そろそろ語ろうか(其の壱)
2016年2月末、スクウェア・エニックスを離脱して数か月になり、これまで伝えられなかった事もお話しできる立場になりました。 証券時代16年、ゲーム時代16年と、気がつけば中々の古参。 改めて見渡すと、アーケードゲーム、家庭用ゲーム、PC、スマホゲームと全ての時代を経験し、かつグローバル展開を行っていた方がほとんどいらっしゃらない事に気づきました。
またこの間、経営者として、業界リーダーとして、数々の貴重な局面に立ち会っています。 事実を忘れてしまったり、自分の都合のいいように記憶を塗り替える前に、皆さんにお話しする意味があると思いました。 経営者は、その足跡について1ミリ単位で説明できなければならないというのが、私の持論です。 無論、その時々の事実認識には個体差はあるでしょう。また、戦略実行にあたっては、様々な方が関わりますから、各人の視点によって、同じ事実でも見え方は異なるでしょう。さらに、実行の効果については運も多分に影響し、因果関係が判然としないケースも少なくありません。 しかしながら、あくまで和田視点ではありますが、私が何を考え、どのように行動してきたかは、ケースとして参考になるのでは考えます。
以下は、先般黒川塾35(2016年5月31日)にお招きいただいた際の対談録です。 できるだけ忠実に再現しましたが、まとめた方が分かりやすくなる個所はまとめました。また、当日話さなかった若干の補足は括弧書きで加筆しました。
デジキューブ顛末
黒川(以下、全て敬称略):今日はどうもありがとうございます。 和田さんとは、私がデジキューブにいた2003年くらいにお会いしています。ご存知ない方もいらっしゃるでしょうが、スクウェアおよびプレイステーション(以下、PS)のコンテンツをコンビニで販売するために当時のスクウェアが創業した会社です。 確か宣伝費の仕掛部分を当時財務責任者だった和田さんにご相談に行ったのが最初でした。その時には「人を寄せ付けない雰囲気」を感じました、いろいろお立場もあったのでしょうが。
(ちなみに2003年には私はCEOでしたからもっと前にお会いしていたのでしょう)
和田:ゲーム業界において開発者間での情報交換は相当よくなってきました。大手からインディの方々まで交流が素晴らしく、この10年で隔世の感があります。 一方で、ビジネス面の情報交流はほとんどなく、さらに、業界で本当は何が起こっていたか、当局とどんな話があったかについては、門外不出になっています。 幸いにも私がスクウェア・エニックスを離れ、全くニュートラルな立場で話ができるようになりましたので、何かお役に立てるのではと思いました。 今日、黒川さんに呼ばれて来たのもそのためです。
デジキューブについても、お話しするのは今日が初めてですね。 スクウェアやカプコンさん等からゲームソフトを買い取ってコンビニに卸すと、簡単にいうとこういう商売です。 私が2000年にスクウェアに着任した時は、デジキューブは公開直後で、最短公開という事もあり、脚光を浴びていました。
ところが調べてみると問題があった。ゲーム会社からの仕入れは返品できないにも関わらず、卸し先であるコンビニからの返品は100%受付ける契約になっていたのです。市況が良い時はいいのですが、悪くなった瞬間に一気に在庫が積みあがる構造。これは契約を変更しない限り改善しない。しかし、取引先に対するそれまでの約束を突然ひっくり返すのは難しいですよね。 そう思っていたところで、一瞬少しだけマーケットが悪くなった(ちょうどその頃はPSからPS2への端境期)。これはやばいと感じました。
後程お話ししますが、当時のスクウェア自身が伸るか反るかの状態だったので、連結対象になっているデジキューブに万一の事があったら道ずれでドボンなんですよね。従って連結対象から外しました。 デジキューブや周りの人達からは、お前は鬼か! 親の責任はないのか! とか、傲慢だ! ファイナル・ファンタジー(以下、FF)を卸してくれればいいだけじゃないかとか散々言われました。しかし、そういう問題じゃなかったんですよね。
(ちなみに、実際に行ったのは一部株式を売却してフル連結対象から外しただけで、取引も資金も以前のままでしたから、悪口を言っていた人は内容が分からず騒いでいただけという事になります。またFFについても、極端な傾斜配分はしないというだけで、通常以上の取引は継続していました)
問題は、経営陣をはじめとしてBS(バランスシート)を使っているという意識がなかった事にありました。それが証拠に、キヨスク端末の設置を開始した。しかも全部自腹。 そうでなくてもBSを使う商売になっていたのに、トドメで大規模な投資活動を実行した。これはえらいこっちゃと正直思いました。その時のマネジメントの方々にもお話ししたんですけど、なかなか分かってくれません。コスト削減しているからいいじゃないかという反応で話が噛みあわない。 デジキューブを連結対象から外したのはそういう理由ですね。
その後、2004、5年だったかな、マイナス売上が計上されましたね、公開企業でこんなケースは初めてみましたけど。さらにその何期か後に自己破産しました。 残念ながら、判断は間違っていなかったと思います。
黒川:そうですね。11月23日ですね。 TSUTAYAさんに支援を仰いだりとか、それなりに延命を試みたんですよね。 ただ結果的に最後はFFが出ないみたいな理由で…
和田:ですから、FFが出ようが何が出ようが一緒だったんです。問題のすり替えですよ。 BSを使っているのにフローのみが重要だとビジネスサイドが勘違いしていた。ファイナンスの道が途絶えた瞬間にアウトになるという事業構造こそが問題だったんですよ。
ただ一方ですね、デジキューブは、サービスとしては非常に新しかったんですよ。 例えばゲームのキュレーターみたいな事をやっていましたね。 テストプレイをして、これがこう面白い、プレイしましょうなんて風に、既に出ているタイトルにつき自分達で価値を付けて売っていた。こういう流通業者はなかったですね。 また、なかなかのアイデア商売で、例えばスクウェアもそうですけど、本来ゲーム屋はネタバレを嫌がるところなのですが、キャラのレベルをMaxにして、ウォークスルーを収録したビデオなんかも売っていましたよね?
黒川:やっていましたね。プロモーションの番組を作っていて、それを週ベースで更新していたんですよね。
和田:今ではニコ動やYou Tubeで皆やっていますけど、あれ2000年でしたからね。着眼点が凄くよかった。
実は、デジキューブは企画会社だったんですよ。従って、BSのリスクを回避する施策を採れば全然OKだったんですよね。 2005、6年ぐらいまで粘って、あのアイデアをネット時代に持ち込んでいたらかなり化けたはずなんです。
黒川:コンビニの流通を使ったというメリットもあれば、逆にデメリットもあって。バランスが崩れたような状況での経営をせざるを得なかったというのが大きいですよね。
和田:これまで、デジキューブを潰した犯人は誰だみたいな話題しかなく、何が良くて何が悪かったかマトモな話がなかった。そのために、その後の業界に知見が活かされていないのが残念です。 不味かったのは、経営陣にBSを使っているという事業構造への自覚がなく施策を誤った点。良かったところは、ネット的な流通アイデアですね。
仮に、ネット屋の誰かがあのアイデアを拾っていたら、TwitchやSteamは日本から出ていたと思います。だって一番早いんだもん。あの時に、世界中何も考えてなかったでしょ? あの時のデジキューブの発想はめちゃくちゃ新しかったです。だけど破産がネタになっただけできちんとした議論にならず、その後に活かせなかった。日本的な損失と言ったら大げさですけど、本当にもったいなかったと思います。
黒川:今でこそコンビニで主要なタイトルは買えるようになりましたけど、そういうインフラを持ったのは、ゲームにとっても、色んなエンタテインメントのコンテンツにとってもプラスになったと私は思っていますけど。
和田:そうですね。
スクウェアのターンアラウンド
黒川:その頃に和田さんは社長という大任を拝命するわけですけど、FF映画の失敗、ハワイのCGスタジオ、大量の子会社と大量の採用ですよね。デジキューブすらかまえなくなったと言ったら失礼ですが、とにかく大変な時期だったと思うんですけど。
和田:当時のスクウェアについては映画の話がよく出ますが、映画だけじゃなかったんですね。内情は相当酷い事になっていました。
2chでは、和田が来たからクリエーターが辞めたなどとディスられていましたが事実無根で、2000年になるまでに既に相当離反していましたね。私が着任した2000年5月には、それを見たアドミスタッフまでもが脱走し始めていて、着任前後半年で、経理部長、営業部長、広報IR部長、法務部長、知財部長等、管理職クラスが続々と退職していました。ここまで傷んだ会社は見た事がありませんでしたね。
一体これは何なんだと、実態を調べました。 スクウェアというのは、いい意味でも悪い意味でもアグレッシブな会社でしたから、新規事業に注力していました。 一つはデジキューブで、これは公開まで持っていきました。もう一つはPlay Online(以下、POL)というオンライン事業。それから最後に映画。この3つです。
ところが本業のパイプラインがびっくりするくらい貧弱だったんですよ。着任時点では、直後にリリースしたFFⅨと2年後くらいに出るFFⅩ、それから年内に出ましたけど劇空間プロ野球、バウンサー、これで終わりなんです。つまりFFⅨとFFⅩ以外大きな売上が見込まれるタイトルがないという凄い状態でした。
本業と新規事業のバランスが滅茶苦茶。新規事業に関しても狙いは各々悪くないのですが、ビジネスの組み立てが良くない。
デジキューブもそうですよね。アイデアはいいが、自己資金をドンドン使う商売にしてしまっていました。お金を稼ぐよりもお金を使う側になっていました。
それから映画も、そもそもリードタイムが長すぎる。それに劇場公開というスキームですと、P&A(printing & advertising expense)と言いますがハリウッドマフィア達にばーっと宣伝費をばら撒かされるんですよね。だから一見華やかだが手残りがない。大金がかかり、それ自体大変な負担なのですが、仮にライセンス等で事後的にぎりぎり収益が上がるとしても、最初に金が入らないという事で回収タイミングの問題もある。
(敗因は映画製作専属部隊+劇場公開にあったと理解し、次回作では、社内CGチームで映像作品を作り、DVDをゲーム流通で販売することにしました。この成功によって仮説が検証されたと思っています)
最後にPOL。2000年当時の発想ですとエンタメポータルという事になる。エンタメポータルを成立させるためにいろんなコンテンツを呼んでくる訳です。例えて言えば、お寺を経営している人が、檀家を増やしたり寺へのお布施を稼ぐために、境内にたこ焼き屋を招き、金魚すくいを呼び込んで縁日を開催する、太鼓を叩ける人に来てもらって祭りを盛り上げる。その結果として、お寺本業の収益向上を図るという事ですよね。ところが、スクウェアは、たこ焼き屋さんには僕がお金を払うから来て下さい、太鼓を叩ける人には私が出演料払いますと言い、コンテンツを全部自腹で展開しようとしていたんです。
つまり、どの新規事業も、確固とした収益モデルを作らないまま、ひたすらお金を持ち出す事業になっていた。じゃあ本業はどうかというと、これまたいつ稼げるかわからないパイプライン。もう選択と集中しかなかったんですね。 勿論、何に集中すべきかは、慎重に検討しました。
デジキューブは、改善方針は策定できましたが、私自身が責任をもって経営する立場ではないのでフル連結から外し、自助努力でお願いしますと。
映画事業に関しては、本当は残したいので、2作目、3作目の準備がどこまで出来そうかという観点で詰めました。ところがアテがない訳ですよ。となると、2作目に何を作るか決め、スポンサーを確保するまでの間、何も仕事がない状態で、1、2年も200数十人をハワイに抱えておかねければならない。それはどう考えても無理だろうとシャットダウンしました。
POLについてはまずは下血を止めなければならなかったので、コンテンツ屋さんに次々に断りにいきました。集英社の鳥嶋さんと初めてお会いしたのもこの時です。「初めまして、ところで、これまでの話はなかった事にしてください。」最低な奴が来たって言われましたね。
私として、これら全ての新規事業の中で何を選んだかというと、POLの中の自社キラーコンテンツだったFFⅪでした。 MMORPGだけは齧りつこうと思いました。これはこれで凄いリスクなんですけど、専らここに人的資源を集中させておき、一方でオンラインゲームのビジネス的なリスク回避策を必死で考えました。
ドタバタでしたが、着任以降3年経って蓋を開けてみれば、エニックスと合併する直前期は、スクウェア創業以来最高益で締める事ができました。 私にとっての第一期、ターンアラウンド時代の完了ですね。
先程ご質問の社長就任の件ですが、私は元々は長居しないつもりだったんです。 そもそもゲーム会社は開発の方がトップを張るべきだと考えていました。ただあまりに内実が酷かったので、CFOとしてちゃんと事業を整えてから去ろうと思っていました。
黒川:開発者の発言力って大きかったですよね?
和田:スクウェアについてはよく言われるポイントですね。 私は、開発が主張をする事自体はいい事だと思っています。ただし、リーダーがいなかったのが問題でした。
坂口さんくらいの実績とリーダーシップのある方が日本不在という事になると、権限の所在が曖昧になり、次にリーダーシップをとる人がなかなか出てこられない(当時、坂口さんは副社長かつ開発全権でしたがハワイ在住で来日は月に数日)。その内に彼自身退職してしまうのでリーダー不在状態が継続してしまいます。組織としては問題でしたね。
もっとも、より本質的な問題は、パイプラインの持ち方、戦略面でしたから、開発の発言が強い弱いとはあまり関係がなく、ビジネスサイドの問題だったという認識です。 ただし、開発リーダー達は致命的な事はしていないものの、次のデバイスが何かとか、ネット時代にどうするかといった変化に対して切り替えの遅い人が多かったのは事実です。
黒川:スクウェアに見切りをつけた人がいて、和田さんがたった一人で残ったという状況ですよね? それで社長を拝命したのですか?
和田:偉そうにたった一人で残ったとは思っていませんが、着任後1年経過した頃には、CFOの立場でありながら、実質的に全社の改革を推進していました。 しかしながら取引先との契約の再整理をバサバサ実行するためには、どう考えてもCFOの肩書では決定力に欠ける。
そこで、創業者かつ筆頭株主の宮本さんに直談判に行きました。「このままでは間に合いません。僕が代表をするなら何とかしますが、ダメなら責任とれません」。宮本さんの答えは「君にはまだ早い」。早いとは何事かと思ったものの、確かに宮本さんはまだ私とのお付き合いもわずかでしたから、任せるのは怖いでしょうね。 そりゃそうだなと思い、代表権だけもらうことにしました。 結果、代表取締役COOという呼称になり、数か月後、既定路線のように代表取締役CEOになったという事なので、拝命されたというよりは、こちらから出しゃばって取りに行ったという感じでしたね。
黒川:元々、宮本オーナーとの接点はあったんですよね?
和田:全くありませんでした。 何人か共通の知り合いがいて、偶然に宮本さんを紹介されました。 最初の採用面談はヴィーナスフォートの隠し部屋ですよ。
黒川:宮本さんは四国の大金持ちで、ヴィーナスフォートを仕掛けたり、アパレルのブランドとかお持ちで賑やかにやっていましたね。
和田:そうなんですよ。 非常に事業意欲が高く、センスのある方という印象を持ちました。 しかし、仮にお引き受けするのであれば、私も居心地の良い当時の会社を辞める以上、この方だけに生殺与奪を握られるのは嫌だなと。別に報酬はどうでもいいから取締役にしてくれと言ったんですよ。 取締役であれば仮にクビになるにしてもなぜ切ったかの説明が必要なはずだから。パフォーマンスがあがらなかったら仕方ありませんが、そうでないのに、密室で、単なる気分で切られたらたまりませんからね。 これにはスパッと答えが返ってきて、じゃあどうぞという感じで。 すごく思い切りのいい方でしたね。
スクウェア・エニックスの誕生/成長戦略
黒川:そういう逆境の中でやってきて、次の段階でエニックスとの合併があるわけですけど、スクウェアはスクウェアで立ち直ったのに、なぜRPG両巨頭の会社が1つにならなければならなかったんですか?
和田:スクウェアは、90年代の真ん中から後半にかけて大スターだったのですが、2、3年で凋落しました。 振れ幅が凄かったのですが、市場環境自体は良好で、ほぼ一人負けの状態でした。環境については安心していられたので、思い切ったターンアラウンド戦略を実行することができました。
第一ステージの終わりが見えてきた頃から、第二ステージ、すなわち成長戦略をいかに設計するかに重点を移していきました。 成長戦略立案の際にテーマとして考えていたのは、お客様との接点を増やす事と、グローバル展開でした。
お客様との接点を増やすという問題意識をなぜ思ったかですが、黒川さんは覚えていると思いますが、スクウェアは非常に特殊な会社で、PS以外にタイトルを供給していなかったんです。 任天堂さんについては、私が取引を再開するまで、8年間出入り禁止で、そもそも供給できなかったんですよ。京都の地は踏むなみたいな。 また、こちらは相手から言われたわけではないのですが、セガさんにもマイクロソフトさんにも供給していませんでした。
ソニーさん限定であることによって何が起きていたかというと、ゲームコンソールが限定的であるだけではなく、PC市場も落ちるわけです。また当時のPSにはハンドヘルドがありませんでしたから、全部据え置き型になります。自ずとゲームデザインも収斂してしまう。さらに、当時の大手ゲーム会社は大概アーケードゲームも作っていましたが、それもなし。物凄く限られた接点しかないという事になる。ジャンルもRPGがほとんどでしたから多様性を持たないとさすがにしんどいと思っていました。
もう1つはグローバル展開です。 スクウェアはグローバル展開に強そうに見えていましたが、実際にはアメリカについてはElectronic Artsとのジョイントベンチャーで販売し、欧州ではソニーに売ってもらっていました。 販売は自前ではなかったんですね。開発拠点も国内のみでした。 私としては、その頃、欧米が伸びていくと確信していましたから手を打つ必要を感じていました。ちなみに、当時、中国はまだ見えていませんでした。
さて、成長戦略の柱としてM&Aを念頭に置いていましたから、何社かターゲットを考えていました。 そんな中、2002年頃のある日、エニックスの社長だった本多さんが、一緒になりませんかと言ってきました。 実はエニックスは当初考えていなかったので、言われてみて改めて検討しました。 すると、見えていなかった新興市場である中国に展開している。また、スクウェアでもネット系のゲームに注力するつもりでしたが、その分野への対応もPCで既に進めている。さらに、スクウェアで始めたばかりの携帯電話につき、一定のプレゼンスを持っている。
そうか、中々接点が多様だぞと。ゲームセンター以外ほとんど着手していましたね。結構面白いかもしれないということでエニックスと一緒になる事にしました。
(2001年前半、ナムコ中村さん、エニックス福嶋さん、スクウェア宮本さんが、“オーナー・アライアンス”と称して、各々の株を1、2%ずつ持ち合い、次世代の社長に交流を促すという動きがありました。しかし、スクウェア側の参加者は当時CEOであった鈴木さんであり、私は全く関与していませんでした。スクエニの誕生は、オーナー・アライアンスとは別軸で成立しています)
黒川:その後の展開では誰かのご紹介があったのですか?証券会社使うとか。
和田:いやいや、私はM&Aに証券会社を使った事は一度もありません。 勿論、手続き上は噛んでもらわなければならないのですが、交渉、スキーム設計等、全て自分でやりました。
また、エニックスと合併して核を作ったら、以降は、買収して傘下にぶら下げるか吸収するかどちらかでいこうとも、最初から決めていました。
(グループのブランディングの方針を考える際、これは非常に重要なポイントでした。M&Aを戦略の主軸に置いた時、初めにこの方針を決めておかなければ、べたべたと横に繋っていってしまい、いつまで経っても企業のアイデンティティが固まりません)
まずはゲームセンターのタイトー。 アーケードの部隊とビジネスモデルの変革が狙いでした。 後者については、その頃定額じゃない課金の在り方を模索しており、当時はフリートゥープレイ(以下、F2P)という概念が浸透していなかったので、いわゆる従量課金ですね、これをグループ内に移植したかった。
(当時の割と正確な記事です http://japan.cnet.com/news/biz/20086544/ )
もう一つは Eidos ですよね。 欧米土着化の狙いに加え、開発技術取り込みの観点が大きかったですね。 RPGの文法は当時ある意味固定化していましたから(いわゆるJRPG)、自由度の高いアクション系のゲームを作る技術はスクエニ内製部隊にはなかった。チューニングの仕方も全く違います。 当時、リプレイバリューが市場に意識されるようになっていましたが、RPGだと長く何度も遊んでもらうためには、その分アセットをバンバン投下しなきゃいけない。新しいダンジョンができました、新しいキャラができました…出しても出しても消化されちゃうんですよ。ところがアクションゲームだと全然違う展開になっていきます。アクションゲームそのものが欲しかったのではなく、アクションゲームの開発技術、文化が欲しかったわけです。
あともう一つはIPですね。その頃、今後はネットワーク中心の世界になると確信していました。ネットワークの世界になると、強いIPか弱いIPかはどうでもいいのですが、そもそも自分のIPじゃないと勝負にならないと考えました。なぜならコンテンツを頻繁に改変しなければならないから。例えばパッチあてる度にいちいち、これいかがでしょうか、なんてやっていたら仕事になりません。また、コンテンツの一部を切り取って派生商品を作る事もできませんよね。従って、まずは自社IPを保有している会社をM&A対象と考えました。 となると、欧米企業はその時点で候補から相当落ちるんですよ。その中で圧倒的に自社IPが潤沢だったのがEidosとUbisoftでした。 この2社には凄く関心があったのですが、当時円安で高かった。Eidosも、2000~3000億円していましたね。ところが2007年にリーマンショックが起きます。株は暴落するわ、円高になるわで、200億円台になったんですよ。これは速攻買っておこうと。
黒川:完全に買収して傘下にしちゃったんですよね?
和田:そうです。 タイトーについては、アーケード運営はカルチャーが違いすぎるので、分割統治が良かろうとそのままぶら下げました。 一方、Eidosは、ブランド名は残しましたが、会社としてはスクエニに完全に吸収、融合しました。
黒川:タイトーは、スクウェア・エニックスにおいてアミューズメント事業がなかったから欲しかったという考えもあったんですか?
和田:ありました。
(2000年代後半のゲーム会社は世界中収益に苦しんでおり、欧米企業は概ね赤字、国内はアーケードゲームで辛うじて息を繋いでいる状況だったので、収益面でもアーケードゲームに魅力を感じていました)
また、タイトーも自社IPが多かったですよね。 当時、カジュアルゲームというジャンルが芽を出し始めていました。今はスマートフォンが流行りですが、その前にPCで、Facebook上のZyngaみたいなのが騒がれていました。さらにその前って覚えてらっしゃいます?アメリカの主婦がキッチンでやるゲームが全盛だったんですよ。キャンディクラッシュ等の源流ですね。 タイトーのIPなら、このマーケットに切り込めるなという思惑もありました。
黒川:それだけいろんな会社が交わってくると、経営的に大変なんじゃないかと思うんですけど、今のスクエニさんもそうですけど真ん中の層がよく見えないんですよ。全員フラットな組織に見えちゃって、和田さんは見えるけど、和田さんの次のレベルの人たちの顔とか役職が見えてこないから、多分そこはすごく大変だったんじゃないかと僕は想像してたんですけど。
和田:そうですね、大変でしたね。 スクエニを発足させる直前、2003年3月期のスクウェアの売上が400億円くらいで、結局2010年3月期には5倍の2000億円まで持って行けましたから、第二ステージの成長戦略もうまくいきました。
挫折/スクウェア・エニックスの構造改革
ところがこの間、私がpost merger と新規事業に行動の重点を置く中で、既存事業が痛んできたんです。 当時の Eidos は粗製濫造の傾向がありましたから、売れる売れないというよりもまずはクオリティを上げようと入り込みました。また、タイトーにも、タイトー社長としてどっぷり3年は入りましたね。ということで物理的にも、割と本社を留守にする事が多くなり(CESA会長、経団連著作権部会長も同時期です)、役員さん達にお任せする部分が増えてきました。
ちなみに私は事業にかなり入り込むタイプでしたが例外もありました。例えば田口さんがやってくれていた出版ですよね。ガンガン。これはもう私は何の貢献もしておらず、全部、彼やチームの成果。もう一つはキャラクターグッズ。ちょっとやろうかなと思った時期もありましたが、当時の部長に自分の得意分野に特化するという強い意志があり、彼には実力がありましたから、それもありと認めて介入しなかった。 従って、この2つは私がいてもいなくても同じで無傷。
2011年3月期、それ以外はドカーンときましたね。 顕著なのがFFXIVの大惨事。 それと国内コンシューマ系の相当部分。
黒川:それって和田さんが見れなかった部分ってかなり大きいんですか?ちょっと迷走してた感じはしましたよね。
和田:誰のせいという話はすべきではないと思いますし、私が統括していても出来なかったかもしれませんが、色々起こったというのは事実です。
黒川:プロデューサーが交代したりとか、開発チームが一新されたりとか。
和田:それだけではありません。
少し詳しくお話しします。 第二ステージの成長戦略が終盤になってきた際、第三ステージ、すなわち構造改革に向けてシナリオを作り始めており、まずは、事業セグメントの組み直しをしました。 変化の渦中にあるという前提でしたから、変化対応力と収益力強化の二兎を追い、キャッシュフローでセグメントしたんですよ。これは手前味噌ですが非常にユニークな手法です(コンテンツ内容やIPではなく、ビジネスモデルでセグメントした点がユニーク)。
3階建てにしました。
1階はMMO。 MMOって開発難易度がもの凄く高いんですよ。参入障壁が高すぎて競争者があまりいません。勝ち残りさえすればなんとか行ける。スクエニは、それまでの実績で、そこそこ勝てる能力があったので、MMOタイトルを2本か3本底流に置こうと。長期間かつ高額な開発負担はありますが、一旦リリースすれば、毎月の安定収益になり、仮に顧客数が下落していくにせよ、落ち方が予測できるので手が打てます。これをまず土台に。
その上にクッションみたいにしてF2Pですね、これを2階にする。 最初はPCブラウザゲームから入いりました。これは短い投資、短い回収。ミドルリスク、ミドルリターン。
3階はコンシューマ、いわゆるHD(high definition)と呼んでいるセグメントです。 ここは根本的に変える必要があると思っていました。クオリティは素晴らしいのですが、ディスク販売というビジネスモデルは崩壊すると思っていました。このため、F2Pや、MMOのサブスクリプション(月額定額課金)のモデルをHDコンテンツに移植したかったんですよね。 従って、1、2階が完成するまでは3階についてはテーマに沿ったもの以外積極投資はしない。1,2階で早く成功事例を出して、そのビジネスモデルとお客様との関わり方を3階に浸透させていくという考えでした。
さて、ここで2010年下期です。 3階建てにしようと思っていたけども1階が崩落した。 一方、まだ2階はですね、当時やりはじめてまだ3年くらいかな、今から6年くらい前ですからぐにゃぐにゃしてる状態で。 下は潰れるわ、2階はぐにゃぐにゃだわ、3階は火事になるわ…
2011年は本当にきつかったですね。僕は辞めたいと思ったことは一度もないんですけど、さすがにこの時ばかりは逃げてもいいかなと弱気になりました。あれはきつかったですね。身体にきましたもん。産まれて初めて倒れて、1日だけですが入院しましたね。
黒川:でも、それが今のスクエニの基礎になっているんですよね?
和田:そうです。 結局2010年の終わりから2015年までの5年間は、第三ステージである構造改革を一からやり直したという事です。 途中で社長退任イベントがありましたが、私の中では5年間全く同じ事をひたすら推進していたという意識です。 いまや、その成果も出たのでほっとしています。
まずは土台であるMMOの復活から始めました。 これは建て直しに臨んだ吉田君や、今は辞めてしまいましたが橋本君達がですね、まさに獅子奮迅の働きでした(ここは是非名前を書いておきたいのですが、大活躍は他にも、春日君、高井君、皆川君、祖堅君・・ごめん、切りがないのでこの辺で)。
他方、実はそれ以外のほとんどのメンバーは昔のXIVのままにしました。ここがミソです。開発トップ層のコミットメントがぐーっと上がって、チームが一変した。吉田君が、この辺り大分外で話していますから業界でも共有できていると思います。相当頑張りましたと。 で、ドラゴンクエストの方もそうですよね。皆の奮闘でようやくMMOは何とか仕上がってきた。
同時進行で、F2P事業。 これについては、とにかくコンシューマの人達って、社内外問わず、最初はF2Pを馬鹿にしていましたからね。 例えば当時CESAの賀詞交歓会や東京ゲームショウなんかで私が話すでしょう。もう舐めきっていましたもん。
黒川:CESAの重鎮の方達ですよね?
和田:そうです。 重鎮の方達は冷ややかで、「何だよあれ。すぐいなくなるよ。」みたいな感じでしたね。 私は2007、8年ぐらいから発言し始めましたが、怪盗ロワイヤルが一世を風靡し、それからiPhoneが出て来て、2009年くらいからようやく業界全員関心を持ち始めた。それまでは及び腰。少なくともトップダウン、社命でF2Pに着手していた形跡は、他社さんにはあまりありませんでしたね。むしろ、経営者さん達は嫌がっていました。その中ではコナミさんなんかは動きが早かったですね。
成長戦略自体は成功したのですが、その局面では、戦略のフロンティアを外に持って行き過ぎた。 他にも色々やりましたよ。 学研と組んでシリアスゲーム専用会社を作ったり、STBを設置することなく直接TVでゲームプレイしちゃおうとパナソニックと提携してみたり。でも、ことごとく、私と外部とで走り、本体の人達をあまり巻き込まなかったんですね。 これが私の経営者として未熟だったところです。
それで2010年下期の惨劇になり、あぁこれは罰が当たったんだなと思いました。 一から出直そうと思い、それ以降、完全に回復するまではオーガニックな成長以外を禁じ手として、本体スタッフを教えながら鍛えていこうと腹を括りました。
2010年以降は、勉強会やって研修会やって…本当に教育からやらないと。また、クリエイターだけ教育してもダメで、法務や財務、人事とかも巻き込みました。スクウェア・エニックスは家庭用ゲームで成長してきましたから組織もそれに最適化して設計していました。ところが、2~3年開発期間をかけ、それまで一銭もお金が入ってこなくて、ディスクセールスをして一気に回収、追加的にライセンスするというそれまでの商売のやり方と、F2Pのやり方とは全然違うんですよ。ようやく開発スタッフが理解したとしても、運用スタッフが分からなかったら効果がないし、運用スタッフが分かっても、アドミまで消化していなければ、会社としてはうまく回りません。知識がなければ、悪意なく事業のストッパーになってしまいます。
さらに、試行錯誤の中で得られる知見の蓄積が重要なので、これも手当てをしました。例えばネットワークエンジニアは、あまりスクエニにいなかったのですがどのタイトルにも必須。ある組織にいるネットワークエンジニアが、他の開発チームを手伝うのって凄く敷居が高いですよね。それを社長がバックアップして少数である弱みを補いました。そうして得られた知見の共有の場をまた用意します。
とにかく、凄く細かく現場に入っていきました。
黒川:でもその時にそこまでやったからこそ、今のスクエニさんってマルチプラットフォーム、ほとんど全てで成功されているよう思うし、早い段階でやられていたと思うんですけど。
和田:F2P事業の仕上げ段階では、組織を作るぞと。 タイトル一発当たったからといって評価はしない、持続的に成長する組織にしますということで、2012年くらいから2015年までは徹底して陣頭指揮を執りました。
黒川:かなり和田さんのDNAが花開いたんじゃないですか?結構、アバンギャルドなタイトルもいっぱいありましたし。
和田:仕事のPDCAサイクル、数字の見方から叩き込みましたね。 進捗表の項目、レイアウトなども細かく指示していました。 今のスマホ業界で利益の出ている会社のほとんどは1タイトルか2タイトルに依存しています。また、ヒットの再現性も凄く低い。 スクエニは、最初から組織作りを狙って実績が出ました。偶然は何一つなかった。
どのように組織を変えていったらいいか、あるいは開発のどこまで巻き込まなきゃいけないかについては、本当に業界で共有したいくらいです。自分で計画し実行してみて、この手法でやっぱりできるんだと事実検証できましたから。 勿論、一発当たるかどうかは極めて重要ですよ。やっぱりエンタメだから重要である事に変わりないのですが、事業として継続するかどうかですよね。スタープレイヤーも大切です。でもスタープレイヤーがいなくても、いや頑張っている方は皆さんスターなんですけどね、できるかどうかというのはビジネスサイドの責務ですよね。 この辺りの話も、今まで社外ではできなかったので、これからは、問題意識のある会社さんにはお伝えしていきたいですね。
黒川:スクエニでは、オンラインの部分でかなりクリエイターが育って、組織としてヒット作の再現性が可能になったという事ですかね。
和田:そうです。 もう今は手を離していますが、環境が変わらない限りあまり心配はいらないでしょうね。 ただ、環境変化への対応は教えていないので、そこは未知数です。
黒川:和田さんの言っている「環境」って世の中の環境ですか、スクエニの環境ですか?
和田:世の中のトレンドです。 例えば、VRとかARとかクラウドとかが一般的になると、まるっきりゲームが変わりますので、そこをどうするかとか。先行投資をいつからどの程度するのかみたいな話です。 これらは、彼らに教えた事業オペレーションとは、全然次元の違う話なんです。
黒川:スクウェア・エニックスさんって強力なIPをお持ちですが、そのIPに引きずられることもあるし、かと言ってそれがないと経営の基盤が弱くなるでしょうし。その中で新しいものを生み出そうとしてると思うんですけど、それって良し悪しみたいなものを感じられるとこはありますか?
和田:着任当時に坂口さんからお酒を飲みながら聞いた話が「新しいチャレンジをする時にはFFを使うべき」という事でした。 実際、スクウェアのオンラインゲーム第一号は、FFⅪになりました。エバークエストをベースにしたMMOを作っていたのですが、そのタイトルをファイナル・ファンタジーと名付けたんですよ。しかもナンバリングタイトルにしていました。それは彼の思想なんですよね。確かに分かるなと。
私も成程と思っていたのですが、2005年くらいから考えが変わってきました。特にネットが本格的になってきてからですね。また、タイトーを買収して他の分野を見てからです。
やはりですね、ゲームとは非常に複雑なアプリケーションソフトですから、ゲームデザインは動作環境に依存するんですよね。つまり、動作環境が変わると全然違うコンテンツになるんですよ。また、実はお客様の層も全然違います。ゲームセンターで遊ぶ人、携帯で遊ぶ人、据え置きゲーム機で遊ぶ人、あるいはPCでコアなゲームを遊ぶ人…全然違います。 となると、新しいチャレンジはノンIPですべきだと。むしろそれによって新規IPを作るのが正しいと思いました。
変わり目はあえてノンIPでいい。だってFFで成功してもFFだからでしょって事になる。ゲームデザインが変わる時は、ひょっとしたら化けるタイトルが出るかもしれない。新規IPが産まれるチャンスなんです。パズドラやモンストだってそうですよ。新しいゲームデザインになって、あの触り心地になったから、新規IPで席巻できている。 これは物凄く重要なポイントです。 環境が変わる時、昔はプラットフォームが変わる時と言ってましたけどプラットフォームというとゲームコンソールのように聞こえちゃうので、あえてプラットフォームという単語は使わないんですが、動作環境が変わる時には、本当に新しいゲームデザインであれば、粗削りであっても大ブレイクする可能性がある。その時に既存IPを使ってはもったいない。
勿論、別の手法もあります。 ドラゴンクエストの展開がこれに当たり、今でも踏襲しているはずなんですが。これは完成度高いですね。 でもドラクエだけですね。ドラクエって面白いんですよ。番号以外は必ず違うタイトルになるんです。あれは凄い。番号と似たようなものは絶対作らないですよ。例えば不思議のダンジョン。いただきストーリーもそうです。モンスターズシリーズもそうですね。全く違うゲームデザインにするという考え方なんです。 あのフランチャイズの作り方は素晴らしい。あの手法はスクエニになる遥か前からやってるんですけど、あの考え方はありますね。
黒川:最近、FFの派生物が増えてませんか?
和田:そうですね。どうなんでしょうね。
CESA、経団連の活動
黒川:ちょっと話は変わりますが、今回和田さんが藍綬褒章を受章したのは、勿論スクエニでの活躍もあるのでしょうが、CESA会長としてゲーム文化およびゲームに対しての貢献が非常に高いと認められた部分が多いという認識です。 CESA自体も一方でまとまりながらも一方で刺し合いをしてる感じがあるんですけど、そのあたりはどうでしょうか?ご苦労もあったと思うのですけど。 またなぜ会長を受けたのかもお話しいただけますか。
和田:スクウェア社長時代には、元々CESAに対しては批判的でした。 ですが、皆さん真面目にやってらっしゃいますし、当時の渡辺専務理事がずっと私のところに説得に通ってくださっていて、あまりにも申し訳ないから参加するようになりました。
その内に、当時の辻本会長から暴力ゲームの話が出ました。これは滅茶苦茶に拗れまくっていて、下手すると大幅規制か不買運動になりそうなレベルでした。 私が副会長くらいだった時(確か広報担当でした)、さすがに危ないという話をしたら、じゃあ和田さんやる?と辻本さんから言われて。また、全然違うところで襟川さんからもやれと言われ。襟川さんなんか凄い理屈でしたよ。「私は忙しい、あなたやんなさいよ。私は社長と主婦だけど、あんたは社長だけでしょう。だからあんたの方が暇なはず!」
ともかく、確かにかなりまずい状態になっていたので、その時は、暴力ゲーム問題解決をCESAのアジェンダとして明確に掲げ、引き受ける事にしました。
(実はお引き受けする決定的瞬間の記憶はありません。この頃は、皆さん創業初代の方達で、その中では私が圧倒的に若輩でした。皆さんが世代交代をお考えになっており、皆さんの総意、流れのような形で譲られた印象です)
いや本当にやばかったんですよ。自然体では最早どうにもなりませんでした。
ちなみに、ゲーム業界はそれまで2回敗戦していました。一つが風営法ですよね。これは対応の仕方がもっとあったかもしれませんね。もう一つは中古問題で、最高裁で負けていますよね。スクエニなんて主力がRPGだから中古によって利益の3~4割漏れていたんじゃないですかね。 つまり、舐めてかかると本当に業界の浮沈に影響するような事態を招くんですよ。
当時はアメリカでも大騒ぎしていました。アメリカではバイオレンスよりもセックスの方ですね。これが物凄く言われていて、日米双方で締め付けられたら本当に逃げ場がなくなる。
さて、どこから手を付けようかと思い、まず、世間はそもそも何を気にしているんだろう、論点は何かを把握する事から始めました。 どうも話が咬み合っていない気がしていたので。 辻本さんを始めとした当時のCESAは表現の自由を主張していました。これに対して、何作ってもいい訳ないだろう、という声が上がっていました。 いろいろヒアリングしていく内に、警察庁のある方が、「和田さん、こんなの娘に見せられますか!」と仰ったんです。それでストンと肚に落ちました。あっ、娘に見せたくないという事ね、成程。つまり、青少年健全育成の観点で反対なさっていたのだと。
これで、論点を表現の自由から青少年健全育成に変え、手法としては隔離政策にしよう、と戦略が決まった。
私がこの問題解決に拘ったのは、冷静に分析すれば当時のゲームユーザーのほとんどがアダルトだったからです。エロという意味ではありませんよ。アメリカ等はさらに年齢層が上でした。 日本のゲーム業界には草創期からいらっしゃる方が多かったので、ゲームは子供のものだと信じているのですが、それは単なる思い込みであって、実際の市場は、勿論子供さんもいますが、既に成人が主力でした。もしも全てのゲームが小学生でも楽しめる、というか小学生しか楽しめないようなものに閉じ込められれば、マーケットが破壊されると危惧しました。 子供、大人、双方の市場を活かすために隔離しようと思ったわけです。
隔離政策は、ゲーム会社、レーティング機構(以下、CERO)、流通の三位一体を前提に設計しました。
まずは、当時既に存在していたCEROをもっと実務的に動かそうと思いましたね。告白するとスクウェア社長時代、私はレーティング適用が嫌だったのでCESA(元々CESAがCEROの母体)にも批判的でした。だって受ける必要ないから。怖いゲームを作っているカプコンさんやコナミさんは受けてください。うちは関係ありません、みたいな。 しかし自主規制を謳うのであれば、例外を認めるわけにはいきません。推進にあたっては、CESAの上月初代会長、辻本二代目会長と続く良き伝統が役立ちました。常任理事は全員、代表権を持っていなければならないというルールです。一々持ち帰らずに即決できます。私は理事の皆さんに「とにかく一枚岩で行きましょう。僕もそうしますけど、皆さん方の会社も絶対守ってください。全てのゲームについてレーティングを受けてください」と、お願いしました。皆さんにご協力いただき、団結できました。この動きが業界全体に浸透し、レーティング適用率はほぼ100%になっていきます。 これでゲーム会社の準備は整った。
次はCERO組織そのものです。 当時はCEROとCESAとの情報共有があまり行われていない印象だったので、辻本さんを引き継いでCERO理事になってからは、できるだけCESAの意見をお伝えし、本件についても積極的に協力してもらうようにしました。
さて、最後は流通の方達です。 つまり店頭にどうやってパッケージを並べるかという話ですね。これもややこしかった。 ほじくり返すと中古問題で儲かったのは販売店でしたから、ゲーム会社とリテイラーとは是々非々で取引しながらも、底流では喧嘩していたわけですよ。ゲーム会社側からは、なんだあいつ等、流通側からは、今更お願いかよ、そんな感じなんですよね。 ただ、これは三位一体でなければ成立しないので、三者合同コミッティーをCESAの下部委員会として設置しました。 私は安定するまでCESA会長兼三者合同委員長として、しばらく運営を継続しました。 これで実務が回り始めました。
最後は啓発活動と、効果測定です。 いい加減な事はできないので、四半期に1回、お金をかけて、店頭で自主規制が徹底できているかどうか調査を実施し、これを公表する事にしました。
まぁ、ざっとこんな感じだったんです。 ここまでやってギリギリなんですね。当局や世間への対応は簡単な話じゃないので、あまり舐めない方がいいと思います。 真面目にやるのだとしたら、じゃあ何が論点かというのをちゃんと見極めなければならないし、論点をクリアするための手段も、本当に実務として経営として考え、実行しなければならないんです。 これで行こうよ、方針出して終わり…これじゃ何も動きません。実効性ゼロ。そもそも自主規制なんて、よほど頑張らないと誰もやりませんよ、だって儲からないんだもん。 しかし一方で、業界が先んじてやらないと当局がバンバン差し込んできますから、知らないうちに大変なことになっちゃう。
黒川:今のガチャの問題なんかもどうなんでしょう?一枚岩なんですかね?
和田:一枚岩かどうかは、もう業界から離れているので実際のところはわかりませんが、ただ完全に一枚岩でなくともやり方があるんですよね。
RMT(real money trade, ゲーム内アイテムをオークションサイト等で現金で取引)ってあるじゃないですか。あれも私がCESA会長時代大問題だったので例としてお話ししますね。
RMTについてはFFⅪも草刈り場でしたから十分に存在は認識はしてたのですが、お客様から、なんであれを許すんだと突き上げられるわけです。挙句の果てにゲーム業界はなぜ許すんだと。こちらとしては、いや、許してないけど取り締まる根拠法がないと。取り締まると言っても、ヤフーオークションを閉めろと国から言わせるのかと。言う訳ないですよね。ヤフオクさん止めてくださいと言っても、何で止めなきゃならんのか、となるじゃないですか。オークションサイトの売買自体防げないでしょう、これ。かといって、ゲーム側でアイテム受渡モードを外すと、MMOにならないわけですよ。要素として外せないじゃないですか。 つまりこの問題は、根本的な解決策がないんですよね。従って、RMTに対して真摯に向かっていますと表明する事自体が重要という事で、自主規制のガイドラインを作ろうという話になったんです。
その頃、ちょうど韓国系のゲーム会社がいっぱい進出してきて、JOGAの前進くらいですかね、彼等が自主ルールを出してきました。一緒にやりませんかとCESAにもいらしたのですが、私は絶対にダメだとお断りしたんです。なぜかと言うと、あまり実務をわかっていらっしゃらなかったから。ガイドラインに、業者ができないことまで書いてあるんです。できない以上、当然その事態は起こりますよね。起これば、世間は、自主ルールも守れないいい加減な業界と評価してしまいます。なんでこんなこと書くのって事がいっぱい書いてあったんですよ。 かと言って彼等の要請を否定すると、ガイドラインを作りたくないのかと痛くもない腹を探られる事になる。そこでCESAとしては独自にガイドラインを作る事にしておき、かつ、業界内バラバラだという印象を世間に持たれるのもまずいので、ブリッジになるような象徴的な人を探しました。 そしてガンホーの森下さんにCESAの理事になってもらう事にしたんですよ。
つまり完全に一緒にならなくても、連携を保てば、国内のRMTに関しては業界的に対応できているんじゃなかろうかと評価してもらえます。 これは一例ですが、工夫次第でいろんな組み方が考えられると思うんです。
黒川:結局スマホの時代にきてJASGAをCESAが吸収してしまうような状況なので。この間も、CESAがモバイルコンテンツフォーラムと一緒に協議会をやって、お互い守りましょうみたいな事をやってるけど、なかなか展開できないんですかね?
和田:さっきの暴力ゲーム問題で言えば、CESAでは鉄の掟で抜け駆けはなしよってやったわけですが、常任理事会社トータルの市場シェアが高かったので効果が早かったわけです。 ガチャの議論をするのなら、CESAの理事会社合計でスマートフォンのシェアが何%かと冷静に見なきゃいけないんですよ。 パズドラやモンストだけですごい訳ですから、あそこで穴が開いたらどんなに頑張ったってアウトです。だったら一緒にやってもらうようにお願いしなければならない。やっているのかな。 業界活動とは言え、本当に仕事ですから、周到に企画実行しなければ簡単にはいきませんよ。だって正直言えば誰もやりたくないから。開発と運営側はピュアに、自分達で気を付けるから外野は余計な事言うな、ですよ。経営側は、今儲かっているのに何でやめなきゃいけないの?誰かが刺されたら止めればいいんじゃないのって感じじゃないですか。 でもね、誰か刺されたら止めようなんて舐めていると、ばーっと投網にかけられて、まさに一網打尽になりますよ。
黒川:LINEに代表される供託金の問題とかも。あれはLINEだからいいけど中小だと大変な事になりますよね。
和田:何が本質的に問題なのかをもっと議論した方がいいと思うんですよ。 未成年がお金を使うのはよくないですよね。極端に射幸性を煽る、これもよくないですよね。 やっぱりこの二つが気になっていると思うんです。
例えば私みたいなおっさんがお金使い過ぎましたと言ったら、お前馬鹿じゃないのってだけじゃないですか。中学生が親のクレジットカードを盗んで課金するから問題なんです。また、大人でも依存症になっているような人達に対して煽り過ぎるのもダメだとかそういうのはありますよね。
何が問題かを明確にしたら、次は規制の仕方ですよね。 規制については業界から先手を打たなきゃいけないと思っています。 ネット上のビジネスモデルについては、ゲーム業界に先兵としての使命があると思いますよ。何故かというとデジタル財の価格付けってまだ誰もわかっていませんから。
モノの価格はコストから積み上げます。勿論、ある絵画に1億払う人もいるのですが、そうは言ってもモノが存在します。ダイヤモンドの値付けは不透明ではありますが、0.1カラットと1カラットと比べれば、絶対1カラットの方が高価なわけですよ。 ところがデジタルには、モノのような参照先がありません。払うと気持ち良い。承認要求が満たされる、コンプリートする爽快感、つまり気持ちよさに払っています。そんな事を当局に理解してもらうのは不可能です。 業界側から、実はこういうロジックで考えているんですと言わないと、開発費いくらですか?アイテムを累積で100万回出しましたよね、ということは開発費合計額の1/100万が一アイテムの妥当な価格ですか?とかそんな話になっちゃいます。
それに、モノの類推で、クーリングオフのように言われたら大変ですよ。面白いと思ったが、やはり面白くありませんでした、お金返してくださいと。
今までにないものを、現存する隣接制度で解釈しようとすると凄く危ないんです。従って、業界の考え方を提示する必要がある。そこについてこそ議論すべきなんですよね。 放置すると、デジタルの稼ぎ方の芽が潰れると思います。 皆さんが動かないと、サブスクリプションに取り込まれるでしょう。GoogleとかAmazonに定額払うと、何のコンテンツだろうがプレイし放題みたいなモデル。デジタルのプライシングを甘くみると、全員プラットフォームの下請けになりますよ。
黒川:あとCESA時代にCEDECであったり東京ゲームショウであったり、また、著作権関係の経団連の職も担当されていたと思うんですけど、そういう意味ではある種、スポークスマンのような立場であったと思いますけど、そのあたりはどうご自身で思われていますか?
和田:やはり一企業では解決できない事がいくつかあったので、財界活動も行いました。 一例としては、経団連に著作権部会というのを作ってもらいました。当時の経団連知財本部に部会を新設し、初代部長に私がなる事になりました。 あの頃、非常に極端な議論になっていたからです。
覚えていますか? IT屋さんは、コンテンツは全てタダであるべきだ、流通こそが正義だと大騒ぎしていました。Googleなんかも勝手にコピーしているじゃないか、なんで日本だけダメなんだ、日本は遅れていると。まぁ、無茶苦茶ですよね。 他方、コンテンツ産業側にも錯綜がありました。映画やTVでは、関わった人達が皆原著作権を持つ訳ですよね。となると、一人でも拒否権を発動すると一歩も動けないという状況に陥る。 ゲーム業界では、権利を会社側が吸い上げているか、関係者には印税を払うか、いずれにせよ、ほとんどは経済的にはっきりしています。これはゲームが後発だからであって、ほとんどのコンテンツ業界では権利関係がややこしい。だから原著作権者の権利を制限してあげないとビジネスにならないんですね。
当時の識者達は、この権利制限がないために、コンテンツが死蔵され日本のコンテンツ産業が活性化されていないと論陣を張っていた。 実は、原著作権者と、それが集合したところのコンテンツの著作権者と、二重底になっているんですけど、そこが混然としたまま、権利制限の話になっていた。 原著作権者の権利制限の議論がコンテンツ著作権者に飛び火して、コンテンツ無料論になっていたんです。 それを整備するために役割を買って出たわけす。
経団連著作権部会としての提案は、まさにここを突いたもので、原著作権者の権利制限と、コンテンツ著作権者については通常の商取引になじむような権利の強化と、整理した上での二正面作戦を採っていたのがユニークでした。 なんとか、総崩れになるのに歯止めをかけようという問題意識でしたね。 今はもっと世の中が進んでしまって、物理的な側面がどんどん希薄になってクラウド側に行き、F2Pが一般的になって、さらに当時のUGC(user generated content)どころの騒ぎじゃないくらいユーザーが参加していますから、当時の論点はもう古いですけどね。
新規事業の仕込み
黒川:今ちょうどクラウドという話が出ました。私はシンラ・テクノロジーというのは新しい時代の一歩になるかなと思っていたんですが、残念ながら急に閉鎖というか会社自体がなくなるということになって、和田さんが考えていたクラウド構想みたいなものがあったと思うんですけども、それに関してはどうなのでしょうか?
和田:そうですね、あれもスクエニの戦略の一環だったんです。 さっき、スクエニ自体は、MMO、F2P、HDと三階建てとして設計したと言いました。 2013年、私が社長を退任するタイミングでは、MMOはもう完成していましたから大丈夫。 F2Pは未完成だったので、それ以降2年間は継続して事業を牽引しました。結果、これも2015年で完成。
3つ目のHDについては、ビジネスモデルが見えるまでは当面主力以外凍結の方針でしたから、退任の時点でパイプラインをぎゅっと絞りました。予算を承認するのは簡単ですが、プロジェクトを閉鎖するのは非常に労力が要りますから、そこは私が被った上で、後輩に任せた。HD開発経費はコンテンツ制作勘定として資産に計上されます。これを150億円まで絞って引き継ぎました。それまでは、スクエニの経常利益が平均200億ぐらいである事から、コンテンツ制作勘定は200億プラスマイナス50億で絶対額を管理していました。それは履歴みたらわかると思いますけど。 つまり、引き継ぐ際に、下限まで絞ったという事ですね。2013年夏以降、HDについては全く手を触れていないので今どうなっているかはコメントできませんが。
つまり、退任時点では、1階は完成、2階はあと少しだが責任を以て私が仕上げる、3階はヘタに動きさえしなければ事故は起きない状況で渡しているので、後は今後の布石を置いておいてあげようと考えました。
俯瞰して視れば、コンピュータゲームは二つの流れが合成されて出来ているんですね。 一つはパソコンです。40年前に誕生したパソコンがどんどん高性能になっていく。高性能になる過程で小型化してきて、小型化した結果、パーソナルなものになってきた。基本的にこの流れです。もう一つは20年前に始まったインターネット。これによってコミュニケーションが活性化していきます。それがばちっと合流したのがおよそ5年前のスマートフォンですよ。
私もだいたいこの二つの軸で経営を考えていましたが、ロジカルに考えると、2010年で当面の結論に到達してしまったという事なんですね。 これは結構深刻な話です。 動作環境が変わることによって新しい価値ができる、ブレークスルーが起こるという、ゲーム特有の成長ドライバーが、最早この二軸の延長では期待できないという意味なんです。ひたすらレッドオーシャンで戦い抜くみたいな、そういう終末戦に入ってしまったわけです。 勿論マーケットがなくなるという事ではありませんが。
じゃあ次に何が来るのかという話ですよね。 2020年くらいまでの10年間で何が起こるかと考えた時、コンピュータの形が変わるという事が本質なのだと結論しました。 インプット、アウトプットのところの変化がAR、VR、あるいは各種センサーであるIoTです。どこでプロセスするかと言えばクラウドですよね。クラウドでプロセスすることによって今脚光を浴びてるのがAIじゃないですか。だからAR、VR、IoT、クラウド、AIって、全て新しいコンピュータの要素なんですよ。 従って、この分野の知見をどうやって貯めるかが戦略そのものなんです。これを5年、10年我慢してやったら。やることが重要なんで。そしたら結果3年後に大ブレークするかもわかりません。 どれくらい徹底してやるかですよ。
黒川:それがシンラの背景ですか?
和田:そうそう。 先程の歴史観に立った上で、VR、AR、IoT、クラウド、AIって考えた時に、VRとARはハードウェアです。ハードを生産する能力はスクエニにはないわけですよ。これは選択しちゃいかんなと。そもそもハードは作れないし、出来たとしてもハードの流通がどうなるか全然わかんないですよね。あんなでかくて高いものを本当に買うのかと。で、ここはゆっくりやればいいと。つまりどういう仕様になるか固まるまでは試行錯誤しても無意味。単に遅れないようについていけばいいと考えました。勿論、今はもうやらなきゃダメですよ、見えてきたから。今言っているのは2010年現在の話ですからね、6年前のお話。 次はIoTの話。これはいくらなんでも関係ないなと。いくらなんでも関係ないと断言できたのは、2005、6年にRFIDについて慶応の学生と随分議論した事があるからです。また、組み込みチップの情報も常時仕入れていましたから。要するに1社で頑張っても何も起こらないだろうから着手しないでおこうと。
そうなると、最初に着手すべきは、クラウドとAIになる。いやこれは最初にビジネスになるという意味ではないですよ。着手の順番という観点です。特にAIにフィーチャーしたクラウドゲームということで、まずはクラウドで入ろうと考えました。 要するに、新しいコンピュータはそんな簡単には成立しない、と言うと怒られちゃうけど、いつ出るか誰もわからないんですよ。だけど、新しいコンピュータの世界になるのは確実で、10年経って振り返るとどこかのタイミングで変わっていたという事になるはずなんです。それまでの間、何から着手するかという問題意識だったんです。
黒川:まさにAIって今脚光を浴びてますけど、それらに対して結構早めのアプローチをされていたということですよね?
和田:そこはそうですね。 スクエニの中では、今もそうだと思うんですけど、というか、そうあって欲しいのですが、割とAIが熱いはずなんですよね。厚めに人材をあてているはずなんです。あれも一つのゲームを作るだけなら、あんなに人は要らないんですよ。でも、あの分野を掘っておかないと次に行けないはずなんです。 しかも進むにつれ、クライアント側では間に合わなくなるはずなんです。だって、大抵はレンダリングに物凄くリソースを割こうとして、AIになんてそんなにアロットしないじゃないですか。だからクラウド側でゴリゴリ動いてくれないと困ってくるはずなんですよ。そこでクラウドと繋がってくる。 という問題意識で、スクエニ内部ではAIの布陣を作ってもらっておいて、別働部隊でクラウドを始めましたというのが真意です。
シンラについてはプラットフォームがどうのこうのと話になるようですが、それは全く本質ではなく、あくまでもコンテンツの試行錯誤の場にするために始めたんです。コンテンツは試行錯誤しないと新たな場所に抜け出せないんですよ。
黒川:シンラが未来のフィジリビティというか研究の対象だったはずですが、閉鎖されたことによるスクウェア・エニックスおよび日本のゲーム業界をどのようにご覧になっていますか?
和田:私は数年前、まずAI、クラウドを学習して、VR、ARの仕様が固まり始めたらここを連結してやろうという発想に着地したのですが、今はVR、ARが相当盛り上がってきていますから、こっちから入るのもありなんじゃないですか。ただAIはやっておいた方がいいと思いますけども。 ようやく最近、次世代に向けた動きが出てきて、良くなってきたと思います。 但し、投資だけしている人がいるじゃないですか。それからIPを使ってちょっと動かすとか。あれは学習にならないですよ。新しいコンピュータになった時に何が起こるかってことを真剣に考えるには作らないとわかりません。
とにかく作る事。目下のところ成功確率はゼロですが、それでも作り続ける事ですよね。最初の予算が5000万と出てきたら、5億はかかると腹を括らなければいけない。10年くらいは普通に失敗すると思ってください。ただ、それやっておかないと後で手も足も出なくなる。例えばコロプラさんなんかは自分達でも作っているし、投資もしているじゃないですか。自分達で作っているからいいんですよ。知見は貯まるし投資先からの情報も入ってくる。凄く上手ですよ。
今日、ダイバーシティーのVR行ってきました。やっぱ凄い楽しいですよ。実行したバンダイ・ナムコさんも素晴らしい。 新しいコンピュータの形を考え、その上でゲームがそのように変質するかを模索するのであれば、ソフトもハードもエンタメも全部わかる事が重要。 ハードまで分かっているゲーム業界人って実は日本にしかないんですよ、ゲームコンソールメーカーを除けば。未だにゲームセンターをやりながら且つPCもコンシューマーもやっている人々って日本にしか存在しないんです。欧米では絶滅しました。中国も最初からPCで入ってますから、ソフトしか知らないんですよね。ハードと両方って凄い事なんですよ。且つ、日本は、ゲームセンターにせよカラオケボックスにせよ、要するに、家庭用以外の物理的実験市場を持っています。 ハード、ソフト双方の能力があって実験市場を持っている国は日本だけですから、物凄く真面目にやれば、大逆転できる可能性があります。
IoT時代になって日本はようやく復権するとメディアが言っているじゃないですか。実はあれってゲームも同じ状況になっていて、バランスよく能力が維持できているのは日本だけなんです。 もう断言できますよ。世界中ハード作ってないですから。ゲームコンソールメーカー以外はハードに関わった事はゼロですから。しかも実験市場を持っている。だから絶対にやった方がいいですよ。
スクエニも部品は持っているはずですから、早くやって欲しいんですけど。何でやらないんかな。後、セガさんもできるはずですよね。コナミさんがやるかどうかわからないけども、バンダイ・ナムコさんを加えこの4社は確実にできるはずです、やろうと思えば。 本当は直ちにやるべきだと思っています。 スマホの方達も、今分かり始めたんじゃないですかね。 3D空間を作るってこんなに大変だったと。そんな事ですら作ってみないと分からないんです。3Dってプレイヤーの立場では普通に見えたかもしれませんが、作るとなると大違いで、開発工程や技術とか全然変わるんですよ。開発の複雑度合いがもう幾何級数的に上がる。更に新しい要素がVRで入るじゃないですか。これは手強いなって、今思っているんじゃないかな。
単独ではなく、ジョイントベンチャー(以下、JV)みたいな形で合従連衡を進めていくのがいいんじゃないかなと思うんですよね。今は何とかファンドみたいに投資主体としては合従連衡になってきていますけど、そうではなく、開発についての様々な繋がりができると、本当に日本は、まさに新しいコンピュータの形になった時の、ゲームの開発拠点であり実験拠点になれると思います。 勝てるはずなんですよね、すっごい真面目にやると。通信環境も相当いいですし、全部揃っているんですよね。後は作り続ける事。とにかく止めない事ですね。マーケットは最終的には分からないので、10年以内には起こると言っても3年後が9年後か分からないわけです。結構早いかもしれません。
雑感
黒川:楽しみですね…お時間もそろそろなんですけど、今回、藍綬褒章を受章してどうでしたか?天皇陛下にはお会いされたんですか?
和田:お会いしました。
黒川:そうですか。和田さんの勲章はどういう段階のものなのでしょうか?
和田:僕もよくわかりませんが、Medal with Blue Ribbonというくらいだからブルーリボン賞みたいな、いや冗談ですよ。藍綬褒章というのは主として経済に貢献した人に対してなんでしょうね。人命救助などになると色が変わるんです。 授賞発表で分かったのが、多くの方がやはり役人なんですよ。役人の方の永年勤続賞みたいな位置づけですかね。次に多いのは地方とか中小企業でよくやってくれた人。例えば地方都市の商工会議所の会頭を30年勤めあげましたみたいな、そういう感じですよね。それ以外だと業界のトップですよね。日本自動車工業会会長何年とかそんなのばかりです。
黒川:和田さんみたいに若くして受章された人っていないんじゃないですか?
和田:皆にも言っているのですが、別に私がもらったわけじゃなくゲーム業界が受章したと思っています。 ゲーム業界がそれだけ認知されているという事ですよ。 今言った公務員の人とか商工会議所の会頭さんとかね、それから自動車、家電とか分かりやすいのが来ていきなりゲームって、これ結構凄い事なんですよ。 だからそういう意味では、業界内で、所詮世間は分かってくれないって話によくなりますが、実は割と認知されているんだよとお伝えしたいですね。
黒川:素晴らしいですね。
和田:色々実行するチャンスだと思いますよ。 新しいコンピュータなる時には全部変わりますから、いかにこの機会を上手く使うかですね。
黒川:時間も残り少ないですが、会場から質問ありますか?
質問1:黒川さんに質問ですけど、体験版ディスクを初回盤に入れるのがデジキューブの時にあったと思うんですけど、当時はリコメンドがなかったが故に貴重な歩みになったと。今は衰退した理由はなんでしょうか?
黒川:それは二つあると思っています。 一つは爆発的なプロモーションになり得たという事ですね。 FFⅦの体験版か何かをつけた記憶があるんですよ。付けることで結果的に370万枚まで売れたんですけど。リーチしたその人達が遊んでくれて、良いとか悪いとか口コミをしてくれて、ゲーム自体がプロモーションメディアになったというのが当時の背景だと思います。 もう一つは、今はそれをやらなくてもメディアが拡がったから。例えばWebだ、スマホだ、紙は相当落ちちゃたけども紙が落ちたのもWebやPCとかスマホの情報伝達が早くなったことが関係しているし、FacebookやTwitterなどのコミュニティが出来たという事もあるから、それが進んじゃったから今あえてそこに体験版を付けなくてもYou Tubeで見てる、もしかしたら一部ダウンロードで遊べる。それが今はやらなくなった背景だと僕は思いますよ。 和田さんの補足なり、お考えがあれば…
和田:ゲームをメディアとして使うという事で言えば、今同じことをやっているのがスマホなんですね。 いわゆるコラボとか。リワードも応用編ですけども、要するに中でグルグル回すやり方ですね。セガさんやスクエニはさらに踏み込んでいますし。 つまり、デジキューブ時代の考え方はマーケティング手法としてずっと引き継がれているんですよ。 ただ、ディスクセールスについては、どうでしょうね…わかんないけど余裕がないんじゃないかな。本当にビジネスモデルを変えないと立ち行かないから。
質問2: 2010年以降、スクエニさんはF2Pも成功されました。その際、あまり内製の人材を投入しないで外部と組むような形が多かったと思うんですけど、何か戦略があったのかお聞きしたいのと、新しい事業をどうやって育てていくのが今の時点でベストだとお考えでしょうか?また、今後のお話で同じような組織戦略で言えばJVがいいんじゃないかというお話がありましたけれども、もしスクエニを経営していたら今どんな手段を取りますか?
和田:まず、一般論で内製、外製について言うと、もともとエニックスは外部発注するプロデューサー集団で、スクウェアが内製中心の会社でしたから、スクエニとしては両方の手法を持っているんです。 どこまでを内部で押さえ、どこからを外に投げるかのバランスの問題ですから、内製よし、外製よしの二元論ではないと思っています。
ただし、F2P事業の立ち上げは、意図して外でやりました。 スタートは9年くらい前ですかね。やはり社内ではどう話しても消化してくれなかったんですよ。 ひとつエピソードで言うと、スクエニ内で、明示的にアイテム課金について課題を出した最初のタイトルはPOL内のフロントミッション・オンラインだったんです。 このタイトルのユーザー数は残念ながら伸びず、いよいよ閉じようという時に、待てよ、使いようがあるなと。いっぱい武器使うなと。そこでチームに、アイテム課金でやり直そうと課題を出したのですが、何ヶ月経っても全くアイデアが出て来ない。ステージを進める中でアイテムがどのように出てくるかを含めてゲームデザインしていますから、切り離して考えろという課題は無理な問いだったんですよ。本当にできないのだと痛感しましたね。馬鹿にしているのではなく、一体として設計した要素を事後的に切り離すのは確かにしんどいですね。
(私はアイテム課金を導入したかったのでこのような施策を講じましたが、MMO業者においては、2000年台後半以降、収益活性化のために、ある意味やむを得ず月額定額からF2Pに移行する例が世界中で出てきました。成功例も散見されましたが、当初、業界内ではかなりネガティブな反応でした。私は、今後のMMOの動向を掴みたくて、確か2010年春、Richard Garriottさん始め、重鎮達何人かにインタビューしました。その時に、彼ですら「今からのゲームはF2P以外考えられない」と発言。ほぼ全員同意見だったのが印象的でした。あの頃に、少なくとも業界の方々の頭の中では、ビジネスモデルが帰らざる河を渡ったのだと思いました)
じゃあ、まずは外から始めようと、ハンゲーム出身の伊藤君に来てもらってスマイルラボを作りました(2008年2月)。スクエニ本体とは、わざと混ぜないように、オフィスもスクエニのある新宿から遠ざけて恵比寿にしました。スクエニとは私以外は没交渉にして、2年経って成果が出てから彼を指導教官として、兼務ではありますがスクエニ本体に持ってきました。それで作ってもらった最初のタイトルがFFブリゲード。ガラケーでしたけど。
他方、スクエニ社内では、先日執行役員になったみたいですけど渡辺君。彼は、ええ感じに変わっていて、凄くセンスが良かったので、ブラウザゲームの話をずっと一緒にしていました。その最初のタイトルが、今でも続いています戦国IXAです。
スマイルラボは自社開発運用ですがスクエニにとっては別同部隊、渡辺君達は外部発注。あえて外部を動員しながら、かつバラバラに始めておいて、形になってきたら、ネットワークエンジニアだけ繋げたり、勉強会で緩やかに繋げていって、組織を有機的に結び付けるようにしてきたんです。
最初はわざとバラバラにした状態で入っていった。バラバラだったので所帯がそれぞれ小さいですから余計に外部発注中心になったんですよね。 勿論、第二ステップでは、ノウハウを内部に取り込む必要がありますから、戦略もシフトさせていきます。 ここも、ちゃんと渡辺君達がやってくれて、スクールガール・ストライカーズになってます。あれはスクウェア内製部隊のいわゆる古参(失礼!)が作ってくれたタイトルなんですよね。さらに、勉強会で、コンシューマーど真ん中のスタッフも引き込んでいきました。触発されて、FFXIIIシリーズのリーダーである鳥山君達が作ったのがメビウス・ファイナルファンタジーですね。ということで、徐々に内製に繋げていっています。
私は離れてしまったので、今後については分かりませんが、当初のシナリオはそのように作りました。外部中心に分散して始め、徐々に融合させ、内製部隊にも浸透させていく、そういう戦略でした。2012年、今のオフィスビルに引っ越したんですけど、あの時、社長室周りは、それまで6、7部隊に分かれてバラバラだったF2P関連組織を糾合して配置したんですよ。社長室は社長室ではなくてウォールームにしようと。あのビルのレイアウトを設計したのが5年前ですから、それ以前からの既定路線でした。さらに内製に移植していくというフェーズが2年~3年前からかな。最後は、HD部隊に文化を浸透させて完成だったんですけどね。HDについては2013年7月から手を離しているので、情報を持っていません。路線は敷いてあるので、今後に期待ですね。
さて、新規事業をどう推進するかですね。 例えば、シンラ・テクノロジーでは、コンテンツの試行錯誤をさせたかったんですよ。残念ながら、スクエニとしてクラウドゲームは開発しない方針になったようなので、最終的に清算になったんですけどね。 プロジェクト発足当初は、ゲーム開発と基盤作りの両輪でした。ところが途中から一輪車になりました。仕方ないから、シンラが自腹で他社のプロトタイプ開発を支援するという戦略に変えたんですよね。まぁ無理がある訳ですよ。 一番初期段階で構想していたのは、Ubisoftさん等主力ゲーム会社数社とスクエニとでコンソーシアムみたいなものを作って、各社の既存タイトルのクラウド・エンハンス版を実験開発し、ユーザーに提供しようかなと。それで共同プラットフォームにしてしまって、市場ができるまでは既存タイトルをディストリビューションして息を繋げば良いわけですから。その基盤の上で、各社がクラウド専用のゲーム開発の試行錯誤をして次世代に備えれば良いですね。また市場ができてからも、プラットフォームが共有なので、中間搾取なしに、顧客からの収益をほぼそのままパブリッシャー、デベロッパーに渡せるなとも考えました。 これなどは、市場ができるまでにいかに準備をするかという工夫ですね。
もう一つのご質問ですが、もしも私が今スクエニの社長だったら、とっととタイトーとスクエニとでVR専門のJVを作りますね。 どちらかの内部に置くと専念できないのでJVとして独立させておき、とにかく5年は何も言わない。なぜJVにするかというと、それによって、現在スクエニやタイトーに在籍していないけど、開発意欲と能力を持った人材を糾合できますから。いい感じの若い会社にして、社長も32歳くらいの人にやってもらい、マシーンを作っている古参を連れてきて50人くらいの会社で運営するのがいいんじゃないかなと。
要するにネタをどこで作るかを考え、その上でどう拡げるかを考える。コンソーシアム、あるいはグループ内の公募もあるでしょうし、色々あると思うんです。まぁスクエニだったらばというお話ですけど、そうじゃなかったら違うやり方いっぱいあると思います。バンナムさんなんかは自社で完結してやってらっしゃいますね、本当に凄いと思いますね。
黒川:ちょっとお時間もないので僕からの質問ですが、和田さんは今何やっているんですか?それと、これから何するんですか?
和田:ゲームは好きですし、やはり恩返しもありますしね。ずっと皆さんを何らかの形でお手伝いしていこうと思っています。 ただ私自身の人生で言えば、16年間野村證券でそれなりに働きました。その次の16年間もゲーム業界でいくらか貢献できたと思っています。今は、さらに次の16年間何をするかをじっくり考えています。長いサバティカルみたいな感じです。 元々、20歳の時、経営者になろうと決めていたのですが、テーマを決めたのは90年代です。 40歳になったら経営者になろうと思っていましたから、ちょうど2000年にデビューになるはず。ですから、21世紀じゃないと出来ない事をテーマにしようと思いました。 決めたのが二つ。一つは社会を作ること。もう一つは生命を作ること。 社会を作るという点については、インターネットで新しいコミュニティができる事もテーマの中に入ります。従って、オンラインゲームは、単に経営課題だったという事に加えて、実は自分のテーマでもあったんです。 一方のバイオはこの数年間でやたら盛り上がってきましたね。今はバイオの勉強中です。
黒川:本日はありがとうございました。
以上