大人になること、そして無限大の可能性と成長【デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆 感想】
これは回顧録ではない。
僕らとデジモンたちとの新たなアドベンチャーである。
デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆を見ました。劇場版デジモンアドベンチャーや僕らのウォーゲームを彷彿させるシーンの数々、選ばれし子供たちが成長し大人になっている様子、デジタルな演出を盛り込んだ戦闘...…。実はそこまで期待してなかったのですが、同じデジモン世代の友人に勧められて見てみると、素晴らしい映画でした。
ただ最初に見終えた後は、子供のころに大好きだったデジモンとの終着点がパートナーデジモンの消失なのか、大人になるには昔好きだったものと別れなければいけないのか、と悲しく納得できない気持ちが拭えませんでした。
しかし改めて映画を見返したり、ほかの人の感想・解釈を見ていると、この映画は決してそんなメッセージを伝える映画ではなく、むしろ大人になったても可能性を諦めないことの大切さを伝えてくれる映画であると思いました。
パートナーデジモンとはもう会えなくなったのか?
まず大大大前提なのですが02の最終回を思い出してほしいです。思い出せない人はU-NEXTに入って02の最終回、最後の5分を今すぐ見てほしい!
今、すべての人々にパートナーデジモンが存在している。
だが、そうなるまでの道のりは平坦ではなかった。
こうタケルが語り、太一の隣にはアグモンが、ヤマトの隣にはガブモンがいるのです!これは、決してLAST EVOLUTIONのパラレルワールドなどではなく、LAST EVOLUTIONから続く未来であると自分は確信しています。太一たちはあの後、平坦ではない道のりを乗り越えて、アグモンやガブモンと再会することができたのです。
(メタ的な話もすると、LAST EVOLUTIONには02のメンバーもしっかり出てくるし、02の最終回で宇宙飛行士になっていたヤマトがLAST EVOLUTIONのエンドロールで宇宙センターにいたりと、製作スタッフが02の最終回を忘れているわけがない)
じゃあなぜパートナーデジモンは消える必要があり、どうすれば再会できるのか?
いずれ再会できるなら、なぜパートナーデジモンは消えなければいけなかったのか。これは非常に素晴らしい解釈をしている方たちがいました。
太一たちが本当の意味で大人になるには、時には友達のようでいて、ペットのようでいて、弟のようでいて、親のようでもある、頼りになりすぎるパートナーデジモンから一度離れなければならなかったのではないでしょうか。
大人になったからデジモンが消えたのではなく、大人になるためにデジモンは消えたのだと思います。
じゃあ、何のためにパートナー関係の解消が必要なのかと言えば、大人になると可能性が消えるから…なんてものではなく、ここからは完全に妄想なんだけど「人生の岐路で、邪魔にならないように一時的に消える」んじゃないかな。
選ばれし子供たちが大人になるとき、パートナーデジモンがいると頼ってしまい自立・成長が妨げられます。それを防ぐために一時的にパートナーデジモンは消え、また共に成長できる未来が来たときに戻ってくるのです。
これは劇中でもそのように解釈できるヒントがあります。エオスモンがアグモンガブモンの最後の進化で倒される直前のシーン、人工的に作られていままで感情を持ってなかったように見えたエオスモンが、モルフォモンとおなじ口元でメノアに対して微笑みます。メノアは悲しみにとらわれるあまり気づけなかったけど、エオスモンは帰ってきたモルフォモンだったのではないでしょうか。ただ、メノアはあの頃に戻りたいと思い続けて未来が見えてなかったために、モルフォモンも歪んだ形で戻ってきてしまったのです。
進路に悩んでいた太一とヤマトも、アグモンガブモンが消えてしまった後、社会に向かって歩き出します。大和は宇宙飛行士に、太一はデジモンと人間をつなぐ外交官を目指し始めるのです。そして大人になっても宇宙へ行く、デジモンと人間をつなぐ、そんな可能性と成長を信じて進み続け、また共に成長できるようになった先でアグモンガブモンと再会するのでしょう。
LAST EVOLUTION 絆 のメッセージ
パートナーデジモンは「可能性と成長」を象徴するものです。02最終回までの流れまでを考えてこの映画を見ると、伝えたいメッセージは「可能性と成長を失い、 僕らは大人になっていく」では決してなく、「大人になった僕らは、たとえ一度失ったとしても、また無限大の可能性と成長"を持つことができる!」ということになります。
これはデジモンから選ばれし子供たち、つまりデジモンが好きだった私たちへのエールなのです!