INFJの「推し」は「判官贔屓」で「可哀想フェチ」説
劇団WAGNASオンダです!
ちょっと露悪的な表現のタイトルなので、必ず下までお読みいただき、表現の意味合いを勘違いなさらないようお願いいたします。
今回もINFJ記事ですが…
僕の関心の深い分野「オタク的価値観」や「嫌いなもの苦手なもの」からも言及し、いろいろ語ったりしています。
今まで生きてきて当たり前に感じてきたことや、人とは違うなと思ったことなど、INFJに当てはめて考えてみると、案外「答え」にたどり着けたりして面白いのです!
ゆえに一般的INFJ論とは異なったり、そもそもINFJじゃなくね?と感じられる記述などもあると思いますが、あくまで僕の思った感想文に過ぎません。
そこはなにとぞご理解お願いします。
「推し」が苦手な理由
まず僕は昨今で言う「推し」と言う言葉に違和感を持っています。
「推し」と言う言葉の
持つ、旧来の「ファン」や「マニア」よりも、商業的なニュアンス…
「お金を使った者が正義」「いかに対象に投資しているかマウント」感や、「競争主義・競争させようとしてくる感」をそこはかとなく感じるからと言うのがメインの理由ですが、今回はそのような話ではありません。
僕は10代の頃より今でもですが、アイドルでもアニメでも、特定の人・キャラの熱烈なファンになる人の気持ちが理解できず、そのような話題を振られると若干困っていたところがあります。
さらに言えば何かのグループ内で、特定の一人を応援するという概念が苦手だったのです。
グループ全体を応援してますっていうのはわからなくはないですが、人は誰しも口に出そうが出すまいが心の中で優先順位をつけていると思います。
自分自身、そういう風に感じてしまうのが嫌だったこともあります。
もっと言えば「特別な誰か」を作るのが苦手だったり避けがちなのかもしれません。
しかしそれはネガティブな理由のみならず、皆いいじゃん!というポジティブな理由であったりもしました。
恐らく自分は博愛主義か、博愛主義であろうと強く願うタイプの人間ってことが、ここからも再認識出来ました。
アニメキャラにランキングをつける風潮
僕は芸能やそれに準ずる音楽グループには興味がないので、アニメ作品に例えて話しましょう!
例えばですが「アイドルグループ」と「アニメ作品の主要キャラ」は、僕の中でほぼイコールと言う考えです。
一昔前結構ハマったアニメに「けいおん」というものがあります。
5人の女子高生がキャッキャするだけという、そこまで中身のないアニメですが、逆にそれが斬新で所謂「深夜アニメ」初心者だった自分には、響いたものでした。
さて、しかし同時にこの5人に順番をつけたり、誰が好きと語ったり、アンケートを取ってランキングを作る傾向がありました。
この5人は作中で裏表なく本当に仲良くしているがゆえに、外の世界から人気ランキングをつけてしまうことが、なんだか無性に嫌で彼女たちが不憫に思えたものでした。
最近で言えばアキラに勧められて視聴した「五等分の花嫁」も同様で、ファンに順番つけたり、さらに言えば作品の周囲環境が「推し斡旋」的な風潮を強く感じたものです。
僕は、特定のキャラそのものを大好きになるより、好きなキャラたちがわちゃわちゃしている箱庭空間を、神の視点から見るのが好きなのです。
まぁ昔からアイドル界隈でも、グループの個別メンバー人気をファンに代理戦争させて収益を確保する商法があるので、今に始まった話ではないと思いますが!
僕はそういう順位付けは苦手なんですよね…
大人としての目線
気になるキャラ、このキャラいいなぁと思う程度のキャラはいても、それ以上にはならない。
箱庭の世界の中で仲良しキャラたちがキャッキャしているのを見るのが僕は好きなので、彼ら彼女らにリアルな目線で何かを求めるという事はありえないのです。
また、もう一つの理由として、大人の目線で微笑ましく見てしまうというのもあります。
ガチ恋と言うのも良くわからない奴ですね。
けいおんも五等分の花嫁も、大人になってから知り合った女子高生なので、やっぱり子供目線で見てしまうというのもあります。
年長者が偉いとかそういう事を言いたいわけではありません。
ただやはり、自分より一周りも二周りも若いキャラクターに対してそのような感情を抱くのは…?というような、ナチュラルな違和感を強めに感じてしまう性格なだけなのでしょう。
逆に、今や自分の息子の年齢でもおかしくない「のび太君」。
しかし多くの人がそうであるように、初めてのび太君と知り合ったとき、彼は自分より結構なお兄さんだったという事もあり、今でも「単なる子供」としては見られないという、変な矛盾もあったりします。
推し≒好き≒憧れ
僕は好きな芸能グループなどはいませんが、歌手やアイドルに関しても全く同じことを考えてしまいます。
また主に漫画等で、人気投票に関しては昔からありましたが、それは子供が中心だったように思います。
大人がする人気投票…なんだかこれが苦手なのです。
手放しに子供は純粋だから…なんていうつもりはないけれども、小中学生くらいまでの子供が特定キャラのファンになる同機の大半はやはり「憧れ」です。
言ってしまえば「将来こういう大人になりたい」と思うような、根源的な夢や憧れに近い部分もあるのかもしれません。
しかし、高校生以上や大人の感性ではどうなのだろう?
もちろん人によって違うと思いますし、純粋な憧れパターンもあるとは思うけど、特に異性の人物やキャラに向けてのそれだと、なんとも言えない違和感を感じてしまったりします。
色々書きましたが個人の趣味嗜好なので、僕には理解できないなぁとは思うけど、それが好きな人そのものまで否定はしていませんのでご理解ください。
気になる判官贔屓
話は戻りますが、芸能でもアニメでも、一つのグループ・作品の中で、特定の人物・キャラだけを特別に好きになるという気持ちが、僕には理解できないと述べました。
そこには博愛精神でみんな素敵じゃん一人だけ特別視できないよっていう気持ちもありますし、本記事とは関係ないですが結局虚構の存在なんだから意味ないじゃんっていうネガティブな気持ちもあったりします。
しかし理解出来ないと言いながらも、同時に気になってしまう存在…それは不人気キャラの存在です。
不人気なキャラはついどうしても気になってしまうのです…
もちろん明確に性格や所業が悪くて、理由のわかる不人気キャラなら話は別ですが、理由はないのになぜか不人気なキャラはとても気になりますね。
源平合戦に始まり、高校野球でも有名私立より弱小公立を応援したくなってしまう気持ち…そう判官贔屓です。
可哀想な人をわかってあげたい、救ってあげたい、応援してあげたい、上から目線と思われるかもしれませんが、完全な上から目線だけとは言い切れないそんな感情。
僕は子供の頃からそういう気持ちが強いタイプです。
ゆえに有名人や人気コンテンツが苦手なのでしょう。
純然たる事実として、人気や知名度と社会的な強さは、概ね比例しますからね。
可哀想フェチとは?
ダラダラと書いてみましたが、ここでタイトルに回帰します!
もしかしたら…
INFJは博愛主義であるがゆえに、グループ内で特別な誰か(推し)を作るのが苦手、強いて言うならば判官贔屓で不人気キャラに惹かれてしまう、一種の「可哀想フェチ」なのではないかと。
「自分が」ではなく「誰かが」をつい優先したくなってしまう。
その優先する「誰か」は、声の大きい強い者ではなく、目立たなく弱い者についつい目が行きがちになってしまう。
それは上から目線や弱い者への庇護欲のような感情もあるかもしれないけど、それだけではないように感じる。
またそのような者から頼られる自分の力を貸すことに喜びを感じていたりもする。
そして、「博愛主義」「捻くれ根性」「判官贔屓」…それらを足して割ったような感情を僕は抱いてしまいます。
そしてその感情を、見方によっては露悪的な表現ですが、今回「可哀想フェチ」と表現するのが近いのではないかと思い立ったわけなのでした。
もちろん、闇雲に可哀想なキャラや描写が好きという訳ではありません(笑)
あくまで「結果」のお話です。
かなりキャッチーな表現ですが、可哀相フェチ…どつでしょ?
最後に
しかし、自分が今まで生きてきてうまく言語化できなかったり、自分だけ?と思っていた性質をINFJの特性に照らし合わせて考えると、ほんのちょっぴり納得できるような気がしてくるのが不思議です。
今まで感じてきた違和感、言語化できない些細な思いなどが、INFJを通してまるでパズルのピースのようにカチッとハマっていくかのような充実感を感じます。
やはりMBTIやINFJって面白いですねー!
今回はちょっと突飛な記事でしたが…
INFJの方、お気に入りや推しのキャラクターや人物を作るのが苦手だったりしませんか?
周囲よりも自分は判官贔屓にかぶれていると思われたことはありませんか?
他のINFJの方のそういうのもちょっと気になるオンダがお送りしました!
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