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【ネタバレ有】【感想】ガンダムSEED FREEDOM を観て

まず、この感想は愚痴というかなんというかが含まれるので注意されたし。
映画を見てから2週間ほど経ってから書いているので、一部うろ覚えの箇所もあり。

ガンダムSEEDシリーズの思い出

何を隠そう、筆者が初めて見たガンダムはSEEDだった。
当時は、キラとアスランの確執、地球連合の内情などよく分からず「ロボットかっこいい〜」くらいの気持ちで観ていた。

それでも、作品の各所に散りばめられている「責任論」のようなものは、心のどこかでずっと引っ掛かっていて、人に優しくする時や少しだけ勇気のいる行動をする時は、イザークやラクスの言葉が脳裏によぎっていた。

そんな、人格形成にしれっと影響した作品だからだろうか、映画化の話が出た時は手放しで喜ぶことができなかった。

感想 〜最高の思い出映画〜

映画は、デスティニーの最後から数年後の出来事が描かれる。

前作までの主要人物は、その多くが「コンパス」という新組織の一員となり、新たな敵「アコード」との戦いに身を投じていく。

登場人物それぞれが青年から大人へと歩みを進めた事で、考え方や人間関係に成長を感じる一方、キャラクターらしさや「こうあって欲しい」といった視聴者の想いを反映した”行き届いた”描写や台詞回しには大満足だった。

特に、中盤まではコーディネーター周りの新設定も(テレビシリーズの頃から他ガンダム作品のパロネタが多かったこともあって)素直に受け入れられていたため、心から楽しめていた。

この時まではー。

終盤 怒涛の展開に心が追いつかない

まず、筆者最大の失敗は映画視聴前にガンダムSEEDシリーズをNetflixで全話視聴してしまった事だ。

十数年ぶりに観たSEEDは、思ったより身勝手な理由で戦局をかき乱していたクルーゼと、ひたすらに不憫なフレイで心がボロボロになった。

まだ、ストーリーをよく飲み込めない幼少期に観た作品だったからいいものの、多感な思春期にこれを観ていたら「人間の醜悪」の連続に塞ぎ込んでいただろう。

消しても消しても、また新たに吹き出す争いの火種は、人間の性が「人々が平和を望んでも顔を突き合わせればまた互いを傷つけてしまう」愚かさ、獣性にある事をまざまざと見せつけてくる。

前作までは、そんな人間の克服出来ない愚かさと、それでも一人の人間としてなら向き合い分かり合うことが出来るという可能性の葛藤を、キラ・ヤマトや他の主要人物の視点から見事に描いていたが、そんなテーマ性のためか作品内の展開はいつでも喪失感と無力感に満ちていた。

筆者としては、テレビ版では描かれなかったこれらの葛藤に一応の決着がつけられるものと期待して映画を観に行ったが、映画の決着はそれとは程遠いものだった。

細かいところは書かないが、終盤の展開はキャラクター崩壊、作品のテーマ性の破壊としか言いようがなかった。

さながら、「こんな作品みて平和を考えた気になるなよw」と現実を突きつけられた気分だった(まぁ、それはそうだ。こんな映画に1,500円も払うなら、適切な機関に寄付したほうが世界のためになる)。

テレビ版を観て、登場人物の葛藤を通して人格形成をしてきた人間には、このメッセージは少々酷だった。

「あんまり深く考えんなよw」「現実に目を向けようぜw」は、同じロボットものでは「エヴァンゲリオン」のテレビシリーズ版最終回や、「シン・エヴァンゲリオン」にも共通したものがあるが、シンエヴァが「卒業」と題してキチンと心構えをさせてくれたのに対し、SEED FREEDOMは視聴者を作品の土俵に乗せた上で背後から刺してくる悪質さがあった。

個人的には、エウレカセブンハイエボリューションEUREKAよりは、視聴者に歩み寄っていたので楽しめはしたが、心に負った傷は大きかった。

(EUREKAに関しては、傷を負えるほど入り込めなかったのかもしれないが)

最後に

ここまで批判的なことばかり書いてきたが、こうなったのも全て「テレビシリーズを全話視聴して気持ちを作ってきてしまったから」であり、期待した答えが用意されていなかったから故の子供のわがままだ。

この作品はもっと「好きな(だった)キャラクターのその後が見たい」「あの世界を久しぶりに見たい」くらいのライトな気持ちで観るべきで、そうしていればもっと楽しめていたのだろう。

久しぶりに昔の恋人と再会した時は、クドクドと別れた理由など話すべきではなく、互いの健康を確認したら早々に元の日常に帰るべきなのである。


追記:愛がテーマなのは分かっているんですよ。分かってはいるんです。そういうテーマの話ならいいんです。
人が人を愛するという普遍的な相互理解のプロセスで、デスティニープランのような能力によって人が人を選別して人生を意図的に仕組むようなシステムでは、そもそもこの人類が持ちうる最も原始的な相互理解のプロセスすら否定してしまう。

その上でも、それが答えなのかと。

あまりにテレビ版で亡くなった人たちの想い(憎しみも未来に託す想いも)置いてけぼりにしていないか?

と思ってしまうんですよね。キラ達がこれからも戦う決意を固めた。それで終わりでいいのかと。

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