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インスタに載せた空の写真に罪はないんだけどね

M1から早1カ月が経つ。
M1で活躍した芸人がさまざまな媒体で活躍する様はまさにM1ドリームだなと微笑ましく見守っている。
それぞれにM1で爪痕を残した中で1組、平場の自虐が爆発的に面白い事になっていたアキナについて思うところがあったので徒然なるままに。

準決勝では結果を出し、優勝候補とまで言われていたアキナのネタが、決勝の舞台ではネタのポテンシャルが十分に発揮されないという不思議な現象が起きた。
自身の悲痛さを平場劇におとしこんだのは流石だが、何故このような結果になったのだろうか?

寸評に恋愛設定が中年にはハマらなかったのではという話があった。
審査員に関してはおおむね年齢層的にネタに入り込めなかったという事だと理解できる。
では観客はというと20~30代の男女が多そうに見えた。審査員と同じ理由は当てはまらない気がする。

個人的には、コント漫才に成りきらないふわっとした設定が気にかかったので、観客もそんな気持ちを抱いたのかなと思った。
構成を見たらコント漫才なのだろうけど、アキナも後々言っていたがあえて配役の設定を観客に伝えていない。
架空の女の子の事は好きなのかもと匂わせたままだし、アキナが演じているのは役なのか本人なのかも言葉にしてない。
ただ設定が全くわからない訳ではなく「好きなん?」のセリフを言われた山名さんの様子から、好きな人にいい所見せたいイキりキャラを想定できるし、女の子の存在も見える。

しかし漫才の形としてはあまり見たことのない形だった。過去アキナのネタの傾向を知っていたり、漫才を見慣れている人が脳内で設定やキャラを補って成り立つ漫才だったのかもしれない。
序盤で観客に設定や女の子のディテールを明確伝えるやり方もあったかと思うが、本人達のネタへのポリシーもあるし正解はないので言及しない。

では準決勝や前評判の良さはどこから来たのかという事になる。
これについては、準決勝の会場や配信で見ていた人は年齢がそこそこで、日頃から漫才を見慣れていて、アキナの設定を脳内で補完することができる、このネタがハマる人達だったのではないかとの推察に至る。
準決勝の配信チケットに4000円を出せる漫才ファンだからこその評価があったのかもしれない。

決勝戦の審査員は恋愛の設定に首をひねり、決勝戦の観客は漫才の設定に首をひねったが、準決勝の観客・審査員・視聴者には設定が伝わってハマった。
よって、評価に差が生まれたのではと個人的には思っている。

前評判が良ければ、そりゃ空の写真をインスタに載せるし、大阪のタクシー運転手に六本木までとか言っちゃう気持ちも理解できる。
ただただあの瞬間のあの舞台に魔物がいたという事だと思う。

霜降りが優勝した時も上沼さんが「ネタ初めて見た。うまいなぁ。」と言ったように、興味のある人からすればビックリするくらい、芸人や芸人のネタを知らない人が多い。
誰にでもわかって面白いお笑い作るってつくづくヤベぇ事だわ、と思う素人でした。

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