#ボブマーリーワンラヴ 見てきました

キリストに倣いて、
人と世界を愛したかったのかなぁ、
そして彼の福音がレゲエだったのかな、なんて思ったりしました。

はじめに

・ボブ・マーリーはレゲエの神である。生まれはジャマイカ。
・マーカス・ガーベイという人がいて、たまたま彼の予言がエチオピア皇帝の即位で当たっちゃったからラスタファリ運動が生まれた。ボブ・マーリーはこの運動においてキリストとパウロを足して二で割ってない位の存在。
・聞いた事があるのは「Jamming」だけでした。
・白人の父に黒人の母ごと捨てられた過去があって、それが理由で「俺は神の意思で人と人の間に生まれた、それは人を愛する為の筈だ」という経緯で神を深く愛するようになった、らしい事を直前に聞いた。

位の前提知識で見に行ってます。

正直、映画としての出来は…

ボブ・マーリーがどんな人で何をやりたかったのか、
正直よく見えてこなかったです。
まぁ人生ってそんなくっきりしたものじゃないから、
事績を追うとぼやけてしまうのも分かるんですが。

それより何より致命的なのが、
はっきり申し上げると音楽の使い方が下手です、この映画。
だってボブ・マーリーって神だよ?
マイコーとかフレディとかと同格の存在な訳で。
じゃあ「This is IT」とか「ボヘミアン・ラプソディ」みたいに、
ボブの音楽を効果的に使えているかと言われると、
残念ながら「否」と即答せざるを得ません。
「Exodus」への流れは良かったんですが、
これにしたってまんま「ボヘミアン・ラプソディ」でしたし。
ボブとフレディってぜんぜん違う人物の筈なんだけどなぁ。

なので伝記映画としては「うぅーん…」という感想です。
超一流のミュージシャンなんだから、
曲を聞けばどんな人かはだいたい分かる…筈なんですが、
それすら失敗してる。これはどうかとは思います。うん。

それでも

おそらく聖書を愛読している(のは描かれた)、
ラスタファリだったボブ・マーリーは、
ジャー(ヤハウェをこう読むそうです。神の事)のように、
あるいはキリストのようになりたかった。
それはあまりにも重い使命であったけれど、
人を、そしてクソッタレな世界を許し、
愛したかったのだろうという事は伝わりました。
そして短い生涯で大いなる愛を成し遂げたのだろうとも。

ラスタファリはキリスト教では無いらしいんですが、
でもキリスト教に通じる所はあるのかな、とこの映画で思いました。

マーカス・ガーベイが「黒人の皇帝が戴冠する、開放の日は近い」と言い、
たまたまエチオピアで本当にハイレ・セラシエ1世が戴冠したので、
皇帝は本人の預かり知らぬ所で生き神様として祀られた、
という経緯があるそうで。

これは西方世界が神聖ローマ皇帝を必要とし、
東方世界がビザンツ皇帝を必要としたように、
黒人が黒人の聖なる皇帝であるハイレ・セラシエ1世を必要とした…
のかも。これは完全に私見ですけど。
…ただ、エチオピアの正教会も音楽も非常に独自性が強いのですが、
ラスタファリもレゲエもエチオピアの影響は、
あんまり受けていないみたいです。

で、映画での最後のライブの時点で、
実はもうハイレ・セラシエ1世は世を去っていました。
(なんでこれを描かなかったのか理解に苦しみます。だから、ボブは自らがジャー即ち神にならなきゃいけなかったのだそうで)
しかもボブ・マーリー自身もガンでもう長くなかった。

それでも、だからこそ。
ボブ・マーリーはジャーとして、あるいはキリストとして。
ジャマイカでの one loveをやりきった。
自らの愛を完遂したんです。
それは分かったし立派だったと思います。

…で、なんでそのライブシーン描かなかったかなぁ?!
なんでそんな愚かな事しちゃったんだろう。
この伝説のライブを描ききれてたら私はこの映画に花丸付けてました。
でも描きすらしなかったのでだいぶん厳しい評価になります。
最初の段落で書いたとおりに。

ワン・ラブってそういう事だったのか

ラブ&ピースの方だと思ってました。
だいぶんキリスト教寄りの意味だったんだなって。
本人たちはラスタファリのつもりかもしれませんが。

ともかく、一つの愛を成し遂げた男の物語ではあったと思います。
肝心の福音たるレゲエライブシーンを何故かカットしてるんですが。



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