【❓Que.4】褒めるって正解? -vol.1- 【わくわくママのくえすちょん】
こんにちは。わくわくママ(妻)です。
【わくわくママのくえすちょん】シリーズ、第4弾です!
まずは、vol.1です。
正解に繋がる3つの問いとその本質
妻「以前、『自己がなければ開示もできない』のインタビューの対話でもあったんですが」
夫「はい」
妻「褒めることで、それを自己と勘違いして得意になってしまうことがあるという話について。
それを予防するにはどうしたらいいのかなと思っていて。」
夫「うんうん。」
妻「小さい頃って、褒められることを原動力にしちゃいけないって絶対わからないじゃん。男の子とかも特に多いと思うんだよね、お母さんのために夢を目指したとか。
単純に親の喜ぶ顔を見たいっていう、一見すごい素敵なことなんだけど。」
夫「うん。」
妻「実際、演者は観客がいなければ劇を披露しない。自己満じゃなくて、観客がいるから、ステージに立ちたいと思う。
だから、幼少期の頃は、観客が親、特にお母さんを喜ばせるためにやるっていうのは、必然だと思ってて。」
夫「うん。」
妻「でも、将来にそれで有名になろうとした時に、親を喜ばせるためっていう理由になっちゃってる。自己開示の話でもあった、他者が認めてくれた自己を育ててることになってしまうんだけど…
このことに関してどう思う?」
夫「むずいね〜。3つぐらい、問題点がある。」
妻「3つ?!」
夫「世間的にも到達できてない、解決の糸口を掴めてない問いがあると思ってて。」
妻「ほう。」
夫「1個は、G-DRAGON(K-POPアイドルBIGBANGのリーダー)の言葉で。『皆さんが僕の音楽を欲しいと思わなくなれば、僕は潔く音楽を辞めます。』っていう、俺も意外だなって思ってる言葉。
本人は、音楽を好きでやってて、アーティスト活動も好きでやってるんだよ。だけど、観客がいなくなれば僕は辞めますって言ってるわけ。
それって不思議じゃない?」
妻「そうだね。それってほんとに好きなの?ってなるよね。」
夫「うん。それが1つ目の問い。
2つ目は。本当にみんなが思う、『俺は好きでやるから観客なんていらないんだ』っていう姿ってさ、まさにG-DRAGONだと思うんだよ。」
妻「周りとかファンからは、観客がいなくても本当に好きでやってる人に見えるってこと?」
夫「そう。
周りからは、人前に出ることを全力で楽しんでる人たちのことを、観客がいらない人に見えてる。実際にそういう人もいる。」
妻「はいはい。」
夫「で、3つ目は、対象が違えばいいのかっていう話だと思ってて。親だから良くなくて、社会に対する、社会貢献だとしたら良いのか。」
妻「うーん、たしかに。
今言ったことが、答えが出てないってことだよね。」
夫「そうね、みんながどれがいいんだろうって、どれを選択したらいいかって悩んでる状態。」
妻「うんうん。」
夫「でも、その3つの問いに対して、本質はやっぱりどっかで交わる(解が1つに収束する)と思うんだよ。そこが見つかってない。」
妻「それはおだやかパパ(夫)でしても見つかってないんだ。」
夫「今こうやって話して、見つけることもできると思うんだけど。」
良し悪しが理解できないと褒めることができない
夫「本質的につながる部分っていうのが、過去に遡ることで1点に集中していくものと、未来に進むことで1点に集中していくものがある。」
妻「(よくわかんないけど)そうなんだ。
さっきの問いが過去に起因するか、未来に起因するかがわかんないってこと?」
夫「うん。ただ、わくわくママが言う感じだと、過去に起因するってイメージだよね。」
妻「うん。過去に原因というか、きっかけがあると思ってて。結構、私が見てきた人たちとか、アニメとかでも、まず、親に認められるために頑張ってきた人たちが多くて。
ただ、さっきの3つ目の問いみたいに、そこから脱却して、みんなのためにとか、対象を変えることで成功した人もいるけど、 脱却できてない人もいると思う。結局お母さんが喜んでくれないとやってる意味がないってなってる人も結構いると思うんだよね。それが良いか悪いかは別として。」
夫「うんうん。」
妻「そうなると、幼少期の親の接し方とか、褒め方っていうのが話の議題になるのかなと思ったけど。」
夫「そこの観点だと、親からもだけど、学校の先生に褒められることも、友達に褒められることもある。実際はそれを網羅する感じに個性を伸ばすのに近いと思ってて。
先生にも褒められるように、テストの点数を取って、お母さんは絵を褒めてくれるから、絵を描き続けて、友達は可愛いねって褒めてくれるから髪型とか化粧とか意識し続けて、っていう感じに。」
妻「みんなからの評価を軸に自分を形成していくってことね。」
夫「でも、そうなると、過去の一点から分散していくって感じじゃなくて、過去に散りばめたものから一点に収束していく気もするね。」
妻「確かに。(半分わかってない)
みんなから褒められたことで自分を形成していくって話だと、複合化?みたいな話だと思ってて。オールマイティな人間になる。でもそれってやっぱり器用貧乏になるよね。」
夫「いや、そうよね〜。」
妻「でも、その複合化ができなかったら、例えば、絵が描くのが好きだったんだけど、数学めちゃくちゃ得意で、先生からこの成績なら国公立行けるから数学科目指した方がいいよって言われる。じゃあ数学者になるか。ってなったらさ、 絵を描いてた自分はいなくなる。
複合できないとできないで、褒められた人のために生きる人生になる。」
夫「確かに。ていうか、俺、こうやって文章書いたり、話すことも好きでさ。小説も多分みんなよりたくさん読んできたんだよね。
工業高校で数学得意だったけど、好きな部類って本当はめちゃくちゃ文系な可能性あるよね。」
妻「まあ理論的思考って観点だと、結局理系でも文系でもどっちも必要だからね。」
夫「人から褒められるものを好きになってる可能性あるか。
いや、最近思うんだよ。 好きか嫌いかは、わかんないものでも好きっていう表現ができると思うけど、相手を褒めるって、自分が良さをわかるものしか褒められない。」
妻「あ〜確かに。」
夫「だったら、自分の周りに文系の人間がいなかったら、文系の要素を褒められる人間がいない。
理系の人間がいたら、理系の部分をある程度褒めてもらえる。そしたら数学だけが、理系的部分だけが、自分の持ち味なんだってなってしまうよね。」
妻「それはあるね。」
夫「相当残酷だね。」
妻「ある意味、親が理系か文系かでそうなっちゃうってこともない?
私の母親が理系だから、私理系に行った説あるわ。」
夫「それって自分の文系的能力が低かったからじゃなくて、褒める側の文系的能力が低くて良さがわからないからだよね。絵とか作品に対しても、全部そうな気がして。」
妻「あー。あとは多分、言語化の問題だと思う。」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
続きはvol.2で!