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ただ忘れないためにも
3月20日を迎えました。もうすぐ3月21日になります。
「100日後に死ぬワニ」
— きくちゆうき (@yuukikikuchi) March 20, 2020
100日目 pic.twitter.com/r0Idn9I7mR
多分ご存知の方も多いかもしれませんが、今日はワニくんの命日のようで。
僕が見始めたのは20日目くらいだったと思います。少なくとも最初からは見ていなくて、話題になると同時に注目するようになったかというくらいです。
・・・あっけなく亡くなってしまうのですね。
「亡くなった」ということだけに注目すれば、もうこの世にはいないと思うだけでしょう。
もしかしたら病気が原因なのかもしれないし、事故に遭ってしまったのかもしれない。
誰かの死の数秒前を意識してみることはそんなにないことかと思います。悲しいことに死を迎えると同時に、悲痛や当時の心境はどんどん風化していくものです。いまの切ない感情はいまを起点に少なくなっていくでしょう。
今日、お別れを告げたワニくんのことを、明日や半年後、年末に覚えているでしょうか。
よほど思い入れのある方でなければ、その方の最期に対しても忘れるものではないでしょうか。
Twitterで発信していたとはいえ、これほど多くの方の心に入り込んだ作品もそう多くないかと思いました。
思えば、3ヶ月と少しの間でこのような感動を与える作品になるとは思いませんでした。いかに大勢の方へ影響を与えたか、すごい以外の言葉が見つからず悶々としています。
今日のテーマはやっぱり”死”かなあ。
”死”自体は僕自身はあまり悲観的に考えることはないかなと思っています。人はいずれ死ぬし、明日死なない保証はないからこそ、しっかりとやることをやって生きようと思いながら、生きています。
生死の狭間に立ち入ったら生の手段を探そうと模索するように思いますが、諦めるときはちゃんと諦めます。
いまこそ長寿化しているので、普通に生きる分には大きな困難はなさそうな社会背景だと思っています。見立ては甘いかな。でも直近で死を意識することはあまりないです。
今だけかもしれないけど、健康だし、それなりのお金もあって、就活がちょっと厄介だけど、楽しもうと思いながらやっています。
思考も基本、ポジティブな方向で考えているので、よっぽど大丈夫な方だと思っている。どうなるかはわからないけど。
だから、超日常的な一日で今日も生きようとあえて意識する機会は確かに減っているかもしれません。身内が亡くなった昨年も、心のどこかでは自分と少し離れて考えていたように思います。
だから、まあしっかりと生きることを忘れないようにしたいなと。
ありきたりでど真ん中。大したオチも変化球もないですが、それがベストだと思いました。
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