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鳥/退屈の花 #読むバイン no.6
歌詞全文はこちらをご覧ください。
https://www.uta-net.com/song/26860/
一ヶ月はあっという間。2月に入った。僕が何かを書くのは家族が寝静まった9時とか10時で、晩酌とスナックを消費しながら12時ごろまでだらだらと書く。それほど冴えた頭とは言い難い。疲れてそのまま寝てしまうことも多いし、ゲームをやったり動画を観たりして終わってしまう夜も多い。やれやれ、歳を取るわけだ。
1998年、田中和将は24歳で、彼のバンドGrapevineはファーストアルバムをリリースした。今ではもう、そんな指標が役目を果たしているのかさえ知りはしないが、オリコンチャートは41位だったという。セールス的に最大のヒットと思える次作「LIFETIME」はそのオリコンチャートで3位を記録することになるのだが、そのセカンドアルバムと比べて、より濃密で、閉鎖的と言われたこの「退屈の花」は、一部では評価が高かった。田中和将自身、何かのインタビューで、本来こういった閉ざされた世界観のものの方が、よりセールス的に成功した「LIFETIME」より好きなんだ、という趣旨の発言をしていたことを覚えている。それにしてもだよ、
もう飛べないよね もう羽根は戻んなくなってね
みっともないよね 買被らせて悪かったね
Grapevine
という歌い出しは、流石にファーストアルバムの愛想がいい一曲目とは言い難い。それにそもそもこの曲の主題が、[閉塞感と逃れきれぬ呪縛]と言っていいものだ。レディオヘッドの「Kid A」が大成功を収めたのが前年1997年で、それを思えば「退屈の花」、そして「鳥」は、やはりそんな時代を反映した作品だったと言える。
24歳……
#読むバイン #3 「Through times」で、田中和将の生い立ちについて触れた。そしてこの曲が、家族や田中和将の幼少期との訣別の歌であることを指摘した。#5 「Paces」では、田中和将の歌詞世界で初めに注意を払わなければならないのは、“彼女”とは、何を指すか、であると言った。ざっと歌詞を概観して、ここでいう“彼女”とは、「Through Times」の延長線上の"母"であると考えることもできる。しかしこの曲は「退屈の花」のリードソング。やはり恋愛の歌として読むのが自然だろう。
「退屈の花」は、坂口安吾の恋愛論の結論「恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」から引いた言葉だ。また安吾はこうも言っている。
「恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生の恐らく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。」
乱暴に要約すれば、恋愛というものが、千差万別の個性を持つ個人と個人の感情の交差であるのであれば、それを解き明かすことは、すなわち人間とは何かを解き明かすことだ、ということになろうだろう。だからこそ、田中和将の詩世界の中にある“君”という言葉が、単に女性を指すのではなく、個々人が様々なものを--そうまるでロールシャッハテストの様に--勝手に当てはめて機能してしまう理由だろう。
「鳥」は、矛盾と対立構造によって形作られている作品だ。言い換えればそれは葛藤である。
鳥が理論の真上、行ったり来たりしてるよ
鮮やかに舞うのさ狭い世界に合わせ
鳥は本来自由に空を飛ぶことができるどこまでも自由な存在の筈だ。これは要するに24歳の、どこまでも自由な筈の田中和将自身だ。しかし鳥は“狭い世界に合わせ”頭上を旋回するばかりで遠くにはいけない。
だって臆病な僕らに暖かい家
があるからだ。"暖かい家"は、愛すべき君/恋人である。彼は彼女が居るがゆえに、彼女を捨てて自由な空へ羽ばたくことができない。それが、
買い被らせて悪かったね
という逆恨みの様な嘆きに繋がっている。
しかし理由は彼女ばかりではない
Why do you want to stay?
だって臆病はいつまでも隠せやしない
英語で問いを発しているのは、理論上の鳥だ。つまり、本来どこまでも行けるはずの自分が、上空から何処にも向かわない自分自身を見下ろして訊ねている。その理由は"臆病"だ。彼は彼女から離れて、孤独に向かうことが怖い。
田中和将は、自分が天才であることを知っている。このアルバムのエンドソング「愁眠」を書いた時に確信したという。(当然私に異論などあるはずもない。だからこそこうしてGrapevineが正当に評価も理解もされていないと半ば憤り、夜な夜なウイス・キーボードを叩いているのだから。)
天才を自覚する彼は、自分がこれからどうすべきか、どこに行くべきかが分かっている。初めから結論は出ているのだ。彼女を捨て、出ていく。「恋は泡」では"おいとまさせてもらうよ Bye Bye Bye"と歌った田中和将だが、「鳥」ではここから出ていくことが出来ないし、何も言うことができない。
I know you hate me
ですから構わないで
と拒む言葉から判ること。僕らは暖かい家にいながらも、互いに孤独である。
この二人の関係は、実に15年後、「なしくずしの愛」で次の様に再浮上してくる。
終わらない 終われない
この世の喜びの片隅で
お前も孤独の歌を聴けばいい
この旅の果てにいるのが、「ぬばたま」の二人ではないだろうかとも思えるのだが、流石に飛躍が過ぎるだろう。
さて、最後に安吾の「恋愛論」の結末を、もう一度、そしてさらに長く引用。
人は恋愛によっても、みたされることはないのである。(中略)むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。(中略)
人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。(中略)苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。
さて、孤独な皆様、あなたの花は?
【著作権について】
本記事では、日本のロックバンドGrapevineの音楽、主にその歌詞を考察していきます。Grapevineは、歌詞については、ギターとボーカルを担当する田中和将氏が書いています。そのため、歌詞の一切については著作権者は田中和将氏にあるものと考えております。ただ、日本の著作権法には以下のような一文があります。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
本記事は、公表された著作物について、引用して批評・研究しようとするものであり、著作権者の権利を侵害するものではないと考えています。また、その意思はありません。万一、引用の仕方や分量について、著作権を侵害するような部分があると感じられた場合、ご指摘いただければ改善に努めます。
なお、本記事の文につきましては、先に述べました著作者Grapevine及び田中和将氏の権利を害さない限り、転用して構いません。その際、ご一報頂けると嬉しく思います。