マシュマロへの回答:VTuberの中に何を見たいか?
回答が遅くなってしまい本当にごめんなさい!
って、最近マシュマロ回答するたびに言ってる気がする!待たせてしまっていることに違いはないので何度でも言いますごめんなさい!
実は、回答記事を一旦書き上げてはいたのですが、ワダチらしからぬ出来になってしまったため、削除してリトライすることにしたのです。そのせいでいつもの倍は時間がかかってしまいました…。
削除した記事の反省を活かして、今回の記事では「ワダチの考え」に重きをおいて書いていきたいと思います。
質問者さんが気になさっている「VTuberはキャラクターなのか?」について、まず初めにご覧頂きたい動画があります。
こちらは、バーチャル世界で音楽活動をされているキヌさんによって2019年に投稿された『バーチャルYouTuberのいのち』というポエトリーリーディングです。
胸に迫る激エモ作品なので是非とも全編ご覧頂きたいところですが、特に注目して頂きたいのは3:08~。
ここではキヌさんがVTuberを構成するありとあらゆる要素を挙げており、真っ先にキャラクターも挙げられています。
さらにもうひとつ、引用させて頂きたい文献があります。
分析美学やVTuberを含むポピュラー文化について研究されているナンバユウキ(難波優輝)さんが書かれた論文です。
ナンバさんはこちらの論文で、「VTuberは三つの要素で構成されている」と主張しています。
ナンバさんも、VTuberにはフィクショナルキャラクタ(=キャラクター)の要素が含まれる、との見解を示しています。
このとおり、ほんの二例ではありますが、VTuberの中にキャラクターの要素を感じている方もおられるということがお分かり頂けたかと思います。
ここまで読んだ質問者さんも、「VTuberはキャラクターである」という意見には納得できなくても、「VTuberの中にはキャラクターの要素も含まれる」であれば多少納得できるのではないでしょうか。
さて、ここからはワダチの考えになります。
「VTuberはキャラクターである」とワダチが言った場合、それは「キャラクターというカテゴリの中に含まれているVTuberを指している」よりも「VTuberというカテゴリの中に含まれているキャラクターにクローズアップしている」の方が感覚的に近いです。
質問者さんは「VTuberはアイコンである」とおっしゃいますが、これは質問者さんが「VTuberというカテゴリの中に含まれているアイコンにクローズアップしている」状態といえます。
ワダチ、質問者さん、それにVTuberを見ている全員が、それぞれの視点・経験・感覚…そして欲望に基づいてVTuberが何者かを見定めているわけです。
どうでしょう?これならワダチの意見と質問者さんの意見、どちらも間違っていないということになりませんか?
「それじゃあそもそも、ワダチはなんでVTuberの中のキャラクターにこだわっているの?」と聞かれてしまうと、ウ~ム…。
それを説明するとちょっと話が長くなってしまうので、これまでやこれからの活動から上手いこと汲み取って頂けるとありがたいです…。
ヒントを出すとしたら『箱の中のヒツジ』ですかね。