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天才から社会学を学んだ話

大西拓磨さん。IQ173の天才。
『IQが日本で3番目に高く、東京藝大を首席入学したけど退学し、今はネットカフェで暮らしている人物』
このキリトリ情報だけを見たら、天才過ぎて社会に馴染めず、定職につかず、好きな事を突き詰める姿がパトロンに見初められる、いわゆる一昔前の画家や音楽家みたいな人、というラベリングをしてしまいそうになる。
一見、天才と言われる人は社会と断絶しても平気な孤高の人物像を思い浮かべがちだが、大西さんは「社会に埋もれてる3年前の自分のような人に目を向け、友達になってほしい」と話していた。
誰しもにごく当たり前に承認欲求があり、それを満たすとはどのような事なのか、大西さんを通じて考えさせられる事となった。

大西さんが社会とつながる術は、自分の生み出すデザインであるとの内容の話をされていた。
そこだけを聞けばやはり天才は凄いなと思うが、大西さんからはそれのみが社会とつながる術であるという印象をうけた。

仕事をすること、SNSで発信すること、いいねをもらうこと、話すこと、聴くこと、生きることまでもが社会とつながる術だが、大西さんにはそのジャンルでのつながりは難しいようだ。

誰しも知らず知らずのうちに毎日社会から承認を無数に受けて生活をしているが、当たり前過ぎてそれがギフトだとは思わず日々を過ごしている。
ギフトがもらいづらい人の気持ちまではなかなか考えが及ばない。

大西さんは人生の中でかろうじて何回か社会とのチューニングが合いギフトをもらえる瞬間がきたが、これがなければどうなってしまっていたのだろう。
あまり考えてはいけないだろうが、社会的に抹消され埋もれたり、自分で抹消してしまっていたのかもしれないと思うと、今の大西さんの状況は奇跡だと思うより他ない。

自分は芸術がわかる人ではないが、大西さんのパンダのデザインや、イスやコップを使ったインスタレーションは楽しいと思えたし、自分の中にはない発想とデザインが見えている人なんだという事は何となくわかった。
きっとチューニングを合わせられれば、落合陽一さんやキンコン西野さんのような人になりそうであるが、本人も周りもまだチューニングをどこに合わせれば良いか手探りで、かろうじて音が入ってくる状態のラジオのようなもどかしさを感じた。
でもこのもどかしさは、電波の良い所へ行けばいいというような『もっとうまくやればいいのに』という荒唐無稽で身勝手な意見だと思う。
そんなことはわかりきっているだろう。
本質はそこじゃない。

大西さんはIQにしても他の活動にしても、自分には何ができて、何だったら社会から承認されるのかを模索した結果からわかった産物であり、社会との接点を切っているように見えて実はずっと接点を模索し続けている人なのかもしれない。
今ようやく大西さんが生み出すデザインそのものやデザインに至る思考がじわじわと社会に届きはじめ、同じような境遇の人を照らしはじめているように感じる。

多様性、ジェンダー、色々な問題がニューノーマルに浸透するために社会と折り合いをつけだしている。
ビジュアルのクセを見て一筋縄ではいかなそうだなと偏見から入ったが、林修先生と対談する様子は柔和で繊細な青年にみえた。
話が通じない、何を考えているのかわからないと排除するではなく、本質を見抜き認知することの難しさを番組を見ながら痛感した。
なかなかヘビーな社会学になった。

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