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東ドイツで作られていた車の話

このnoteはアジア車いす交流センター(WAFCA)のスタッフが交替で書いていく交換noteです。

本日担当の関谷 司です。

アジア車いす交流センター(WAFCA)は、車いすと教育を通じてアジアの障がいの子どもたちの自立とバリアフリー社会の実現を目指して活動している認定NPO法人です。

はじめにお知らせがありまます。

WAFCAでは、新型コロナウイルス対策緊急支援として、皆様からご寄付を募っています。WAFCAの活動国であるタイ、インドネシアでも障がい児の家族が職を失い、厳しい生活を強いられています。障がいのある子どもたちと家族の生活を支えるため、緊急支援にご協力をお願いいたします。

8月末までに200万円を目標に寄付を募集しており、8月5日現在、100万円のご寄付が集まっています。

ついに目標金額の50%となりました!
本当にありがとうございます。目標達成に向け、引き続き広報に力を入れていきます。よろしくお願いします。

こちらのサイトよりお申し込みいただけます。ご協力お願いします。


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さて、今日は車に関するお話です。
現在、私は自動車部品会社デンソーからWAFCAに出向しているわけですが、そもそも、なぜ自動車業界に就職したかと言いますと、理由は単純で子どもの頃から自動車が好きだったから

小学校3年の時に父の仕事の関係で豊田市に引っ越してきました。豊田市と言えば、トヨタ自動車の本社所在地。
50年以上も前の話になりますが、当時トヨタ本社から歩いて15分のところに住んでいたこともあり、トヨタの本社ビルに展示されていた新型車をよく見に出かけました。
大人になったら、こんなカッコいい車に乗りたい!」と子供心に思ったものです。
当時、車は大人だけでなく、子どもにとっても豊かさの象徴であり、あこがれの存在でした。

ドイツが東西に分かれていた時代に作られていた車の話なのですが、皆さんはドイツ車についてどんなイメージをお持ちですか?
たいていの方は高性能、高い安全性、高いブランド力といったところではないでしょうか?
私も同様でベンツ、BMW、アウディ、ポルシェなど、もし宝くじでも当たったら、すぐにでも買いたい車ばかりです。
今さらですが、「ゲルマン民族はやっぱりすごい!」と思ってしまいます。

ご承知の通り、ドイツは第2次世界大戦後、東と西に分かれることになり、自由主義陣営の一員となった西ドイツでは先に名前を上げた車は、どれも時代と共に着実に進化を遂げていきました。
一方、社会主義陣営に組み込まれた東ドイツではそうはいかなかったようです。
1台の小型乗用車を例にその様子をご紹介しましょう。

その車の名前はトラバント、ドイツ語で「衛星」という意味です。トラバントの外観は以下の写真の通りです。

1958年から1991年までの33年間、大きなモデルチェンジもされることなく、生産されていました。
(ベルリンの壁が崩壊し、1990年に東西ドイツが統合した翌年まで製造されていたようです)

このトランバントという車には、数々の逸話が残されています。そのいくつかを紹介しましょう。

1. 車のボディはボール紙製?
ボディはボール紙で作られていたので、西側諸国では田舎の農道に駐車しておくとブタやヤギが近づいて来て、ボディをむしゃむしゃ食べてしまうとか、車庫に入れておくとネズミがかじってしまうという噂が、流れていました。
(ただ、この噂は間違いで本当はボール紙ではなく、薄いプラスチック製でかなり品質が悪かったそうです)


2.ボンネットを開けないと給油ができない!
これは本当の話ですが、燃料タンクがボンネット内のダッシュボード前方に置かれており、給油時はボンネットを開けなければいけなかった。
また、燃料タンクは、エンジンよりも高い位置に設置されており、燃料は重力による自然流下で供給されていたようです。
シンプルと言ってしまえば、それまでですが、エンジンと燃料タンクがこんなに近いところにあったら、正面衝突事故でも起こしたらどうなるか? ちょっと怖いですね。 

3.発注しても届かない!
この車、発注してから納車されるまでの時間がどれくらいかかったと思われますか。1年待ち?2年待ち? 
いえいえ、そんな生易しいものでありません。平均でも12~13年、最長では17年もかかったそうです。ですから東ドイツ国民は結婚時に車を発注することが多かったとか。つまり、「12~13年後に家族が増えた時、家族の移動の足として使えるように」とのことだったのでしょう。

いかがですか?世界に冠たる車を世に送り出してきたゲルマン民族でも一時的とはいえ、社会の体制が変わってしまうと車づくりでもこんなことが起きる。東ドイツと西ドイツではこんなに大きな開きが出てしまったことに少なからず驚きませんか?
私は、政治や社会体制について、あれこれ言うほど見識を持ち合わせていませんが、このトラバントに関する逸話を読むと、いろいろ考えさせられるものがあります。

卑近な例ですが、私は入社してから40年が経ちますが、これまで出向先も含めていろいろな職場で仕事をしてきました。
それぞれの職場環境は違っていて、その風土、雰囲気もさまざまでした。
中にはその職場に異動した際。「不思議だな?何でこんなやり方をしてるの?」と尋ねても、「以前からそうなっています」、「自分の担当ではないので知りません」という答えが返ってくる職場もありました。
特にロケーション的に離れている職場はこの傾向が強い気がします。
こうゆう発言が飛び出す職場はたいてい活気がなく、職場の空気も澱んでいます。外部からの刺激が入ってこないので「何も変える必要がない」という意識が浸透しきっているのでしょう。
国でも会社組織でもその環境によって、いかようにも人は変わってしまう。怖いですね。

WAFCA事務局は、小さな仕事でも 「これで本当にいいの?」、「こう変えるべきなんじゃないか?」、職員からこんな発言が自然に出てくる職場風土を失わないようにしたいと思います。
ドイツ車に例えるなら、一向に進化しないトラバントではなく、目標に向かって疾走するBMWのような職場を目指していきたいと思います。

車の話をつらつら書いていたら、だんだんドイツ車が欲しくなってきてしまいました。
でも、我が家で国産車からドイツ車に買い替えたいなどと言い出したら、やっと梅雨も明けたのに我が家の中では血の雨が降るだろうな~(笑)

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