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Paces/Grapevine #5 読むバイン

#paces #grapevine #読むバイン #和田東雲
歌詞全文はこちらをご覧下さい。 https://www.uta-net.com/song/26840/

 2024年12月31日。23時を少し回ったところでこれを書いている。今年が終わる。紅白歌合戦ももう最終盤のはずだが、テレビは消してある。妻と子どもたちは今眠りについたところだ。
 なんとなく、今日Pacesについて書かなければ、上手く年を越せない気がして、少し焦りが生まれている。曲が「Paces」なだけに、少し落ち着きたいものだ。

 「Paces」。何度聴いただろう。大好きな曲だ。特に、あのリフレイン。

 今振り返れば、僕の価値観を変えた曲と言っても、差し支えない気さえする。けれど、僕はこの歌詞のことを未だにまったく読み解けていない。歌詞カードに並ぶ言葉は、一つ一つ心の襞を撫でるけれど、その実態を掴めないまま通り過ぎていく。その曖昧さが、僕を虜にした。

街路樹の通りを横切っていくステップ
君のコートからは 何も感じられなかった

Paces/Grapevine 田中和将
以下略

 いつもより彼女は まるでバタフライ
 そんな大きな羽根 広げて何処へ行くの何故

 露に酔った世界は輝いて見える
 そのランプだってもう いつまで待って燃え上がる?

 美しく、暗示的で、謎めいた歌詞。ブルトンやエリュアールの様なシュルレアリストの詩人みたいに、偶発的なイメージを、音に合わせて並べているようにも思える。

 この世は不条理で、不可解で、意味があるとは思えない様な出来事が、次から次に起こり続ける。僕がこの曲を繰り返し聴いていたのは、16歳の頃で、ちょうどそんな出来事が次から次に身に降りかかり、ひどく混乱していた時期だった。
 不条理。それはある意味で救いであった。僕はルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」にのめり込み、阿部公房の「箱男」やマグリットの奇妙な絵画に心を惹かれていくことになった。目の前で起こる、不可解なこと、そこには現実を超越した何かがある、そう感じることで、全てに意味があると思えてくる。そうでなければ、ぽっかりと心に空いた穴や、終わりのない胸の痛みをどう捉えればいいか分からなかったのだ。
 意味は分からない。しかし感じる。それがこの曲「Paces」だ。少なくとも、僕にとっては。

「君」または「それ」

 田中和将の歌詞世界を開こうとする時、常に最初に取り掛からなければならないことは、「君」や「それ」が指すものは、一体何かと探ることだ。とくに「君」。

 それは多くの歌がそうである様に、たった一人特定の女性かもしれない。

尖った風邪を伝染されたまま keep on growing
冬の空は 少し笑って また君を連れ去った

 しかしそうとだけにも思えない。
 分かることだけを確かめていこう。

始めからそこには君が居たの?
少し気にしながら ただ立っていただけなのに
誰だってここを通り過ぎたはずなのに

 始めからそこに「君」がいたことに、最初「僕」は気付いていない。「僕」のすぐ近くに立ち、気に留めてはいたけれど、実態が分かっていないということだ。他の皆はそこを通り過ぎているけれど、誰にも気付かれていない。まるで謎謎だ。幽霊だろうか? それとも古谷実の「ヒミズ」に出てくるカタストロフの権化みたいな化け物だろうか? 或いはただ、存在感の薄い女の子? もう少し見てみよう。

街路樹の通りを横切っていくステップ
君のコートからは 何も感じられなかった

 コートを着ているのだから、季節は秋冬だ。街路樹とあるのだから、紅葉の始まった秋を連想させる。「君のコートからは何も感じられなかった」と呟くと言うことは、そこに何かを感じるべきだったということ。「君」を温める必要があったのに、「僕」にはそれができなかった、当時の僕はそんな風に聴いていた。けれどそれは、ロールシャッハテストみたいなものだ。当時の僕が、たった一人の特定の女性に対し、「君を温める必要があったのに、僕はそれができなかった」と、思い込んでいたからこそ、そのように聴いていたのだと思う。

 もう一つの鍵「それ」。

いつだってここは昼過ぎのまま そのPaceで
耳のそばをかすめたそれは
また僕をくすぐった

 「それ」とは何か。耳のそばをかすめることができるのだから、Grapevineの中心的なキーワード「風」であろうか。この「風」は、田中和将の歌詞世界の中で、度々啓示のような使われ方をして繰り返し出てくる。しかし「風」だとしても、それは暗示に暗示を重ねる様なもので、答えにはならない。先に進めよう。

 2番で「君」は「彼女」になる。

 いつもより彼女は まるでバタフライ
 そんな大きな羽根 広げて何処へ行くの何故

 彼女は居なくなった。行く先を「僕」は知らない。理由も知らない。

冬の空は 少し笑って また君を連れ去った

 「また」。彼女が連れ去られるのは、初めてではないということだ。となれば、やはり「君」=「彼女」とは、人ではないということになろう。「冬の空」が擬人化して「君を連れていく」ことと同じく、「君」「彼女」も何かを擬人化したものだ。

 結論を言えば「君」「彼女」とは、アドレサンス(思春期)のことではなかろうか。デビュー当時から「老成された」という評されることの多かったGrapevine。#4 Through timeで見た様に、田中和将の少年期は壮絶な環境にあり、否が応でも老成せざるを得ない環境にあった。ろくに学校にも通っているとは言えない思春期のこの田中和将の博学は、文学に傾倒することで培われたものであることは明白だ。それは「奪われた青春」という見方もできる。あどけなく過ごしていくことができない十代だったのだ。「そのPaces」とは、「無邪気に過ごせた夏の季節」のことであり、今はコートが必要な秋に入ってしまったということだ。

 ファースト・ミニアルバム「覚醒」。これが始まりである。しかし恐ろしいほどに、その後のGrapevineの作品群の種が、この中に眠っている。神の啓示としての「風」、イノセンスが許されていた神話的な「夏」への憧れ、失われてしまった「君」。1997年に始まり、そうまさに今、年を超えた2025年もまだ続いているこの物語は、果てしなく壮大で、難解なパズルだ。
 あけましておめでとう。まだ、ここに読者はいない。僕はひとり、正月の宵にキーボードを独り叩き続けているだけだ。赤く染まっちゃう夢見し夜はもうたくさんだよ。

 Please let me 目を醒ましてくれ

【著作権について】
 本記事では、日本のロックバンドGrapevineの音楽、主にその歌詞を考察していきます。Grapevineは、歌詞については、ギターとボーカルを担当する田中和将氏が書いています。そのため、歌詞の一切については著作権者は田中和将氏にあるものと考えております。ただ、日本の著作権法には以下のような一文があります。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない

著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)

 本記事は、公表された著作物について、引用して批評・研究しようとするものであり、著作権者の権利を侵害するものではないと考えています。また、その意思はありません。万一、引用の仕方や分量について、著作権を侵害するような部分があると感じられた場合、ご指摘いただければ改善に努めます。
 なお、本記事の文につきましては、先に述べました著作者Grapevine及び田中和将氏の権利を害さない限り、転用して構いません。その際、ご一報頂けると嬉しく思います。

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