『ハイガクラ』(原作)の魅力を紹介する


 

始めに

 高山しのぶ先生の漫画『ハイガクラ』がアニメ化されたということで、私もニコニコ動画で1、2話を見てみました。
 正直な感想を申し上げますと”凡庸”な出来と言ったところ。原作を侮辱していると憤るほどに酷くはないのですが、全体的に力不足を感じて落胆するレベルです。
 なんで、あのシーンをカットしたのか? 随所にそう言いたいことがありますが、そもそも原作がアニメに向いていないんですね。じっくり読み込むことで味わい深くなる作品ですから。

 他の人の感想を見ても同じ感じで、とりあえず「原作を読んでくれ」という意見が見受けられました。これって、つまりアニメの存在否定の言葉なんですね。「アニメが酷いだけだ。初見さんは、これを『ハイガクラ』だと思わないでくれ」って意味ですから。結構キツい言葉。
 余談になりますが、昔、某人気コンテンツがアニメ化され、気になって1話を見たところ「今の若いモンはこういうもんが好きなんか。おじさんにはよくわかんねえや」と感想を抱いたのですが、どうやらそのアニメは原作ファンからしても理解不能な出来栄えで、非難囂々だったらしいです。何が言いたいかというと、今になって当時そのコンテンツを愛していたファンの気持ちが理解できてしまったということです。

 そこで『ハイガクラ』原作ファンの一人としてできることは、①初見さんを原作に誘導する。②モヤモヤしている原作ファンに対して、今一度、漫画の良さを示し共感してもらい、士気を高めあっていく。ことなんじゃないかと思った次第です。

 私は高山しのぶ作品の読み込みに関しては、それなりに自信があります。過去に同作者の完結作品『あまつき』の魅力について、20人以上の哲学者の思想と絡めて原稿用紙にして100枚以上書き上げたことがあるぐらいですので、今回もいけると思います。

 1.基礎知識

  まずは、アニメを見ている人の手助けになりそうな基本的な情報を書き綴っていきます。

 ・主人公たちの国について

 アニメでは”仙界”と言われていましたね。原作では正確な国の名称はなかったと思います。”五神山と竜宮”とは呼ばれていましたが。
 この国はどこにあるのかというと、日本と中国の間に位置してます。ただ五神山は天空に、竜宮は深海にあり、龍王という神の加護によって外界からは認識されないようになっています。(移動は水門というワープ装置みたいなものを使う)

 ・時代

 アニメでは原作1話の内容を端折ったのでわからなかったかもしれませんが、普通に現代のお話です。ただ仙界では『青歴』という年号が使われております。青歴1800年が、西暦2000年に当たるという情報しかありませんが。
 一葉が初任務でミクロネシア地方に訪れたのが1995年太陰暦の9月。珠龍が瑤池宮に迎えられたのもこの年。その年に大きな地震があったことが触れられますが、外界で言うところの『阪神淡路大震災』であることがわかります。

 1995年 一葉6歳。(孫登の発言より)滇紅を潔斎。西王母と出会う。
 1996年 一葉、珠龍が次期西王母であると知り、避けるようになる。
 2000年 西王母即位。
 2008年 原作1話。一葉19歳。

 たぶん、これで会ってると思います。

 そして原作1話で女子高生だった望が最新話で社会人になっていますし、東京スカイツリー(竣工:2012年)が決戦の舞台になっていたりして、作中でも結構時間が経っていることがわかります。
 ただ、一葉の国と外界では時間の進み方が違うかもしれないらしく(17巻付録小冊子)、青歴の暦も365日で1年とは限らないので時間軸に関しては、曖昧なままでも差し支えないでしょう。

 ・歌士

 主人公は、歌士という職業に就いています。言うならば国家資格を持ったエリートで憧れの的です。外界に逃げた八百万の神を連れ戻すのを仕事としています。外界に行くことのできる唯一の職業なので憧れの的になってるところがあります。
 一般的な歌士は逃げた神ではなく、そこの地霊や低級な神を連れ帰り、使役させて人間の役に立てます。完全に隷属化させるだけではなく、愛玩用にしたり良きパートナーにしていたり。シビアなポケモンみたいなものだと言っていいでしょう。

 歌士が神を捕まえるためには、”踏踏歌”と呼ばれる儀式が必要です。
まず、神の前で踊って興味を持たせてから、歌を歌ってお願いをします。そうすることで、”斎”と呼ばれる珠に神の名を刻み、封じて主従関係を結びます。

 主人公の一葉は、全然神を連れてこれないので、落ちこぼれの歌士だと言われています。実際のところは、一葉の歌は特別なため、低級な神は封じる前に殺してしまうのです。『ポケモン』で弱らせるどころか倒してしまうので捕獲失敗してしまうようなものです。そんな彼の獲物は四凶と呼ばれる伝説レベルの神です。そのレベルの神を捕まえないと彼にとって意味がないのです。

 ・一葉の目的

 仙界は一つの大きな問題を抱えていました。それは地震による地盤の崩壊です。そのために強大な力を持った悪神である四凶を文字通り柱とすることでなんとかしていました。つまりは悪神の有効活用です。
 しかし、その四凶が数匹逃げ出してしまったために、緩やかに崩壊に向かっていたのです。

 一葉には白豪という神獣の親がいました。天狗(てんこう)という種族の大きな猫です。あるとき、国の軍隊が白豪を連行してしまいます。というのも、国の崩壊を防ぐには最強レベルの神獣、白豪を四凶の代わりに柱にするしか道がなかったからです。

 一葉は白豪の後を追いますが、捕まってしまいます。一葉には歌士になるしかありませんでした。四凶を連れ戻し、白豪を解放するために。

 ・仙人

 仙人について。これは特に覚えておく必要はありませんが一応。仙界には仙人がいます。元は人間なのですが先人の知恵によって、人の枠組みを外れ超人になったものです。仙人には”天仙”と”地仙”があり、天仙には東王父、西王母、それに八仙がいます。これらは中国の神話に登場します。中国人にとっての八仙は、日本人にとっての七福神みたいなものらしいです。不老長寿になって身体も強化されますが、精神が鬱になると五衰という病気にかかり、灰になって消えるので強い精神力が必要です。

 神や術の描写について

 神は物理法則などの常識を無視しますので、初見では戸惑うこともあると思います。「白豪は柱にされてしまったと言ってたけど、普通にフリーで歩いてるじゃないか!」って疑問に思うでしょう。それついては、こんな感じです。白柱殿には術を施された身代わり人形が括り付けられており、それが白豪の本体とリンクしています。そして地震が起きるとその衝撃は白豪が受け止めることになります。人柱とは、そういうことです。
 そんな感じで、神の能力や仙人の術などは視覚情報だけで捉えるのが難しいものです。このようなところも、アニメよりは漫画のほうが良いと言える部分です。
 

 2.『ハイガクラ』の魅力

 アニメでは計り知れない『ハイガクラ』の魅力を大きく5つに分けて紹介したいと思います。

 1.駆け引き

 主人公の目的は先に述べた通りですが、もちろん、他の登場人物にも思惑があります。敵対勢力にも当然目的があります。主人公の特別な性質のこともあり、敵、味方問わず、彼を利用しようと企む勢力も存在します。

 主人公自身も様々な経験を経て見識を深め「自分の行いは、本当に正しいことなのか?」と葛藤します。単純に四凶を捕まえることだけを考えて行動してればいいわけではない。そんな渦中において、一筋縄ではいかない利害の絡んだ人間関係との駆け引き、だれが味方になり、だれが敵となるか? まさかの悪人が心強い味方になり、予想外の味方が敵に寝返る。そんなドラマティックな展開は見所の一つだと言えます。

 2.人物描写

 『ハイガクラ』は人物の描写が秀逸です。アニメは、これを丁寧に描かなければならないわけですが、そのためには、テンポを犠牲にしなければならないので難しいところです。
 アニメで、一葉と白豪の最初のシーンがカットされていましたね。ダウナーでぶっきらぼうな一葉が、白豪に会うと子供のように無邪気になるところは、一葉がどういう人物なのか、彼にとって白豪がどれだけ特別な存在なのかを知らせる重要な場面だったと思います。
 2話で一葉は、りゅうから「旅は怖くないのか?」と尋ねられたとき「平気なんかじゃないさ 怖ぇときもある けど 帰るべきところと帰らなきゃならない理由と 待ってる人がいるなら どこだって行ける 怖くたって負けない  だから帰る場所が大事なんだ」と答えます。
 しかし、この一葉の言葉は、とても薄っぺらく感じました。というのも、一葉と白豪のシーンがカットされており、一葉が白豪を取り戻すために歌士をやっている理由が十分に描写されていないために、この言葉に重みがないのです。登場人物の台詞は、その人物の背景によって裏打ちされるものです。よくわからない人物が、なんか悟って深そうなことを言っても味気ない。

 武夷にしても、自分の利益を目的に悪事を働くことはあっても、他人の不幸を目的に悪事を働くことはしないと思うので、果花の潔斎を解除する理由の改変は解釈違いでした。
 わかりやすい善人もわかりやすい悪人もいない。それは四凶にすら言えてしまう。そこが『ハイガクラ』の難解でありながらも味わい深いところだと思っています。

 原作の『ハイガクラ』は、登場人物の葛藤、責務、憧憬、怨嗟などの描写が秀逸で、これは是非、漫画で読んで欲しいのです。私がぜひとも紹介しておきたいのは、一葉と山烏の関係性について述べた一葉のモノローグ。

「奇妙な関係だったと今ではわかる お互いの過去を知らず 現在も知らず 先も知らず 心の泥だけで繋がっていた」

 凄い秀逸な表現だと思います。互いに病んでいたときに出会った友の共感しあえた怨嗟を”心の泥”と表現するのは。
 表情だったり、モノローグだったり、回想の挟み方だったり、様々な手法で描かれる人間の魅力はアニメでは絶対にわからないと思うので、是非とも原作を読んで欲しいと思います。

 3.神話モチーフとユニークな構造

 『ハイガクラ』のユニークな点には”伏線の後付け”が挙げられます。
 
 ”伏線”というのは、一般には作者が後の展開に効果を発揮する要素を、何気ない場所でひっそりと忍ばせて置く手法であり、作者の知性やセンスが光るものです。
 『ハイガクラ』における伏線は、大昔に作られた神話や伝承です。つまり「どうして、そのような伝承が生まれたのか?」という問いのアンサーとなるストーリーを組み立てることで、既存の神話や伝承が遡及的に伏線になってしまう。日本には『浦島太郎』という昔話がありますが、『ハイガクラ』のストーリーは、そんな昔話が残っている理由を説明することになります。

 原作にも「ああ だから古代インド人は そのような神話を残していたんだな」という台詞がありますが、古代人の創作物を、後付けで勝手に『ハイガクラ』の伏線にしてしまっているところが、この作品のユニークなところです。ここは単純に神や天使を登場させているだけのファンタジー作品とも一線を画していると思うのです。

 外界の人間、殊に現代人は神を感知する能力はありませんが、それでも何かしらの痕跡が残っていて、それが神話・伝承といった形で伝播されていく。旧約聖書の”ノアの箱舟”も龍王の行いが人間に見つかってしまったことが原因であるし、ミクロネシア地方の華僑の町で九嬰という神が祭られている理由も説明されるし、世界中の神話・伝承の中で「世界樹」と呼ばれるような、似たような大樹がある理由も『ハイガクラ』で理由付けできてしまう。

 私が凄く関心したのは「西王母」についてです。
やはり昔の物語。それも同一の作者によって書かれたわけではない神話・伝承には、物語によって矛盾が発生します。中国神話の西王母についても、ある書物では化け物だと書かれているのに、次の時代の書物では慈母の化身として書かれます。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/西王母

 この”矛盾”すらも、『ハイガクラ』は取り入れます。
「なぜ、書物によって西王母は全く別の存在に描かれているのだろうか?」その不審な点すら物語に組み込まれて、面白い展開が生まれていく。この”後付け”が巧妙なのです。

 少し脱線しますが、全く交流がないにも関わらず、世界中で似たような神話や伝承が見られることは、構造主義によって説明が可能です。人間が人間である以上、そこから生み出され、民族の世界観と結びつく物語には、細かく分類していけば共通の要素が見つかります。文化人類学者レヴィ・ストロースは、これを『神話素』と呼びました。
 単純に民族が世界各地に広がったから、世界中で似たような神話・伝承がある例もあります。このあたりは講談社現代新書から出ている『世界神話学入門』(著:後藤明)が参考になります。

 というわけで、ハイガクラには中国神話のみならず、様々な世界の神話と結びついています。私が『ハイガクラ』を好んでいるのは、文化人類学、神話学という私の個人的な趣味と合致していたことも理由の一つなのですが、私と同じ趣味を持つ人ならば、同じように気に入ると思います。

 4.重厚なストーリー

 『ハイガクラ』は様々な神が登場し、戦闘を行います。故に、この作品を怪獣たちによるアクションバトル漫画として捉えることは可能です。ラシャプ(西セム系民族の神)は、毒属性を持ってる。迦楼羅(古代インドの神鳥、のちに仏教に取り入れられ、天竜八部衆となる)は、龍に対し優位に戦える。などの相性もあり、どこかポケモンっぽさも感じますから。

 しかし、私が重視したいのは、どちらかというとストーリーのほうです。上でも述べましたが、緻密な人物描写から描かれる主人公たちの生き様こそ、この漫画の一番の魅力でしょう。
 神という人智を超えた圧倒的な力や、国の崩壊というどうしようもない災害を前にして、一人の人間がどう向き合えばいいのか。
 このような命題は古代ギリシャ的であります。古代ギリシャの詩人ソポクレスは、”運命”という絶対に抗うことのできない強大な力を前にして、それでもなお、流されずに自分の意志で対処してみせようとする人間の姿に偉大さを見出します。(ちくま新書『不道徳的倫理学講義』著:古田哲也 参照)
 『ハイガクラ』に登場する人物にも、これが当てはまります。歌士になるしかなかった一葉が本当に為すべきことを見つけ、敵であり捕縛対象である四凶の比企を助けようとする。なりたくもなかった西王母の役を押し付けられた珠龍が、それでも自分に為せることを探し覚悟を決める。山烏は世界の成り立ちそのものを疑問に思い、根本から破壊を試みるが、国を守ろうとする珠龍や仙人の苦渋を慮ろうとしなかったから道を誤った。
 神という強大な神秘の力、龍王の庇護のもと成り立っていて、覆すことが容易ではない国のシステム、いずれ国が崩壊してしまうという危機的な状況。これらを前にした人間が何を想い、何を成すべきかを考え、行動していく。その姿が偉大なのです。

 5.ビジュアル

 言うまでもありません。アニメに不満な人の大きな理由もここにあると思います。高山しのぶ先生の絵は奇麗すぎる。イケメン多い。ショタが可愛い。女の子も可愛い。風景が奇麗。食べ物がおいしそう。おどろおどろしい場面は本当に気持ちが悪い。コマ割り、漫画ならでは見せ方が秀逸。だから原作を読め!

最後に

 というわけで、アニメしか見てない人は『ハイガクラ』の本質に触れてもないから原作を薦めるよって話でした。これを書いてる途中で17巻が発売されました。先が読めない展開で、戦力的に敵に勝てるかどうかわからない状況です。それに仮に目的を達成したところで、それからどうすればいいのかわからなくてハラハラします。本当は、最新話あたりの話もしたいんですが、そういう交流の場が全くないのが残念です。

 アニメは原作の良さを全くと言っていいほどに再現できていないのですが、全てが制作陣の力不足というわけではなく、仕方ないところもあると思います。貴方がアニメの脚本家だと仮定して「『シャーロック・ホームズ』をアニメ化してください。ただし、普通に原作をなぞったら死体を見つけたところで1クール終了するでしょう」と言われたら、匙を投げるでしょう。貴方が作画監督だったとして、1枚絵で高山先生の絵柄を再現できたとして、それをアニメで動かし続けるのは多大な労力を費やすでしょうし、不可能に近いと思うでしょう。これは昔アニメ化した『あまつき』でも、同じことが言えます。
 そういうわけで、私としてはアニメ化するなら『MR.MORNING』をお勧めします。
 前半は1話で一つの話が終わる構成でして、後半はがっつりと国を巻き込んだ陰謀に巻き込まれますが、前半での何気ない日常が効いてくる、とても奇麗に纏まった話です。私は最終話で涙を流しました。

 現在連載中の『花燭の白』は、ガッチリ女性向けなので、あまり追えてはいないのですが、『あまつき』『ハイガクラ』に関しては、結構語ることができると思います。これらの作品で疑問や意見を求めたいことがあれば、コメントしてくれたら応えたいと思います。

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