日本の祝事-子供編8
2006年9月22日 (金)/27日(水)
<子供の誕生と健やかな成長を祈る祝い>
1.帯祝い・着帯の祝い
2.出産の祝い
3.お七夜 命名式
4.お宮参り
5.お喰い初め、百日の祝い
6.初節句
7.初誕生祝
8.七五三
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8.七五三
<七五三の成り立ち>
七五三の風習は、古くは宮中での儀式から始まり、それが次第に武家から庶民へとひろまったものと考えられています。
昔は子供の延命率が大変に低かったので、生まれてから七歳までは不安定であって一人前ではなく、その存在は神様の手の内にある、と考えられていました。
そのため、七歳まで成長すると、それまで加護してくれた土地の産土神に詣でてさらなる成長を祈り、その後初めて地域の一員として認めてもらって、村民や町民の数に入れてもらうというのが一般的であったのです。
もともとは、子供が数えで三歳・五歳・七歳になったときに、めいめいの家で行っていた祝い事なのですが、いつしか秋の嘉日に行われるようになりました。
現在ひろく七五三の日として知られている11月15日という日は、武家の祝日であったとも、また庶民のあいだでは収穫を祝う祭りとあわせて行われたためとも言われていますね。
ですから、北の地方では、11月では寒くなってしまうこともあって、1ヶ月早い10月15日に行うところもあるようです。
<宮中と武家での成長祝い>
上記のように、子供の延命率が低いのは、庶民に限ったことではありませんでした。
そのため、宮中の皇族や公家、またその影響を受けた武家のあいだでは、以下のように少しずつ段階をふんで成長を祝い、着るものや髪型も徐々に大人に近いものにして、さらなる成長を祈願したのです。
それぞれの祝いについては、当初日にちが決まっていたわけではなく、子供の誕生日近くの吉日を占いで選んでそれぞれの家で行っていました。
「11月15日」という日は、室町時代に武家のあいだで決まった日と言われています。
<数えで2~3歳>
男児女児とも
「髪置き(かみおき)」「髪立て(かみたて)」
胎髪以来、赤子の時はそり落としていた髪の毛を、この時期から初めて伸ばし始めることをさします。
時代が下がると、碁盤の上に子供を座らせ、髪に縁起物を結んで成長を願うという儀式も行われました。
<数えで3~8歳>
男児女児とも
「着袴(ちゃっこ)」「袴着(はかまぎ)」
赤子用の産着とオムツであった衣類「むつき」から、初めて「袴(はかま)」をはかせ、大人に近い着物を着せることをさします。
この時、袴と小袖(こそで)を着せるのですが、小袖の襟先には紐(ひも)が付けられ、背中に回して結ぶようになっていて、まだ帯は結びません。
<男児数えで5歳、女児数えで4歳>
男児女児とも
「髪曽木(かみそぎ)」「深曽木(ふかそぎ)」
「髪置き」以来伸ばしていた子供の髪が胸元辺りまで伸びたころ、いったん先を切りそろえる儀式のことさします。
(「曽木(そぎ)」は「削ぎ(そぎ)」と同意ですが、当て字と見られています)
昔は、男女とも成人は髪を結いましたので、その準備ともいえる儀式です。
本来、髪が伸びる速さには個人差がありますから、それぞれの家で独自に行っていたのですが、時代が下がるにつれて女児が4歳、男児が5歳というように決められていきました。
<数えで5歳~9歳>
男児女児とも
「紐落とし(ひもおとし)」「紐直し(ひもなおし)」
「帯解き(おびとき)」
小袖の襟先の紐をはずし、大人と同じように帯を結ぶ儀式をさします。
着袴の時から着ていた小袖には、子供用として襟先に紐が付いていて、これを背中で結ぶと、帯を結ばなくても着られるようになっていました。
この紐をはずして、これ以降、大人と同じように帯を結ぶことは、昔でいうならば一人前の証でもあったのです。
<江戸から明治、庶民への浸透>
以上は、平安時代から室町、鎌倉と時代が下がるにつれて公家から武家へ少しずつ形を変えて伝わってきた慣わしです。
江戸時代中期ごろ、この慣習を商業的に取り入れて宣伝をし、富裕層に広めたのは、晴れ着を扱う呉服商でした。
大都市の富裕な商人や武家を中心に、江戸後期にかけて盛んになったようですが、これが現代の七五三の原型といわれています。
ただし、一般庶民が子供に晴れ着を着せてお参りに行くようになるには、さらに時代が下って明治時代以降のことでした。
意外に近い、七五三のルーツです―。
<現代の七五三>
毎年11月15日に、数えで3歳と7歳の女の子、5歳の男の子に晴れ着を着せ、地元の神社にお参りすること、これが現代の七五三ですね。
ただ忙しい昨今では、土日に重ならない11月15日の場合、親や祖父母が仕事を休めないなどの理由があり、10月中旬から11月15日前までの嘉日の土日に済ませる人たちが多くなりました。
(一般的には、お祝い事は早めても良いのですが、遅れるのは良くないということで、なるべく11月15日までにすませるご家族が多いですね)
年齢も、数えではなく満年齢で祝う割合も高くなっています。
(数え→生まれたのがたとえ何月であっても、初めての正月を迎えると1歳、とする年齢の数え方)
もともとは子供の成長を祝うことが目的ですから、本人の様子をよく見ながら、家族の都合とすり合わせて日程を決めるのが良いでしょう。
最近では、子供が着慣れない着物で疲れてしまうことを見越して、着物姿の写真はお参り日よりも前に撮影しておき、当日はワンピースやスーツなどの洋服でお参りをするという家族も増えています。
<晴れ着について>
「晴れ着は和装」と決まっているわけではありませんので、洋装でも良いと思います。
ただし、あまり奇をてらったものではなく、お祝いの雰囲気が出るものを着せてあげると良いでしょう。
<3歳の女児>
和装の場合は、お宮参りの時の祝い着(三つ身裁ち)を着ることが多いですが、新調する人もいます。
この時、帯は結ばずに「被布(ひふ)」という袖なしの上着を着せます。
足元は白足袋に草履かぽっくりですが、履きなれないので「足が痛い」と泣くことも…。
普段履きなれている靴かサンダルを別に持っていくと良いかもしれません。
洋装では、可愛いチャイルドドレスやワンピースなどを用意する人が多いですね。
満で3歳ならまだしも、数えでの3歳の場合は、まだまだ人見知りをしたりむずかる頃でもありますから、様子を見て早めに着替えさせてあげるのも一つの方法です。
<5歳の男児>
和装の場合は、熨斗目模様の紋付着物に仙台平の袴をはき、紋付の羽織を着ます。
足元は白足袋に草履ですが、やはり履きなれないので鼻緒ズレが出来る場合があります。
普段履きなれている靴かサンダルを別に持っていくことをお勧めします。
洋装ではスーツが多いでしょうか。
5歳ともなるとだいぶしっかりしてきますし、言い聞かせもきく頃なのですが、やはり着慣れないものを着て歩くと疲れてしまい、ぐずることもあります。
お参りのあとの食事のときは、普段着に着替えさせてあげると良いかもしれません。
<7歳の女児>
3歳のときと比べると、もうぐっとお姉さんになりますね。
自分で着たいものの好みも出てきて、気に入ったものを着せてもらうと、食事の間も「脱ぐ~!」と言わずにいるお嬢さんが多くなります。
一般的には、四つ身の本裁ちにした大人用の着物を、肩上げや腰上げをして着ます。
帯は抱え帯を結ぶのですが、胸高に締めた帯には扇子、胸元には「箱せこ」を入れます。
足元は白足袋に草履かぽっくり、髪も結い上げて、手柄を飾ったり、かんざしを挿したりします。
最近では衣裳のレパートリーが増えて、だらりの帯を締めた舞妓さんスタイルや、袴にブーツのはいからさんスタイルが大人気です。
<親、祖父母の衣裳>
父親はほとんどスーツでしょう。和装というのは今やほとんど見かけません。
母親は、和装なら訪問着や付け下げ、色無地を着ますし、洋装ならスーツかワンピースですね。
祖父母の場合、昔はやはり和装が多かったのですが、今はある程度キチンとした服装でしたら、本人たちが楽な服装で来てもらうということが多いようです。
<荷物の注意>
子供の晴れの日ですから、親御さんも正装する方々が多いのですが、持ち物がかなり多くなりますので、ちょっとした覚悟が必要かもしれません。
荷物は、子供の着替え、替えの履物、カメラやビデオ機器などなど…。
親御さん自身も、お参りのあと着替えるようなら、その分の荷物も増えますね。
子供が寝込んでしまったら、抱っこしたりおんぶしたりもしますから、そんなこんなを考えると、荷物は上手にまとめていかないと大変なようです―。
<支度と写真>
現代では、七五三の衣裳を借りる人も多く、さまざまな関係業者が「七五三パック」を用意しています。
貸衣装屋さんが主で、美容・着付け・写真をパックにしている場合や、美容院が主で、衣裳・写真をパックにしている場合、写真屋さんが主の場合もありますよね。
自宅から衣裳を運ぶ手間や、衣裳屋さん、美容室、写真屋さんと別々に渡り歩く手間を考えたら、1ヶ所で全部済んでしまう便利さが、多くの人たちに支持されている理由でしょう。
休日で嘉日ともなると、どこもかなりの混雑のようですから、早めに計画を立てて予約を入れておくのが得策ですね。
ふだん着物を着ている身から見ると、ウチの社内にいるプロの着付師さんも、それぞれの得手不得手があるようです。
プロといえども、普段から着せている場数によってスキルのレベルも違いますし、特に子供の場合は個人差が出るようですよ。
小さい子の着付は、あまり窮屈にしても、またゆるめにしてしまってもダメなので、出来れば慣れた人に、楽に着付けてもらえるといいですね…難しいですけど…。
子供のことですから、あちこち歩いているうちに疲れてしまったり、せっかくきれいに着付けてもらっても、写真を撮る前に着崩れしてしまったりと、アクシデントが予想されます。
それもいい思い出かもしれませんが、あとに残る写真などは出来るだけ笑顔で撮ってあげたいものですね。
支度が済んだら、お参りの前にすぐ写真を撮れるようにすると良いようですよ♪
最近では、お参りの当日には撮らず、前もって撮影する「前撮り」をする人も増えているようです。
価格がお得だったり、衣裳を替えて撮れるという特典があったりしますし、当日のバタバタした空気の中ではグズってしまい、笑顔での写真が撮れないのでは、と心配するむきにも好評です。
写真屋さんにとっても、予約が集中する日以外に撮れれば余裕もありますし、件数としてはプラスになるしで、多少サービスをしても充分に商売になりますものね。
互いの利害が一致するわけですから、上手に使うと良いのではないでしょうか。
<お参りについて>
最近では、宗教色を嫌って神社へのお参りをしないという家族もいますので、すべきかどうか、というようなお話はナシということにしましょう―。
もともとの意味での「お参り」は、地元の「産土神(うぶすながみ)」(生まれた土地の神様・氏神様)へ、生まれてから無事に成長したことの報告と感謝をし、そして今後のさらなる加護を願うために行います。
社殿の前でお賽銭をあげて拝礼する場合と、社殿に上がって神官に祝詞をあげてもらう場合とがありますが、後者の場合は予約が必要なこともあり、時間が決まっていることがほとんどですから、前もって確認をしておくとよいでしょう。
また、その場合は「玉串料」として一定のお金をお包みしますので、その金額も確認し、あらかじめ用意しておくとよいと思います。
『千歳飴(ちとせあめ)』
七五三というと付き物なのは「千歳飴」ですね♪
この千歳飴、江戸時代に浅草寺門前で売り出されたのが始まりだそうです。
長寿を願って細長く伸ばした棒状の紅白の飴は、お菓子屋さんでもこの時期しか販売しませんでしたから、子供の頃は本当に欲しかったなぁ…。
七五三じゃないのに買ってもらったりした記憶がかすかにあります―。
そういえば、不二家のミルキー千歳飴、美味しかった!
今じゃ甘すぎてとても口に入れる気がしませんけどね…。
<お祝いの会食について>
お参りをしたあとは、家族でお祝いの会食をすることが多いですね。
父方、母方の祖父母も招いて、なごやかに食事をする様子はたいへんに微笑ましいものです。
祝い膳の料理に、原則として特に決まりはありませんが、子供が好むものを食べさせたい、という親御さんが多いですね。
地方によって祝い方もさまざまですが、関東で豪勢なのは千葉県かなぁ…。
かの地での七五三は、ホテルの宴会場を借り切って、盛大に祝宴を催します―。
招待者は50~100人、あるいはそれ以上、ということもあるそうですが、食べきれないほどのご馳走を用意し(料理が残らないと、お客様をもてなしきれなかった、と悔やむそうです)、子供本人のお色直しや列席者の余興があり、帰りには引き出物を持って帰っていただくなど、まるで結婚披露宴のような豪華な宴席となっていますよ。