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読むバイン 〜はじめに〜 -1997年について -

#覚醒 #Grapevine  #和田東雲 #読むバイン

 スタートから躓いた。仕事で大きなプロジェクトが終わり、心機一転新しいことを始めたいと思い、中古のMacBookをメルカリで購入した。さあ今日からスタートだと思っていたその日は、溜まった疲労で体がまともに動かず、眠れない日々が続いていたせいで、20時には寝てしまった。というわけで、2024年12月1日に始めるべきだったこの取組を、明けて2日の朝に取り掛かっている。息子が今、黄色い帽子を被って小学校へと出発したところだ。あと30分ほどすれば、今度は娘が幼稚園に向かうので、15分ほど歩いて近所の寺まで向かう。その寺の釈迦堂は、室町時代に建てられたという都内最古の木造建築だそうだ。娘の通う、その仏教系幼稚園は9時開園。今日は寒いので、厚手のコートを着て行こうと思う。境内の紅葉はきっと美しいだろう。

 御覧の通り、42歳の、草臥れた小市民の月曜の朝である。どうにかこうにか、雨風を凌げる中古の家はある。妻がいて、7歳と5歳の子供と暮らしている。長いこと可愛がった猫は、この十月に死んでしまったけれども。
 猫についても、子供たちについても、妻についても、家についても、それから僕自身についても、長い歴史がある。恐ろしく長い。もう自分は大抵のことをやり尽くしたという感じもあるし、一方でまだ何一つ成し遂げてなどいないのではないかという後ろめたさもある。でもそれで、42歳の小市民に一体何ができるというのだろう。ずっと考えていた。
 もちろん、大きなことは出来ない。小さな、ほんの小さな石を海に向かって、放り投げてみるだけだ。でも真剣に投げたい。たとえ波に打ち消されるとしても、ほんの一瞬、そこに波紋を広げてみたい。そのためには、真剣さが必要だし、何より根気も必要だ。僕は何か、残りの人生で、自分が根気よく続けられるものを見つけていきたい。そんな挑戦ができるのは、流石にもう、最後になる気がしている。目を覚まして、その日一日を有意義なものにするためには。覚醒して、この一生を意義あるものにするためには。

 1997年。僕は15歳である。2024年の42歳までの半生を振り返ったとき、僕の生き方の起点は、まず間違いなくそこに置かれていはずだと思う。今日までの、どの地点で振り返ってみても、そう思う。あの年に始まったんだ、と。
 歴史には特異点というものがある。日本のカルチャーにおいて、1997年はまさにそんな年だった。スタジオジブリは「もののけ姫」の封を切り、それまでの子ども向けのイメージを刷新、ハードでバイオレンスな展開に社会現象が起こった。ゲームでは、ファイナルファンタジー7が発売された。それまで、ゲームといえばスーパーファミコンの任天堂が圧倒的にその世界を支配していたが、FF7がプレイステーションで発売されると発表されるや、僕らは毎月のように出てくる全く新しいポリゴンRPGの新情報に夢中になった。その情報が載っていたのは週刊少年ジャンプで、今も続くワンピースが連載を開始した。他にも北野武の「HANA-BI」や庵野秀明の「エヴァンゲリオン」など、エポックメイキングなタイトルを挙げれば枚挙にいとまがない。けれど何より僕にとって決定的な––縄を断つ鉈のような––ものになったのは、Grapevineというバンドがデビューしたことだった。僕はそれからこの42歳までずっと、Grapevineが予言をし、示されたその道を歩み、試練を受け、穢れ、贖い、這いずってきたような気がしている。この後隆盛を極めていくJロックのうねりは、少なくとも10年は続き、時代の価値観や空気感を作った。その年、ともにデビューしたのはDragon Ashとトライセラトップス、スーパーカー、中村一義で、翌年はくるりと椎名林檎がデビューしている。ざっと名前を並べても、おかしな年だ。渦中にいる時にはまるでそんなことには気づかなったけれど、42になって分かる。この年、この時代は明らかに異常で、二度と訪れることはない。
 Grapevineは、そんなきら星のような偉人的バンドの中でも、もっと知られていない、評価も正しく受けていない存在だろう、と僕は思う。人口に膾炙していないというだけでなく、Jロックを取り巻くメディアの中でも、ついにまともにGrapevineを語れた媒体はない、と僕は感じている。もちろん、雑誌の表紙を飾ったり、新作に好意的なレビューを載せた実績はあるだろう。それがなんだと僕は言いたい。ふざけるなと。
 Grapevineとは、もっとも優れたロックバンドであると同時に、その作品はもっとも優れた文学(小説と詩)であり、アート(絵画と映画)であり、批評(哲学と思想)である。要するに、僕が生きて出会ってきたもの全ての芸術の中で、結局一番優れて示唆的で預言的だったのは、どう足掻いてもGrapevineだったということだ。他にそんなミュージシャンはいない。作家もいない。映画監督も詩人もいない。
 大仰だと嗤う君よ、狂信的だと怖がる君よ、たとえ小市民だとしても42の中年が頗る真顔で今、壇上に立っているのだ。人生を賭すと言っているのだ。そう、賭すに値すると、僕は思っているのだ。残された時間で、どうにか自分ができそうなものはそれだと。だからまあ、時間が許すのであれば、聞いてみればどうだ、僕の話を。

 安心し給え。こちらの気宇は壮大だが、求めるものはささやかだ。もしもこの記事を見つけたあなたが、もともとGrapevineのファンであるならほんの少しの共感を、もしもあなたがGrapevineを知らないならほんの少しの興味を、このギターケースに放ってくれたらいい。僕は歌う。たとえ誰も足を止めなくても。たとえ誰も目覚めなくても。

【著作権について】
 本記事では、日本のロックバンドGrapevineの音楽、主にその歌詞を考察していきます。Grapevineは、歌詞については、ギターとボーカルを担当する田中和将氏が書いています。そのため、歌詞の一切については著作権者は田中和将氏にあるものと考えております。ただ、日本の著作権法には以下のような一文があります。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない

著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)

 本記事は、公表された著作物について、引用して批評・研究しようとするものであり、著作権者の権利を侵害するものではないと考えています。また、その意思はありません。万一、引用の仕方や分量について、著作権を侵害するような部分があると感じられた場合、ご指摘いただければ改善に努めます。
 なお、本記事の文につきましては、先に述べました著作者Grapevine及び田中和将氏の権利を害さない限り、転用して構いません。その際、ご一報頂けると嬉しく思います。
                             和田東雲

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