八宮めぐるの3つの表情(あるいは、僕の好きな八宮めぐるについて)
(感想コンテストせっかくなので末席に参加させて頂きたくタグ付けしましたが、何せノクチルさえ居ない頃に書いた記事なので情報は古くなっています。ただ、今読み返してみても書いた内容に対する自分の見解、及び「めぐる可愛いですよね」の気持ちについては、2024年現在もなんら変わるところがないことを確認致しました)
はじめに(飛ばしても大丈夫)
八宮めぐるは可愛い。
ので、以下で、自分の好きなめぐるのコミュについて書く。
このテキストは性質上、各コミュについてのガッツリとしたネタバレを含む(が、ゲーム中で条件を満たさなければ見ることのできない、各カードの『TrueEnd』については、内容の詳細への言及を避けている)。
頭から眠たいことをいって恐縮だが、個人的にシャニマスは全キャラを通し、「天真爛漫な性格で、誰にでも積極的に話しかける。とにかく元気で友達想いの女の子」といったアウトラインより、むしろ細部のテクスチャのような部分に魅力があると思う。提示する解釈はどこまでいってもけっきょく解釈でしかないが、むしろ解釈の妥当性よりはこのテキストを通し、めぐるに関してその、「天真爛漫な性格」と「元気で友達想いの女の子」の行間にある、具体的な魅力の一端のようなものを、いくらか伝えることができればと思う。
距離の描出 -『OFF:その甘さは時をかける』(pSR【小さな夜のトロイメライ】)
タイトルの“OFF”の示す通り、プロデューサーとめぐるの、プライベートでの一幕を描く。“髪をおろしためぐる”――というのが、そもそも初登場であった(と思う)。
同カードには“ON”のコミュも存在し、めぐるが出演したクイズ番組(いわゆる格付けチェック)での様子となっている。そちらはそちらで楽しい。OFFを挟んで再び仕事へと戻っていく三つ目のコミュ(TrueEnd)も含め、セットで美味しいカードだ。
白眉は先にあらすじを引いた“OFF”における、別れのシーン。
帰り道、意外なところで出会えた偶然を喜ぶふたり。ひとしきりの会話をしたところで、めぐるの携帯が鳴る。母親からの「晩ご飯できちゃうわよ」の呼び出しに、「ごめんね。私、行くね」とめぐるが駆けだす。
ありがちな間違いに照れ笑いをし、改めて「じゃあまたね!」とめぐるが手を振る。「気をつけてな!」と見送るプロデューサー。それから彼は、小さくなっていくめぐるの背中に向けてぼそりと、「また――」と誰にも聞こえない声で続ける。
せつない。
――で、終わってしまえば、ここに描かれているものを見落とすようにも思う。
八宮めぐるはそのキャラクターをあえてジャンルに区分した時、いわゆる『友達のような女の子』というようなことになる(はずだ)。呼称はなんでもいいが、ギャルゲーなら、たぶんゲームを始めて二~三番目(幼馴染みの次)くらいに登場し、クラスの人気者で、いつも、誰にでも分け隔て無く話しかけるタイプ。陰キャの自分に「おはよう!」って挨拶してくれてドキドキしたり、何でもないこと(使ってる消しゴムが同じだったりとか)で共通の話題ができて、ちょっと楽しくお喋りしたことでつい恋に落ちてしまったりといった妄想をさせてやまないような子だ。
しかしこのコミュは、『そうではない』ことを強く主張する。
ごく当たり前のことだが、彼女はアイドルだ。語り手はプロデューサーで、ふたりの関係は“友達”ではない。“友達のよう”ではあっても、そこには決して埋められることのない隔たりがある。明日になっても、ふたりが学校で会うことはない。感情移入には種類もあろうが、しかしプレイヤーがプロデューサーの視点に立って物語を読む以上、めぐるに向けて、「また学校で」を言うことができない――という場面を描くこのエピソードは、その断絶の輪郭を浮き彫りにする。
この隔たりの描き方がやたらに凝っているというのも、見落とせない点だ。
エピソードにおいて、プロデューサーとめぐるは日中に、お互い別の用件で、実はおなじ図書館に居たことが明らかになっている。おなじ時間、おなじ場所に居ても出会えなかった――という出来事が、ふたりの主観の差、彼らの“共有し得ないもの”のメタファとして機能している。
執拗である。
ふつう、そこ(関係性の溝)をわざわざ詳らかにする必要はない。なぜならば、この隔たりは今後ストーリーが進むに従って解消される類のものではないからだ。もちろん、一般的にもシナリオ上、いわゆるツンデレを例に挙げるまでもなく、“今後埋まるであろう隔たり”というものが描写されることはある。しかしプロデューサーとめぐるが今後、ストーリーが展開していくに従って、いつか『友達』になれる、などということは確実にない。「この語り手とキャラクターの間には今後とも絶対に埋まらない距離があります。よろしくお願いします」などと告げることが、いったい誰の得になるというのか。
もちろん、意図はある。
そこを読み解くための一助となるのが、二〇一八年八月(執筆時点でちょうど一年ほど前になる)に電撃オンラインに掲載された高山Pへのインタビュー記事である。
プレイヤーから募集した質問にPが答える形式になっているのだが、記事冒頭で「アイマスシリーズであることを意識し、拘った点」及び「アイドルがユニットでの活動を主として描かれている理由」について答えている。(些か繋げ方が恣意的になるが、わかりさすさ重視ということでご寛恕を願いつつ)一部を引く。
ポイントとなるのは、「プロデューサーに見せてくれる表情と、女の子同士で見せあう表情は違う」という点だ。
なぜ違うのか? くり返しになるが、それは立場が違うからだ。プロデューサーはプロデューサーであって、おなじアイドルではないし、また友達でもない。そして制作サイドはその見せる表情の立体性が、アイドルの魅力になると考えている。もちろんアイドルの魅力とは、延いてはめぐるの魅力でもある。その描き方の立体性、また、それがもたらすキャラクターの奥行きのために、“友達のような”めぐるの――飽くまでプロデューサーの立場にとっては、ということだが――触れることのできない部分がある、という事実をあえて描写した。と、その解釈は、穿った見方ではあるかもしれないが、側面のひとつであろうと思う。
当該コミュにおいて、プロデューサーはいつもは飲まないココアを買う。エピソードは上記「また学校で……なんてな」のモノローグの後、このプルタブを開ける音で幕を閉じる。コミュタイトルの「その甘さは時をかける」はこのココアと、それを口にしたプロデューサーの内面のセンチメンタルを指す。また、「甘さ以外が時をかけることはない」という反語的現実をも暗示した題になっている。
もちろん、アイドルを多面的に描く、というのであればそれだけでは片手落ちだ。“アイドルではない八宮めぐる”がプロデューサーにとって不可侵であるように、他方、“プロデューサーという立場でしか知り得ない八宮めぐる”がシナリオ上で描写されているべきである。そして当該カードにおいては、TrueEndである『YOU:おやすみと星が瞬くように』がそれに当たる。
TrueEndでは上記のONとOFFを踏まえ、再び仕事の中でめぐると接するプロデューサーとめぐるのやり取りが描かれる。敢えて具体的な内容には触れないが、すてきなエピソードなので、是非見て頂きたい。プロデューサーの飲み物の対比なども、オシャレなので注目したいポイントだ。恒常SRなので、持っていなくてもぼちぼちプレイしてるとそのうち出ると思う。
この『小さな夜のトロイメライ』は絵も可愛いのでしばらく名刺にしていた。ON、OFF、YOUと彼女のそれぞれの側面における魅力がそれぞれにぎゅっと詰まった、こう、八宮めぐる界の陰陽太極図みたいなカードである(なに言ってんだ?)。
過去の存在の示唆 -『同調の水、されど』(pSR【チエルアルコは流星の】)
ふしぎな構図のカードだ。
カードの絵は典型的には(と、いってもシャニマスは変なカード多いが)撮影しているカメラの視点や、語り手であるプロデューサーの視点となるのがふつうのように思われる。が、しかし、この「水槽に写るめぐるの姿」はそうではなく――というか、明らかに『めぐる本人の視点』に立っている。シャニマスは「後日飾られた写真のカード」など極端に変なものもあるのだが、さすがに「アイドル本人の視点で本人のカード」という飛び道具はたぶん他に例がない。
その意味についてはあとで話すとして、まずは内容に触れよう。
このコミュには前日譚がある。決まっていた映画の役が、脚本の都合でなくなったために、めぐるの出演の話も立ち消えになった、というものだ。
役は大正時代の日本にやってきた青い目の女の子。
引っ込み思案で、いつも空を見ている彼女に、「なにか声をかけてあげたかった」――と、めぐるは言う。しかし、かけるべきことばが見つかる前に、その機会は永遠に失われてしまった。
そこを引きずっているため、このコミュにおけるめぐるはあまり元気がない。ふだんは気にしない寝癖を気にしていたりする。アクアショップでも、水槽の隅に隠れた、一匹だけ色の違う魚をみつめながら、「なんだかひとりぼっちみたい」と独り言つ。
「寂しそうに見える?」とプロデューサーは聞く。
めぐるは悩みながら、しかしこう答える。
ここには明白に、彼女の『寂しかった過去』の残滓のようなものが見え隠れする。暗示されているものが、具体的にめぐるのどのような内面を指すのか、プレイヤーには明示されない。
想像することはできる。
さて、なぜめぐるはプロデューサーの質問に、「わからないよ」と答えるのだろう?
ここで彼女が、“青い目をした女の子”や“色の違う魚”に自身を投影しているのは明らかだ。おそらくめぐるは、そうした魚、少女に暗喩されるように、『周囲から浮く』といった経験を過去、している。そして彼女はその状況を、彼女なりに乗り越えた上で、今のような他人とのコミュニケーション能力を獲得するに至ったのだろう。今でも引きずるものはある。しかし、その孤独に対するひとつの解答を、彼女は持っていたと言っていい。
しかしめぐるはプロデューサーとの会話の中で、自分の経験を語らない。また自分が持っている(であろう)答えをこの魚や、『青い目の女の子』のための解答とは見なさない。「この魚の気持ちは、この魚にしかわからないもん」とめぐるは言う。
自分の孤独を他人に見いだしたとしても、寂しそうに見えるかと聞かれれば「わからない」と答える。自他の内面に区別をつけ、距離を置いた上で、かけるべきことばを自分の中から丁寧に探し始める。だからめぐるのことばは相手のためのものであって、自分を救うためのものではない。
このテキストの主旨からいうと余談だが、ここに描かれるやさしさと思慮深さが、とても好きだ。
さて、シャニマスは(樹里などに顕著だが)何らかの過去やバックグラウンドを抱えているアイドルも多い。が、この『チエルアルコ』めぐるがそうだったように、今のところそうしたコンテキストは仄めかされることはあっても、これといった詳細が描かれておらず、プレイヤーには内容を知る術がない。個人的には、今後も描かれないのではないか? と考えている。
根拠は先ほどとおなじ「表情の立体性」だ。
プロデューサーにはプロデューサーに見せる表情があり、友達には友達に見せる表情がある。逆にいえばアイドルたちにはプロデューサーには見せない表情があって、おなじく友達にも見せない表情がある。そこを突き詰めて考えていけば、誰にも見せない表情というのも人間にはあるはずだ。それは彼女たちの中にだけ存在し、誰かに説明することによってストーリーとして消費されない内面である。
内面は本人が自分と向きあった時にだけ立ち現れて、本人の中だけに存在している。プロデューサーに見せる表情、友達に見せる表情とおなじく、それは自分にだけ見せる表情といってもいい。
アイドルたちの過去が今後とも語られまいという確信があるわけではないし、「奥の手をとってある」と言われればそれだけかもしれない。が、しかしサービス開始から一年と少しが経ち、各アイドル色々と心に抱えるものもあるだろう中ほとんどそれが明かされないのは、(上述したような多面的物語の一環として)シャニマスがそうした「語られない物語」をキャラクターの立体性として描こうとしているからではないか? という気がしている。
このカードにはめぐるの視点で、「めぐると向きあうめぐる」の絵が描かれている。
変化の予兆 -『カラフルサマー』(pSSR【夏に恋するピチカート!】)
通称『限め』。TVCMとなったり、フィギュア化も決定していたりと知名度が高く、現在の八宮めぐるを代表するカードといえる。記念すべきシャニマス初の限定SSRであり、未告知での突然の限定、青天井、ピックアップ率は通常の半分とあまりにもえげつない行為がいとも簡単に行われ、界隈はまるで「平和だった100エーカーの森が前触れなく野球場に」みたいな阿鼻叫喚の巷となった。一年経った今も当時のフラッシュバックに悩まされるPは多く、未だになんらかのかたちで出てくると「お、新カードか?」「ネタバレやめろ」「見ない顔ですねぇ…」といったコメントを見ることができる。
内容的にはチエルアルコのように内面に踏み込んでいく話はなく、未所持でもキャラの理解にさほど支障がない。水着だったり、めぐるから「恋ってどんなものなの?」と相談を受けたりと、けっこうサービス感のあるカードとなっている。
閑話休題。
絵を見てわかる通り水着の撮影を行うという内容だが、特に取り上げたいのはその冒頭。撮影に使う水着をふたりで買いに行く、というコミュである。
街をめぐりながら、様々な水着をながめて回るふたり。「明るいのが似合うんじゃないか」というプロデューサーのアドバイスに、めぐるは一つの水着を選び出す。が、しかし大人っぽすぎるかもしれない、と購入を躊躇する。「気に入ったのか?」と聞くプロデューサーに、めぐるもいちどは迷うような素振りを見せるのだが、
はっ、とするような瞬間である。
コミュ自体は「じゃあ、こっちの水着はどうかな?」とめぐるが他の水着を選びとったところで終了し、上のめぐるのセリフにプロデューサーがどう反応したのか、とその内容は描かれない。しかしここは間違いなく、はっとした筈である。
なぜなら、「“案外”あっという間かもしれないぞ?」といった瞬間のプロデューサーは(そしてそれを読む我々は)その変化が『あっという間』だなどとは思っていないからだ。
端的にいえばこの時のプロデューサーは(無意識ながら)めぐるを子ども扱いしている。そこへ、めぐるに「あっという間だよー?」と返される。それによって、その――大人っぽい水着が似合うような――未来は、本当に“あっという間”にやってくるのだ、という事実に気づかされるのである。
もちろんここでのめぐるにそうした含むところは恐らくない。「自分が大人になるのだ」ということに具体的な想像ができている十六歳はそういないし、だから彼女はプロデューサーのことばに乗っかって、少しおどけてみただけなのだろう。しかし、プロデューサーからしてみれば、その「めぐるが大人になるまで」の時間は、本当に瞬く間に過ぎる。
ここでも、プロデューサーとめぐるとの間には、『OFF』で描かれたのと同種の、しかしうっすらとした立場の断絶がある。めぐるは、本当に自分がすぐ大人になるなどと思っていない。しかしプロデューサーは、それが本当にすぐなのだということを知っているのだ。
このカードが一貫して描こうとするのは、八宮めぐるという女の子が籠の中の鳥ではなく、これから未来に向けて変化していく存在だ、という事実である。
他のコミュの内容にも触れる。
おなじカードのコミュ『淹れたてコーヒー』の中で、プロデューサーは事務所に泊まり込んでしまったため、めぐるに体調を心配される。「めぐるが頑張ってるから、俺も頑張らなきゃ」というプロデューサーに、めぐるは「疲れたら話し相手になる。予定も自分で確認する。歌もダンスも頑張って、プロデューサーに心配をかけないようにする」という。
けっきょく「やっぱり、すぐには難しいかも」とおどけるめぐるがコーヒーを淹れてくれるという内容になるのだが、それでもいずれは、という変化は示唆され、そこには一抹、プロデューサーの感じている“寂しさ”が滲む。
その寂しさは、やがてめぐるが成長していく(延いては、様々な意味合いで自分の手を離れていく)という事を知っているが故の寂しさである。彼女が、自分と違うひとつの人格であり、変化していく主体であるという認識故の寂しさだ。『チエルアルコ』のめぐるがそうだったように、ここのプロデューサーは(あるいは「あっという間だよー?」という指摘によって)、自己と他者の区別をはっきりとつけている。
その認識があるからこそ(冒頭で軽く触れたように)、めぐるに「恋って何なのかな」という悩みに答える時も、
“その時”がそう遠くないのだ、ということを、予感せざるを得ない。
友達に向ける表情があり、自分しか知らない表情があるのと同様、未来の、まだ誰も知らない“誰か”に向ける表情もまた、ここに示唆されている。
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