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1998年について ~間奏~ 

#読むバイン #grapevine #退屈の花 #天使ちゃん


 年が明けてしばらく経つ。年始、家族で福岡に慌ただしく帰省したものの、なんとか初詣には出たくらいで、ほとんど蜻蛉返りのように東京に戻った。5時間近い新幹線の中で多少はMacBookに向かえるかと思っていたが、わずかな年賀状すら返す余力もなく、そのまま仕事に戻ってしまった。

 仕事に戻ってからはストレスとプレッシャーで嗚咽する、お馴染みの日々で、放電する様にアルコールとサッカーゲームに漬かるのがやっと。笑い話にもならない。42歳。笑い話にもならない。

 僕に必要なのは、今、クオリティではない。そう自分に戒める。結果でもない。勘違いするなよ、と鼻先に人差し指を突き付ける。42歳なんだ。お前に必要なことは、ただ、何かを始めて、ひたすらにそれを続けることだ。言い訳も期待もしないことだ。死ぬのはまだ先にしても、死ぬ準備は必要になる。でないと、お前はこのまま朽ちることになる。そろそろ潮時なんだ。

 

 ・・・ウイスキーが果てた。ナッツを買いに行こう。


 今日、Grapevineの新譜が出た。2025年1月22日。「天使ちゃん」 格好よくて涙が出る。いつだって、果てしなく格好良い。僕が、たとえばくるりとかよりGrapevineに強烈に心を奪われてしまうのは、要するにいつも、とんでもなく格好良いからだ。1998年、あの時から。

 Grapevineのデビューは1997年。しかし、僕がGrapevineに出会ったのは1998年、「君を待つ間」のPVを深夜テレビで観てからだ。僕は17歳だった。リリース日は4月1日で、計算するとそれは僕が高校3年生になったその時だった。

 1998年当時は、「はじめに」で触れた様に、Dragon Ashやミッシェルガンエレファントなど、錚々たるロックバンドがデビューし、活躍し始めた時代だった。九州の片田舎のコンビニにすら、Rock’in Japanが売られていたし、金曜の夜にはtower countdownが新しい素晴らしいバンドを紹介し続けた。要するに、今よりもずっと文化はリッチだった。その理由は言うまでもなくインターネットの発達により、情報、音楽、そしてそれを取り巻くカルチャーがほとんどタダ同然になったことに起因する。今日出た「天使ちゃん」も、まずはYouTubeで無料で聴ける。凄いことだ。それでも再生数はゴシップや、ゲーム実況や、中身も糞もないYouTuberの無駄話に、到底及ばない。酷いことだ。昔は遥かに音楽というものが大切にされていた。敬意も払われていた。我々は遠くのCDショップまで自転車を飛ばし、曲が聴けるその前にパッケージのセロファンを剥がしたら、歌詞カードを熟読し、どんな音楽がそこで鳴っているのだろうと胸をときめかせたものだ。それに比べれば、今は前戯なしのセックスみたいなものだ。初めから服も何も纏っていない。全てが剥き出しでそのまま提示されている。(「天使ちゃん」がショート動画で少しずつ内容をチラ見せしてくれていたのは、せめてもの作法というべきが良心というべきか、どちらにせよありがたい。)


 と、こういうと、ジジイが「昔は良かった」とほざくお馴染みの与太話なのだが、いやいや、1998年は世相としてみれば相当に陰鬱で息苦しい時代だった。この年のニュースを調べてみると、完全失業率は過去最悪。長い就職氷河期時代の始まりである。1990年代は学校でのいじめが深刻化し、大きな社会問題となっている。ノストラダムスの大予言による地球滅亡を本気で信じる人はいないにせよ、終末思想やハルマゲドンの予感は、まるで空気の中に混じり込んだ湯害物質の様に蔓延しており、街を歩けば肺が痛むようだった。ロッキングオンの誌面の中で、小山田圭吾がいじめを自慢する様な記事が載ったのは1994年のことらしいが、どこかカルチャーは露悪的で、イカれていることが、なんだか格好いいと観られていたような時代だった。カート・コヴァーンが自分の頭にショットガンを撃ち放ったのも同1994年であり、デビッドフィンチャーの「Seven」は翌1995年、「ファイトクラブ」は1999年である。1999年の邦画「鮫肌男と桃尻女」も、当時の空気感や格好いいの価値観を、よく表している映画だといえよう。

 そんな時代に流れた「君を待つ間」。そして「退屈の花」。それは確かに1998年に産み落とされるべき作品だったし、今もなお、その時代の空気をありありと蘇らせてくれる。陰鬱で閉鎖的だが、それだけではない。この、高度にソフィスティケートされて、首を回すにも気を使わなければならないような令和の時代に比べると、ずいぶん牧歌的で、感傷的な時代であったと思う。要するに、どの時代もどうしようもなくクソったれていて、どうしようもなくチャーミングだということだ。


 「退屈の花」

 それは確かにあの退屈で陰鬱な時代に咲いた一輪の徒花に違いなかった。坂口安吾の愛読者である田中和将は、安吾の「恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」という「恋愛論」の一説から取ったという。いやはや、まったく人生はずっと退屈で陰鬱だよ、と42歳は思う。そしてGrapevineこそ、そんな退屈な僕の碌でもない人生に、彩と潤いを与えてくれている徒花なのだ。要するに、ずっと僕は、Grapevineに恋しているというわけだ。1998年から。

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