不登校とコップの水
プロジェクトマネージャーをしています。
昨日は息子氏17歳の誕生日でした。
今、思っていることを書いておきます。
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中学時代には
いわゆる不登校と言われる
期間があったけれど
高校2年生の今は
有登校(不登校の逆は何というのだ?)
と言うのだろうと思う毎日がある。
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その姿を近くで見ていて感じたのは
彼の内側にあるコップの水が
溜まったのかなということ。
小さな一滴のしずくを毎日少しずつ
時間をかけて溜めたのかなということ。
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そう思うと、お休みが必要になった時には
そのコップが空っぽになっちゃったんだなと。
いきなり空っぽになったわけでもなくて
コップに小さなヒビが入ってて
毎日少しずつ、一滴ずつ
こぼれていたのかもしれないし
コップのお水の消費が
いつもより早かったのかもしれないし
毎日溜まる小さな一滴のしずくが
いつもよりゆっくりだったのかもしれない。
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気づいた時には、コップの水が空っぽで
全然溜まらなくって。
本人もびっくりしたんじゃないかな。
自分に何が起こってるのか
わからなかったんじゃないかな。
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いわゆる不登校と言われる期間の中で
彼は今までの生き方から一度立ち止まってみて
自分の生き方を見つめていたんじゃないかな。
あたたかな環境に支えていただきながら
彼自身の努力もあって
コップの水が溜まったんだろうなと思う。
溜まる過程で意外にも重要だったのが
時間だったように思う。
未来のことは誰にもわからないから
つい不安になって
あれやこれやと動いてみるけれど
時間が解決するってこともあるのかもなと思った。
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ここに書いたことは、全部、私の勝手な想像だから
あっているのかはわからないけど
自分の中ではしっくり来ている。
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いわゆる不登校と言われる状態になって
私もずいぶん悩んだけれど
その時に自分と向き合って出てきた願いは
「命の輝きに触れたい」
というシンプルなものだった。
学校に行くことが願いではなくて
命の輝きに触れたいということが願いだった。
子どもはいつも大切なことを思い出させてくれる存在だ。
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彼との出会いに感謝。
彼の命に感謝。
彼の命の輝きに感謝。
お誕生日おめでとう。
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俺のことは書くな!と小学生の頃に言われて
それからできるだけ控えているのだけど
悩んでいたあの日の私に
17歳の誕生日に感じたことを伝えたくて
こっそり書いています。