経済産業省は噴霧乾燥器の規制を正しく運用してきたか 【大川原化工機国賠訴訟5】
大川原化工機及び同社社長他幹部が外為法違反(不正輸出)として起訴された事件で、2021年7月30日、第一回公判期日を目前に控え、検察官は異例の起訴取り消しを行った。これを受け、東京地裁は8月2日に公訴棄却を決定。事件は突然に終了した。2021年9月8日、大川原化工機らは、警視庁公安部による大川原氏らの逮捕、及び検察官による起訴等が違法であるとして、東京都及び国に対し、総額約5億6500万円の損賠賠償請求訴訟を提起した。
噴霧乾燥器の規制要件「ハ」は、本来消毒を意味するはずのdisinfectedを「殺菌」と和訳したことに起因して解釈に曖昧さが残されてました。また、AGにおいて合意された disinfected の定義は、経済産業省の誤訳により国際ルールと齟齬のある"解釈"が通達に置かれていました。このような状況のもと,経済産業省は,噴霧乾燥器の滅殺菌要件についてどのような運用をしてきたのでしょうか。訴状から一部を抜粋・加工して紹介します。
経済産業省の所掌事務
日本において輸出管理規制を所掌するのは経済産業省である。
具体的には,貿易経済協力局貿易管理部に置かれる安全保障貿易管理課,安全保障貿易審査課,及び安全保障貿易管理政策課が担当している。
該非判定用の「マトリクス表」とは
輸出管理規制を所掌する経済産業省は,輸出者が自己の貨物等について該非判定を行う際に利用するためのツールとして,貨物等省令の定める規制要件及びその経済産業省の運用上の解釈をまとめた「貨物・技術の合体マトリクス表」を作成し,経済産業省の安全保障貿易管理に関するホームページに掲載して公表している。
マトリクス表は、輸出者が該非判定を行う際の,事実上唯一の公式な参照資料である。
マトリクス表において滅殺菌の解釈は示されていたか
滅殺菌の解釈については,経済産業省は,国際ルールで定義が定められたことを受け,通達を改正して滅殺菌に関する用語解釈を置き,その内容をマトリクス表のクロスフローろ過装置の欄に明記した。
(クロスフローろ過装置の規制に関する用語解釈のマトリクス表)
しかし,平成25年10月に法令を改正して噴霧乾燥器の規制を導入したた際,そしてそれ以降も,経済産業省は,マトリクス表の噴霧乾燥器の欄に滅殺菌の用語解釈を記載しなかった。
(噴霧乾燥器の規制に関する用語解釈のマトリクス表)
噴霧乾燥器の輸出者が本件解釈通達により該非判定を行うことは不可能
これは,経済産業省自身が,クロスフローろ過装置に関して定められた用語解釈を噴霧乾燥器の規制運用上同様の意義を有するものとして用いることを,予定ないし意図していなかったからに他ならない。
そのため,国内の噴霧乾燥器の輸出者において,当該解釈により該非判定を行うことなど,まったく不可能な状況にあった。
また,経済産業省は,大川原化工機を含む噴霧乾燥器のメーカーに対し,クロスフローろ過装置に関して定めた滅殺菌の用語解釈が噴霧乾燥器において同様の意義を有するものとして解釈運用される旨の指導を,一切行っていなった。
逮捕直前の追記
現在のマトリクス表の噴霧乾燥器の欄には,本件要件ハの「滅菌又は殺菌をすることができるもの」の解釈として,クロスフローろ過装置の滅殺菌解釈と同一の文言が記載されている。
(現在の噴霧乾燥器のマトリクス表)
しかしこれは,大川原化工機社長らの逮捕直前の令和2年1月ころに追記されたものであった。さらにいえば,経済産業省は,同追記にあたり,その旨を周知する措置を一切講じていなかった。
<解説1>経済産業省自身、噴霧乾燥器の滅殺菌要件について明確な運用を行ってこなかった
上記のとおり,輸出管理規制を所掌する経済産業省自身,噴霧乾燥器の規制導入後においても,滅殺菌要件について明確な解釈運用を行ってきませんでした。内部通達上は,クロスフローろ過装置の際に定めた滅殺菌の解釈が存在しましたが,その内容自体が国際ルールを忠実に反映したものではありませんでしたし,経済産業省自身,これを噴霧乾燥器の規制運用に用いることは頭になかったはずです。だからこそ輸出者の該非判定のツールであるマトリクス表にも明記されていなかったのです。
<解説2>業界における認識
噴霧乾燥器業界全体をみても,付属ヒーターの熱風で内部を温めれば内部を滅殺菌できるという解釈のもと該非判定を行っている会社は殆どありませんでした。捜査により,噴霧乾燥器の規制導入以来,規制該当品として輸出許可申請を行った会社は1社のみだったことが明らかにされています。
大川原化工機で該非判定の実務を担当していた島田取締役(当時)は,「ハ」の要件を満たすのは,①蒸気滅菌できるもの,及び②薬液消毒を可能にするCIP(Cleaning In Place:定置洗浄)システムを備えた噴霧乾燥器を意味するものと認識していました。付属ヒーターから熱風を送り込む機能は,全ての噴霧乾燥器が備えているものです。これをもってハの要件に該当するとは解釈していませんでした。このような考え方は,業界においてむしろ一般的だったといえます。
<解説3>捜査機関が打ち立てた殺菌の解釈
警視庁は,付属ヒーターによる熱風で装置内部を温め続けることで,結果的に殺滅できる有害菌が1種類であれば,「内部を殺菌することができるもの」に該当するとの解釈を打ち立てて,大川原化工機を立件に向けた捜査を続けました。
しかし,このような解釈は,国際ルールに反するものであるばかりか,国内において輸出管理を所掌する経済産業省においても運用上採用されておらず,また,噴霧乾燥器業界においても一般的な解釈ではない,独自の解釈だったのです。
関連記事
前の記事 (4) 国際ルールを"誤訳"した残念な通達
次の記事 (6) 警視庁の行った実験とその不備