100ワニの追悼
寂しさを、失敗の穴を埋めるため、ロボットを活用しました。
困ったこと、分からないことがあると、ついロボットを頼ってしまいます。
ロボットは、嫌な顔ひとつせず、どこかと通信でコンタクトをとった後、なんでもスマートにやってのけます。
ロボットのいる生活は便利で、なにも不自由はありません。
そのおかげで、することがなくなりました。
いや、することをやめたのかもしれません。
なにもやらなくなった今ではもう、自分さえよく分からなくなりました。
そういえば、近頃ロボットを見かけなくなった気が…いや、ただ単純に、外に出なくなったからでしょうw
2019年12月12日から更新されていた漫画『100日後に死ぬワニ』が、先日100日目を迎え、タイトルの通り、主人公のワニが亡くなりました。
四コマ漫画ですけれど、その漫画に描かれるワニの姿は、バイトをしたり、恋をしたり、子どもを可愛がったり、友人とたわいも無いことを楽しんだりする、当たり前のような毎日を送るものでした。
姿が違うくらいで、なんの面白みのない毎日を送っている僕と、大差の無い生活を描いた漫画と言っていいくらいです。
ただ、大きく違うのは、四コマ目の下に毎日書かれる残りの寿命でした。
残りの寿命を見ている僕は、ワニのゆったりとした生き方に焦るわけですけれど、それは第三者から見た僕の人生そのもので、残り100日しか生きれなかったワニの姿を通して、生きることを考えさせられた気がしています。
だらしない生き方ですけれど、目の前の毎日に一喜一憂するワニの姿を見ながら、ロボットによるヒトの幸福を追求した『ロボ・サピエンス前史』という漫画を思い出していました。
勝手な僕なりの解釈ですけれど、『ロボ・サピエンス前史』における人類の幸福を追求した結果というのは、ヒト(ホモ・サピエンス)の堕落と消滅でした。
そしてロボットは、ヒトから託された幸福を追求した結果、ヒトや動物を模したカタチからの脱却を選択します。
あくまで『前史』なので、肉体からの脱却という行動はひとつの過程でしかないことでしょう。
終わることのないこの世界の物語は、どのような未来を描くでしょうか…そう遠くない未来に、ロボットの活躍する世界が待ってるのでしょうけれど、その世界に今の自分が存在してるとは思えず、人類の未来、幸せという大きなものではなく、今の自分の幸せが何かを見つめ直してみると、毎日をただ生きたワニの幸せと大差はないように思うのでした。
古くなったスニーカーを買い換えようか悩んでいるとき、このようなツイートを見てしまい、つい手を伸ばしてしまいました。
単純な漫画ですけれど、人並みな幸福の追求を諦めた僕の心を揺さぶるには、十二分な説得力をぶつけたように思います。
大切な100日をありがとう。