えた。
その朝、17歳の長女は15歳の早苗に看取られて死んだ。
前田五朗42歳。妻のヨネコは37歳だった。
早苗とヨネコはリビングのイスに座り、しばらく沈黙が続いた。
「ケアマネに、電話しよう」
早苗が言うとヨネコは小さく首を立てに振った。
…つづく…