新約聖書における七十人訳引用 はじめに

※作者はキリスト教徒ではありません。割とキツい事も書きます。
 ただキリスト者の方々が読んでも役には立つ、かも?

はしがき

ナザレのイエスはあまり裕福ではない家庭に生まれた…
という事になっていますが、だとするならばここで一つの疑問が湧きます。
果たして彼は限られた人々にしか読めなかったヘブライ語に触れたのか、外国語であるギリシャ語ができたのか、そもそも文字が読めたのか。

本当に貧困階級の生まれだったら全部できないのがむしろ自然に思えます。
逆にギリシャ語、特にヘブライ語が出来たなら、実家は太かったのかもという問も立てうるでしょう。

その辺を調べてみたかったので、新約聖書における旧約聖書
(この呼称は極めてキリスト教寄りで、実際には律法とか預言書とかと呼ぶ方がいいのですが、そんな事一々書いてられないので「旧約聖書」とまとめます)の引用がどれ位の精度なのかをちょいと調べてみたのが今回の投稿になります。
最初期のキリスト教徒が利用していた聖書はギリシャ語に翻訳された『七十人訳聖書』だったとされるので、これと新約聖書における引用がどれ位一致するのかを調べつつ、引用された箇所が原文ではどんな文脈で書かれているのかにも触れたり、ヘブライ語で書かれた元々の聖書
(新共同訳など、日本語訳旧約聖書の殆どはこちらが底本です。その翻訳を基本的には信用しました)とどれだけ食い違うのかも確認して、ついでに色々感想なんかも書いたりしました。

先に言っておくと私はギリシャ語がほぼ全く、
ヘブライ語は全く出来ません。
しかしギリシャ語の異同を調べる事はできる訳で。デジタル万歳。
ヘブライ語でどう書かれているかはマソラ写本を底本にしている日本語訳聖書であるとか、ヘブライ語一つ一つは英語にするとこんな意味よ、というサイトを見つけたのでこれらを参考にしています。

今回お世話になったリンク

日本語訳はWikisourceの口語訳から引用。

新約において旧約聖句がどこから引用されているかは
https://www.biblegateway.com/
のAmerican Standard Version(ASV)から。
また同サイトのSBL Greek New Testament(SBLGNT)をギリシャ語の、つまり元々の言語で書かれた聖書として引用。

参考までにオンラインのネストレ・アーラント28(学術的に最も信用されている聖書)のリンクも。ほぼ内容は一緒。

七十人訳はこちらから引用。

https://www.scripture4all.org/OnlineInterlinear/Greek_Index.htm
https://www.scripture4all.org/OnlineInterlinear/Hebrew_Index.htm
ギリシャ語新約聖書ヘブライ語旧約聖書はこの二つも大いに参考にしています。
この単語は英語だとこう、までは大体分かるのでだいぶ助かりました。
…この翻訳をどれだけ信用していいかは私には判別しきれませんが。

本投稿…に入る前に、こんなノリで行くよと

結論から言ってしまうと、マタイ福音書においてナザレのイエスの言葉として書かれている箇所は割と七十人訳に忠実で、マタイが預言書とかから引用した箇所はかなりいい加減でした。一方ヘブライ語→七十人訳で意味のズレた箇所はほとんどそのままだったりもします。また、意図的な改ざんが疑われる所もいくつか。

一番最初に、マタイが引用して改ざんしたと思われる箇所を紹介し。
おそらく彼の時点でイエス・キリスト=神(YHVH)という認識が存在していたのでは、という事を問うてみるつもりです。多分、ここが一番キリスト教史において重要だと思うので。
次回からは第一章から引用の異同を確認していき、最後にちょっとした統計も載せます。

イエスがヘブライ語やらギリシャ語やらができたかどうかは、マタイだけだと何とも。他の三つもおいおい調べていく予定です。

あ、ここからですます調止めるので宜しく。

問題の箇所


13:35「わたしは口を開いて譬を語り、(世の)初めから隠されていることを語り出そう」
詩篇78:2「わたしは口を開いて、たとえを語り、いにしえからの、なぞを語ろう」
マタイ「Ἀνοίξω ἐν παραβολαῖς τὸ στόμα μου, ἐρεύξομαι κεκρυμμένα ἀπὸ καταβολῆς (κοσμου)」
詩篇「ἀνοίξω ἐν παραβολαῖς τὸ στόμα μου φθέγξομαι προβλήματα ἀπ' ἀρχῆς」
(κοσμου)(「世界」。「コスモス」の格変化)は古い写本には書かれていないとの事。

細かくは後で書くが、ヘブライ語でも七十人訳でも「いにしえからの」となっている記述を、おそらくマタイは意図的に「世の初めから」と改ざんしていると思われる。七十人訳引用はだいたい一致するかぜんぜん違うかのどっちかに分かれるのだが、ここに限っては途中から全然違う事を書き始めるのでかなりクロの線が強いのである。
ここはイエスが譬えを使って人々に色々と語ったという記述から続く引用なのだが、「いにしえからの」だとアブラハム、あるいはアダムで被造物の謎という事になる所を、「世の初めから」とすると創成期の頭、天地創造から隠されている事をイエスが語った事になる。つまり、イエスは神であるとマタイは主張したのであろうと私は推測する。元のテキストを歪曲してでも。

そして彼らは、イエス=神にしてしまうと二神教になってしまう事には無頓着でもあったとも思われる。正直そこまで頭が回るほどの宗教教育受けてなかったんじゃないかな…と。マタイの引用って一致してる所がほとんどない位ガバいし。

こんな感じで引用の異同を調べつつ感想などもつけて、福音書における旧約引用を調査していくのが本文である。
ここまで派手にやらかしてるのはそんなに無かったけどね。

では、次回投稿へ。
まずはマタイ福音書から、
リンクはこちら!

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