クーリエ2 「海洋惑星の秘宝」
1 クーリエ
はろう、もしもし、誰か聞いてる?
この電波を拾ってるってことは、あなたは相当運がいい。宝くじでも買った方がいいんじゃないかしら。当たるわよ今年は、絶対たぶん。
あなたが聞いてるのは宇宙船ジャガンナータ号の船長兼航宙士兼通信士兼機関士兼渉外担当であるあたし、フェリシア・ハリバートンの私的日誌。
あんまり「兼」が多いから驚いた?でもそれくらいの才女なのよ、あたしは。才女であり、なおかつ美女。いえ、この場合は美女の方を先にいうべきかしら。なんてったってこの有り余る才能に優先するくらい、あたしの美貌は際立っているから。
いろいろ兼ねちゃってるあたしだけど、船のナビゲーションだけはサラに任せてる。
サラというのは、相棒というか、居候というか、妹分というか、とにかく頼れる女の子だ。
女の子……?
サラを女の子と呼んでいいのかどうかはいささか疑問が残るけど、それでもあたしにはサラは女の子にしか思えない。たとえ彼女が生物学的に人間じゃなくても、それどころか実体すらなくてもだ。
彼女の名前はサラスバティー・クリシュナ。
あたしほどではないにしても、可愛らしいこと請け合い。あたしほどではないにしても、多才であること保証付き。
それもそのはず、サラは人工知能だ。正しくは人工汎用知能というらしいんだけど、その違いは頭がいいのがAGIで、おバカなのがAIだと思ってくれれば問題ない。決してあたし自身がおバカだから詳しく説明できないわけではない。ぜんぜんない。
どこにでもあるAIとは比べものにならないくらい、サラは頭がいい。その応答はまるっきり人間だし、コンピュータに関わることなら人間以上、およそなんでもできる。
惑星アヤトラの研究所で偶然生まれた規格外のAGI。
宇宙の終わりまで時間をかけても、猿が偶然シェイクスピアをタイプすることはないって話、聞いたことあるかしら?あれ、嘘じゃないかと思うのよ。
それくらい偶然に、サラは生まれた。
生まれてしまった。
もちろん、そんな夢みたいなAGIを作り出そうと思って研究開発していたことは間違いないんだけど、生まれてみればそれはワン・アンド・オンリー。再現不可能な科学上の奇跡だった。
そしてこれまた偶然に、ある事件をきっかけにしてサラはあたしの宇宙船に居着くことになった。押しかけ女房ならぬ押しかけ妹とか、強襲型居候という言葉があるなら、それはサラのためにある。
そのサラと組んで、あたしはクーリエって仕事をしてる。
あなたも一度くらい、宇宙港で見かけたことがあるでしょう?軍用でもないのに物騒な艤装を満載した船が、荷物を積んで出て行くところを。たいていは港のすみっこの方からなんだけど。
ときどきいるじゃない?えらそうに港のど真ん中から出て行くクーリエ船。
あれ、本来おかしいと思うのよ。
そもそもクーリエ船は商業船なんだから、旅客ターミナルから出港するってあり得ないのよ。あり得ないことをあり得るようにしちゃってるっていうのは、それだけ宇宙港で顔が利くってことで、顔が利くってことはお金持ちってことで、あたしが食うや食わずの生活してるっていうのになんであいつらだけあんなカネ持ってるのよ!
はるか昔、地球には街から街へ、港から港へ、荷物や手紙を運ぶ仕事があったらしい。それにちなんで、あたしたちの仕事はクーリエって呼ばれてる。
今も昔も、人がいれば物流が必要になるっていうのは変わらない。そしてモノの流れのあるところには、それを横から奪っちゃおうとする連中がいることも、今も昔も変わらない。
星間物流の大半を担うのは、いまでも無人輸送システムだ。ところがこれが、アクシデントにめっぽう弱い。
宇宙塵の衝突で故障。
太陽フレアの増大で暴走。
ガンマ線バーストにあたって木っ端微塵。
ましてや人為的な妨害に遭ったりしたらひとたまりもない。海賊たちは思うがまま、お腹いっぱいになるまで獲物を漁っていた。
そう、海賊。昔の地球でいうところの海賊。その宇宙版が日夜せっせと仕事をしてる。
チンピラの成れの果てから大企業然とした連中まで、組織の大小は様々だ。その中でも最大勢力、軍隊と変わらぬ規模と装備を誇るのがオニキスと呼ばれる海賊だ。
このオニキスが起こした大規模強奪事件をきっかけに、あたしたちクーリエは武装と自衛の許可を与えられた。
この権限は結構融通が利いて、預かった荷物を守るために一戦交えるくらいは許される。「なんかムカついたから、惑星1個粉砕しちゃいました。てへ」なんてことをやらない限り、怒られることはない。あんまりない。いや、たまに怒られるが……。
ただしその代わり、誰もクーリエの命を保障してはくれない。
要は、武装を許可してやるから命がけで海賊退治をしろ、というわけだ。
銀河連邦宇宙軍の中には、クーリエが武装していることをおもしろく思わない人もいるらしいけど、かといって自分たちの手だけでは海賊に対抗できないって事情もあるから、声高にクーリエを批判するわけにもいかない。
あたし自身、連邦宇宙軍には縁がある。
小さい頃に亡くなった父親は軍人だったし、その父親代わりとなって育ててくれたデレクも軍人だ。といっても、母親がデレクと再婚したというわけではない。水泳の大好きだった母も父と一緒に亡くなっているからだ。
父親の相棒だってデレクは死ぬ間際の父の言葉にしたがってあたしを引き取り、育ててくれた。その恩は忘れない。忘れないけど、忘れたいことが他にある。
たとえばあたしは、ケンカで負けたことがない。それもキャットファイトなどではなく、男相手の大立ち回りでだ。
宇宙軍仕込みのマーシャルアーツを幼い頃から叩き込まれたあたしの身体は、普通の男4、5人相手くらいのケンカなら負けることなどあり得ない。
秒殺、瞬殺、滅殺で、たちどころに気を失った男どもが床に転がる。
忘れたい、この強さ。
これで助かったこともあるけど、それ以上にいい男を逃したことの方が数多い。
そりゃねえ、バーで絡まれてる女の子が絡んだ男たちをバタバタなぎ倒していく姿を見れば、たいていの男は尻込みするわよ。
見たことあるもの。いいとこ見せようと立ち上がりかけた男が、「座り直しただけです」みたいな顔でそのままスツールに腰を下ろすの。
あたしはもっと可憐に育つはずだったのに。
断りもなしに肩を抱いてきた男を勢いよく壁にキスさせたり、すれ違いざまにおしりを触ってきた男の首筋に反射的に手刀を叩き込んで気絶させたり、無理矢理路地裏に連れ込もうとした男が翌朝ゴミ箱の中で目を覚ますなんてことのない、「キャッ」なんて身をよじって恥じらう乙女に育つはずだったのに。
美女なのは間違いない。そうでなかったら、不埒な男がこんなにも寄ってきたりしない。
世界三大美女と呼ばれるクレオパトラ、楊貴妃――あと誰だっけ?――、そのへんをみんな足した感じといえばいいかしら。3で割ったりしないわよ。むしろ掛けるなり、煮詰めるなりしてほしいくらいだわ。事実、それくらいの美貌があるから。
その美貌と才能をひっさげて、今日もあたしは仕事に励む。
励みたい。
励めるといいなと思ってるけど、なにぶん競争の激しいこの業界で、毎日仕事があるとは限らない。だから美貌と才能と、おまけに空腹までひっさげて、あたしは今日も宇宙船ジャガンナータ号のブリッジにいる。
暇に飽かして、こうして日誌を吹き込んでいる。
2 リゾート惑星
「カルヴォノ?聞いたことないわね」
ブリッジでぱさついたサンドイッチを頬ばりながら、あたしはモニターに映る美少女にいった。
金髪碧眼、十代半ばの美少女にしか見えないこの娘がサラ。サラスバティー・クリシュナだ。
かつてはバイオロイドとしての実体を持っていたサラは、いまではあたしの宇宙船ジャガンナータ号のメモリー空間に間借りしている。いや、もはやジャガンナータ号のコンピュータそのものがサラだといっていい。
宇宙海賊やらなにやら、ヤバい連中と渡りあうために限界までチューンアップし、極限まで艤装を施してあるジャガンナータ号は、サラという人工知能を得てもはや銀河系最高の船といっても過言では……、過言ではあるかもしれないけど、とにかくサラがいれば百人力だ。
海賊船とドンパチやるときだって、サラは「頼んだ!」のひと言で相手の度肝を抜くような戦術機動を取ってくれるし、あたしが操縦する小型宇宙艇エクレアと息ぴったりな連係プレーもお手のもの。普通のナビゲーションAIだったらこうはいかない。
普通のナビゲーションAIの動きは先読みがしやすい。「ここにミサイルを撃ち込んでやれば、どうせこっちに動くんでしょ」ってな感じで思うとおりに誘導して、そこに集中砲火を叩き込んで撃墜するのはいともたやすい。まるでチェスを習いたての子どもを相手にするみたいだ。
ところがサラが操縦するジャガンナータ号はそうはいかない。「嘘でしょ?」という加速から「バカなの⁉」という機動をして、気付いたときには相手は航行不能にされている。もしかしたら、なにが起こったのかわからないうちに戦闘不能になっているかも。
とはいえサラだって最初からそんな芸当ができたわけはなく、あたしと一緒に何度も修羅場をくぐり抜けてきたからこそだ。
こんなこというとえらく物騒な娘に聞こえるかもしれないけど、サラ本人にはそんな様子は微塵もない。モニターの中の彼女はお紅茶とスコーンが似合いそうな可憐な少女だ。バスケットにサンドイッチを詰めて、湖畔にピクニックなんてことになったら、曇っていた空は晴れ渡り、野辺に咲く花々だって彼女に見とれる。それくらい愛らしいことこの上ない。
そのサラの唇が動いて、スピーカーから鈴の音のような声が響いた。
「辺境にある小規模な惑星国家ですね」
サラはコンピュータ上の存在だから映像なんてなくてもいいんだけど、やっぱりお話しするには姿形があった方がいい。言葉に合わせて動く薔薇のつぼみのような唇を見られないのはもったいない。
「辺境にある小規模な星かあ……」
紅茶とスコーンよりはワインとステーキの方が好きなあたしは、ため息交じりにサラの言葉をなぞった。
辺境にある小規模な惑星国家ってさあ、要は田舎のショボい星ってことじゃん。報酬だってショボそうじゃん?
そのショボそうな星から仕事の依頼が入ったと、サラは告げているのだ。そしてその仕事を受けろとおっしゃっておられる。
あたしとしてはもっとこう、ドカンと実入りのいい仕事がしたいんだけど。たとえ銀河連邦政府から多少のお小言をいわれても、いくらか危ない連中と渡り合うことになっても、ガツンと儲かってこれまでの借金がポーンとチャラになるようなお仕事が。
「その借金を返済するためには、地道なお仕事を着実にこなすのがいちばんです」と、サラ様はのたまう。
言い返せないわあ、銀河一の性能を誇る人工知能にいわれちゃうと。
「どんな仕事なのよ?」
椅子の上にあぐらをかいたあたしはクルクルとまわった。
「物品の入手と輸送だそうですが、『詳細については直接お目にかかってお話ししたい』とのことでした」
「ああ、そう」
クーリエの仕事は、基本的にモノの輸送だ。だけどそのモノ自体を探し出して入手し、依頼主に届けるという仕事もある。
違法なモノはもちろん取り扱わないけど、通常の販売ルートでは手に入らないモノ、そういうモノをクーリエに依頼して、どうにかこうにか手に入れる。今回の依頼もまさにそんな感じなんだろう。
だけどなあ、興味ないわあ。
だって田舎の星の誰かさんが、「これが欲しい」っていってるわけでしょ?きっとなにか、都会の星で売ってる限定品とか、きらびやかな星でやってるフェスでしか手に入らないグッズとか、そういうやつなんじゃないの?おのぼりさんみたいに血眼になってそういうの買い漁るの、嫌なんですけど。
「よし、お断りで」
「カルヴォノはおとめ座宙域にあるスカルディア星系の第2惑星ですね。別名、島嶼惑星とも呼ばれているそうです」
ねえ、サラ。人の話聞いてる?
「キャンセルで」
「全球にわたって大陸と呼べるようなものはなく、海と無数の島に覆われているようです」
「辞退します」
「主星からの距離が近いため平均気温が非常に高く、氷河はおろか極地方にも氷はありません」
聞けよ。
「あー、あたし暑いの苦手だからなあ。残念だなあ」
「しかしそのお陰で惑星全体であらゆる海洋系エンターテインメントが楽しめ、海洋リゾート惑星としても名高いそうです」
「ふーん」
「また、各島には豪華なホテルが散在し、趣向を凝らしたカジノが併設されています」
「ほ、ほほう」
あたしは椅子の回転を止めた。止めてしまった。
「小国ではありますが周辺星系からたくさんの観光客が訪れる一大リゾート惑星となっており、治安も良好。惑星国家にはめずらしい王政を敷いており、王室関連の施設やイベントも人気を集めています」
サラはまるでガイドブックを読み上げるように続けた。
「カジノとホテルのプールではアルコールを含む飲み物はすべて無料。宿泊されるお客様にはホテル付属のエステやマッサージを格安でご利用いただけ、リゾート惑星の中でも屈指の顧客満足度を誇っています」
「そ、それはお仕事の依頼を受けて訪れる場合も適用されるのかしら?」
「もちろんです」
あら、どうしましょう。あたしったら急に仕事に対する意欲が湧いてきちゃったわ。やっぱり労働っていいわよね。誰かのために働くって大事だわ。
「そしてなんと、今回のご依頼はお話を聞きに行くだけで報酬が出ます」
「なに⁉」
つまりなにか、打ち合わせに行くだけでエステやマッサージを完備したホテルに泊まれて、お酒飲み放題でカジノとビーチが楽しめて、さらにはお小遣いまでもらえるというのか?
「ちなみに、報酬金額はこちらになります」
そういうとサラは自分の姿の前に数字を表示させた。
ゴクリ、とあたしの喉が鳴った。
喉渇いてたから。海洋リゾートの話を聞いて、ちょっと喉渇いちゃってたから。
しかし、なんだこの金額は?これより低い報酬の仕事だってざらにあるぞ。田舎の星の誰が一体こんなべらぼうな金額を……。
そこまで考えたとき、あたしはさっきサラがいった言葉に思いあたった。
「もしかして今回の依頼主って……」
「はい、そのもしかしてです」
サラはもったいつけていった。
「惑星国家カルヴォノの王室からの依頼です」
「なんですと……!」
3 ホワイトドワーフ・ダイヤモンド
この銀河中、リゾートを売りにする惑星国家は数多い。
たとえば惑星ミュラはウィンタースポーツが売りだ。それもそのはず、主星からの距離が遠く、ハビタブルゾーンの外縁ギリギリにある惑星ミュラは一年中気温が低く、年がら年中雪が降る。地面が見えるのは赤道付近のわずかな一帯だけで、中緯度以上の地域は分厚い氷に覆われた天然の冷凍庫になっている。
本来なら誰も見向きもしないようなこの星をわざわざ開発したのは、そこに温泉と、夜空を彩る天使の羽根が発見されたからだ。
当初、ただの雪の塊——当時のニュースの言葉を借りれば「宇宙に浮かぶ役立たずの雪ダルマ」——とみなされていた惑星ミュラにウィンタースポーツをしに行った物好きな連中が、地下の洞窟内で温泉を発見した。
洞窟といっても、それは数百万立方キロメートルという容積を誇る巨大な地下空間だ。そこにわずかな照明を持ち込み、はるかな天井を見上げながら湯に浸かる。人間がそのまま入れる温泉というだけでも大発見だったのに、ミュラにはそんな洞窟が無数にあった。
しかし、これだけならただの変わり者の社交場で終わっていただろう。
ところがこの星には、空から天使の羽根が降る。比喩的にいっているのではない。本当に、羽根の形をした雪が降ってくるのだ。
どんな自然条件がそうさせるのか、1本の軸から左右対称に枝分かれした雪の結晶が伸びていき、長さ5センチメートルほど、長いものでは10センチメートル近い天使の羽根が舞い降りる。
しかもこの羽根が、闇夜に青白く光るのだ。
研究者の手によって、光のもとは雪に付着したバクテリアの持つ酵素によるものだとわかったけれど、それがロマンチックさを減じることはなかった。ましてやツアー会社がこの羽根に「天使の忘れ物」などという可愛らしい愛称をつけたあとでは。
もっとも、一度でもそのバクテリアを電子顕微鏡で見たら、そんなことはいえなくなってしまうと思うのだけど。
ミュラ政府はまず、地下に大規模なホテル群を建設した。そして洞窟内をライトアップし、荘厳かつきらびやかなおとぎ話の世界を演出。高さ数十メートルの鍾乳石の柱が目の届く限りの彼方まで林立する様は、まさに妖精の国だ。
そして地上に出れば、光り輝く天使の羽根が空から無数に降ってくる。
これで盛り上がらないカップルがいようか?いいや、いない。いないと断言していい。これで盛り上がらないというなら、そのカップルはもう枯れている。悲しいくらい枯れ果てている。
当然のように惑星ミュラにはたくさんのカップルが押し寄せ、パートナーのハートを手に入れる代わりに膨大なクレジットを落としていった。現在、ミュラは銀河系有数のリッチな星になっている。
そのミュラと対象をなす星がある。
リゾートと聞いて、真っ先に連想するものはなんだろうか?やっぱり海じゃない?
海、太陽、水着、その開放感あってこそのアバンチュールではないだろうか?ミュラに行くなんていうのは、もうでき上がっちゃってるカップルか、でき上がることが約束されてるカップルだ。これから恋の炎を燃え上がらせようという2人が行くのは、やはり海なのだ。
想像してごらんなさい。幾重にも重ねたがっちり耐寒モードな服装と、布面積控えめな肌色多めの格好と、どちらが開放的な気分になるか。
前世がシロクマかペンギンででもない限り、人間は寒いところではどうしても閉鎖的になる、守りに入る。でき上がっちゃってるカップルにはこれがちょうどいいのかもしれないけど、まだ発展途上のカップルか、カップル未満の場合には余計にハードルが高くなってしまう。
ところが太陽照りつけるビーチではどうか。そしてそこにデッキチェアがあり、ビーチパラソルがあり、おまけにトロピカルドリンクなんかがあったりしたらどうだろうか。これはもう、なんだか知らないけどウェルカムな気分になる。
そんなウェルカムな気分を盛り上げてくれるリゾートの1つが、カルヴォノだった。
軌道上から見たカルヴォノは、青い宝石だ。
昔々の宇宙飛行士が地球を見て「地球は青かった」っていったそうだけど、カルヴォノを見たら「真っ青だった」っていうに違いない。それくらい深い青が、カルヴォノを覆っていた。
このすべてが、たった1人の王様のものなのか……。
銀河系広しといえども、本当に王様がいる惑星国家というのは滅多にない。その理由は単純、王家の血を引いてる人間がいないから。
地球ではいまだにはるか昔の王族の末裔というのがいるらしいけど、その彼らでさえ惑星規模の政府が成立するにあたって、国も特権もあらかた放棄した。いまの彼らは、どちらかというと伝統文化の守り手といった感じだ。
ところが。ところが、だ。
ここカルヴォノは違う。ここでは王様はまさに王様であって、国の全権を掌握している。
「カルヴォノはもともと1人の王が興した国です。ですからすべての公権力の源泉は王であり、議会、裁判所、政府は国王の下部組織であるという位置付けなのです。王権神授説ならぬ、公権王授説とでも申しましょうか」と、ソファに座るオクイドル執務院議長はいった。
「とはいえ、そのすべてを国王1人が管轄するには国というのは大きすぎます。ですから、私たち貴族が王の執務を代行しているわけです」
そう、貴族、貴族なのだ。目の前のこのおじさまは。しかもその頂点である執務院のトップ。
「そういうと聞こえがいいですが、要は国王お抱えの事務屋のようなものです。正式には貴族ではなく手足と呼ばれる身分でして、文字どおり王のために手足となって、国家運営を輔弼します。私が議長の座にあるのも、一族の長であるというだけの理由でしてね」
細いストライプのスーツを着たオクイドル議長は自虐的に笑ったけど、それでもやっぱり王様とか貴族とかって言葉には人の心をくすぐるものがある。
一方あたしの格好には隙がない。海洋リゾートに完璧にマッチしたトロピカルな花柄のオープンシャツに真っ白なホットパンツ、足下のサンダルにもピンクのお花が咲いている。
いや、だってね、昨日宇宙港に出迎えに来てくれたSPがね、短パンTシャツだったのよ。しかもビーサンよ。
「議長との面会は明日の午後だから、それまではゆっくりしててよ。僕らは君をホテルまで送り届けたら非番になるから泳ぎに行くんだけど、よかったら一緒にどう?」
行くでしょ、そういわれたら。
だってこっちは仕事前に少しでも遊べるように、体内時計を調整してきたのよ。お堅いサラを説き伏せて、「お酒は(あんまり)飲みません」と約束してまでたどり着いた紺碧の星。
そこでこんな短パンTシャツ白い歯キラリに誘われて海に行かなかったら、なにしに来たんだって話よ。
いや、仕事に来たんだけれども……。
道すがら勤務中の警官たちも見かけたけど、みんな軽装なんだもの。そういうところなんだって思うじゃない?
警官なのに膝丈のズボンに風通しの良さそうなシャツを羽織って、武器といえばホルスターに電磁警棒突っ込んでる程度のものなのよ。議長もそんな感じで来ると思うじゃない?
だから翌日、つまりは今日、あたしは派手なオープンシャツにヒップぎりぎりのホットパンツで迎えの車に乗った。応接室のドアをくぐった。高そうな革張りのソファに座った。あとから入って来た執務院議長と対面した。
で、青ざめた。
そうよね、田舎のリゾート惑星ったって高官はスーツ着てるわよね。高官っていうか、執務院のトップだものね。
オクイドル執務院議長はあたしの格好を気にとめる様子もなく話を進めた。内心どう思ってるかわからないけど、それを気にしてしまってはあたしのメンタルがもたない。
「王室の権威に関わることですので、くれぐれもご内密にお願いします」
この会見冒頭にあたしは秘密厳守の誓約書にサインさせられてるから、いまさらご内密にもなにもない。それがなくたってクーリエには職業上の守秘義務の原則がある。
にもかかわらず念を押してくるのは、「ひと言でも漏らしたらただじゃ済まないから、そこんとこよろしく」という意味だ。
「現在、カルヴォノは少々困難な状況にあります」
オクイドル議長は仕事モードの表情に戻っていった。
うん、あたし知ってる。こういう人がいう「少々」ってちっとも少々じゃないの。「塩コショウを少々」っていったくせに、1ビンまるごとぶち込んじゃうくらいの分量なの。
「先程申し上げましたとおり、カルヴォノの王権は絶対であり、王室なくしてはカルヴォノという国家そのものの存在があり得ません。ですがその王室がいま、存亡の危機に立たされているのです」
ほらぁ、ちっとも「少々」じゃないじゃん。普通、王室は存亡の危機に立たされたりしないものよ?
「事の発端はカルヴォノ建国の地である小惑星にまで遡ります」
「建国の地って、カルヴォノはこの星で建国されたんじゃないんですか?」
オクイドル議長が顔を上げた。「え?そこ?」って感じで。人並み外れた洞察力の持ち主であるあたしには、その様子から議長が呆れていることがわかる。「送った資料、読んで来いよ」と。
だってしょうがないじゃない。依頼は急だったし、昨日は昨日で短パンたちと海で泳ぐのに忙しかったし。ちなみに今日の午前中はホテルのエステに行ってたの。格安って聞いてたけど、ほとんどタダみたいなもんだったのよ。そんなもの行くしかないじゃない。お陰であたしのお肌はすべっすべよ。
オクイドル議長は大きく息を吸って続けた。
「カルヴォノ王室が開かれたのは、いまからちょうど100年前のことです。始まりはどの恒星系にも属さない浮遊小惑星の発見でした」
惑星や小惑星って恒星のまわりをまわってるものだと思うでしょ。まあ、普通はそうなんだけど、ときどき普通じゃないヤツがいるのよ。恒星をまわってるあいだに他の小惑星とぶつかっちゃったり、他の惑星の重力の影響で軌道から弾き飛ばされちゃったり。とはいえ、あたしもお目にかかったことはないんだけど。
「小惑星採掘で財を成したアルカ・シン・カルヴォノ王は——当時はまだ王ではありませんでしたが——発見されたばかりの浮遊小惑星を購入しました。恒星間空間を漂う岩塊のような小惑星です。そんなものに興味を持つ者など誰もおらず、二束三文で手に入れたと記録にはあります。
小惑星採掘には賭けのようなところがありまして、こういってはなんですが当時のアルカ王はそういう勝負に出るのがお好きだったようなのです」
つまり山師ってヤツだ。
いまでこそニュートリノ・スキャンみたいな遠隔走査技術が発達してるけど、なにしろ100年前のこと。実際に掘ってみるまではなにが出るかわからない。小惑星採掘は博打のようなものだった。
もしかしたらこの星のカジノもその王様の趣味が反映されているのかもしれない。
「結果、アルカ王はその勝負に勝ったのです。採掘が始まるとすぐ、いえ、採掘とすらいえないような表面を引っ掻く程度の試掘の段階で、その浮遊小惑星がただの岩塊ではないことが判明したのです」
「なんだったんです?」
オクイドル議長はあたしの目をじっと見つめて、ゆっくりと3つのアルファベットを口にした。
「WDD」
ホワイトドワーフ・ダイヤモンド!
これほどその存在が知られ、これほどその価値が高く、これほどその入手が難しいものはない。
太陽ほどの大きさの恒星が生涯の最後に膨張して赤色巨星になり、その中心に取り残されるのが白色矮星だ。その過程で生成された炭素が白色矮星の中心核に蓄積し、強烈な圧力を受ける。なにしろ太陽くらいの大きさの星が地球サイズに縮むのだ。その密度たるや1立方センチメートルあたり1トンにも達する。これを超える密度を持つのは中性子星やブラックホールだけだ。
そんなとんでもない圧力を受けるとどうなるか。炭素は純粋なダイヤモンドに変わるのだ。それも地球上では考えられないくらい純度の高いダイヤモンドに。その価値は当然きわめて高いのだけれど、人類にはこれを取り出す術がない。それだけの密度となると白色矮星表面の重力も想像を絶するものになるわけで、その表面に降り立ってダイヤモンドを採掘するなんていまの人類の技術では不可能だ。
ただ時々、宇宙はまるで焦らすように人類に贈り物をくれる。
白色矮星同士が衝突したり、他の恒星の潮汐力で破壊されたりしたときに、バラバラになったWDDが宇宙に放出されることがある。こうしたWDDの破片が、ごくごく稀に発見されるのだ。そうなってくれれば、WDDそのものを割ったり削ったりするのは難しくない。どんなに硬いタマゴでも、殻を割ってしまいさえすれば中身はおいしくいただけるのだ。
普通の惑星で産出されるダイヤモンドの数万倍の価値があるというWDDの欠片でも運良く発見できれば、その人は一生遊んで暮らせるといわれてる。いや、一生どころか人生何周したってお釣りが来るわ。
それを、小惑星サイズで?
小惑星にもいろんな大きさがあるけど、もともと金属やなにかを採掘するために買った小惑星なんでしょう?だったらそれなりの大きさがあるはずよ。
いいなあ!アルカ王、いいなあ!
あたしもクーリエ辞めてWDD小惑星の探索屋になろうかという考えがチラリと頭をよぎったけど、普通の浮遊小惑星すら見つけたことのないあたしの運じゃ、発見する前に寿命が尽きる。
「莫大な富を得たアルカ王は小惑星国家カルヴォノの独立を宣言し、ほどなくして海洋惑星の開発権を手に入れました。それが現在の惑星カルヴォノになっていくのです」
開発権。そう、惑星を開発するには銀河連邦から開発権を得る必要がある。
アルカ王が買ったような浮遊小惑星は別として、新たに発見された惑星はすべて銀河連邦に登録され、その惑星が居住可能なものであれば連邦の管理の下、入植が開始される。そして経済的基盤が安定してくると、ある星は惑星国家として独立し、またある星は連邦直轄地として引き続き管理下に置かれる。
だけど銀河広しといえども、人類がそのまま入植できる星はそんなに多くない。宇宙は人類に対してそれほどウェルカムではないのだ。
もうちょっと酸素濃度が高ければいけそう、もうちょっと地殻が安定していれば大丈夫そう、そんな惑星の場合には人類が生存できるように改造が行われる。
その許可が、開発権だ。
開発をした惑星は基本的にその国や企業、組織のものになる。あるいは誰かに転売するケースもあったりする。
だけどこの開発権、財政面や技術面など様々なハードルがあり、それらをクリアしなければ得ることはできないのだ。さらには資源や環境など、価値の高い惑星には人気が集まり、必然的に開発権獲得のための競争も激しくなる。
ま、それをバイパスするのがこれまたおカネだったりするわけだけど。
それにしても、個人でその開発権を手に入れられるほどの資産を手に入れたのか。すさまじい金額よ、それって。
「アルカ王はその血筋を遡ると、地球のさる王家に行きあたります。ご自身の血筋に誇りを持っていたアルカ王は、小惑星国家カルヴォノの独立とともに王政の施行を宣言します。それが今日まで続くカルヴォノ王室の興りです」
「よく国民が集まりましたね」
カネがあったとはいえ、ね。
「そう思われるのもごもっともです。しかし、カルヴォノは当初から手厚い福祉国家だったのです。というもの、アルカ王とともにこの国を興したのはもともと一緒に小惑星採掘を行っている人々でした。小惑星採掘には危険がともないます。つまり、苦楽を共にした家族のような存在だったわけです。ですから、彼らを厚遇するために福祉を充実させたのですね。その福祉のお陰で移住希望者はかなりの数に上ったそうです。
それになによりアルカ王には天性のカリスマがありました。王政を敷き、自らが玉座に納まったのも、半分は仲間から請われてのことだったようです」
それはそれは、たいした人物がいたもんだ。
山師仲間の親玉っていうだけならともかく、王様になって、しかもその後の国の舵取りまでやってのけるっていうんだから、相当の才能の持ち主だったんだろう。たぶんそれだけじゃなく、有能なお仲間にも恵まれてる。いや、そういう人物だったから有能なお仲間が集まってきたのかな。
それに、運もいい。なにしろ小惑星サイズのWDDを見つけちゃうくらいの運だもの。
「手厚い福祉は現在でもカルヴォノの特色の1つなのです。お陰で財政は常に逼迫しているのですが」
オクイドル議長は眉間に皺を寄せた。
ああ、わかる。気持ちだけはわかる。王様の補佐役としては財政って常に頭の痛い問題よね。手厚い福祉は国是だから削れない。そうなるともっといっぱい税金取りたいわよね。にもかかわらず、カルヴォノは税金だって高くない。
だけどそのお陰であんなにお安くホテルやエステが利用できたり、いろんなところでアルコール飲み放題だったりするの。だからいまの方針はなんとしても維持してほしいわ。気持ちだけしかわかってあげられなくてごめんね。
「その後、惑星開発が軌道に乗るのを見届けてアルカ王は崩御されるのですが、その際にカルヴォノ王室が拠って立つ典章を定めます」
「典章?」
「王室が守るべき規範のようなものです。王権の及ぶ範囲、王位継承権の順位、議会の尊重、それから国民こそが千鈞の重みを持つことなど、カルヴォノ王室の基本原則が書かれています。カルヴォノが絶対王政でありながら国民に対して広く開かれているのも、この典章の定めによるところが大きいのです」
そう、そこがカルヴォノの不思議なところだ。
絶対王政って聞くと、気に入らない奴はすぐ投獄とか、反対意見をいう人間は即座に処刑とかやりそうだけど、カルヴォノはそうじゃない。むしろ国民の意見を重視しているし、国民との交流も頻繁に行われている。
大きなイベントがあれば国王やその子供たちが喜んで出席するし、なんなら王族が一般人に交じってビーチで泳いでいることもあるらしい。
それじゃまるで国王というより村の族長、あるいは現場の親方みたいじゃないか。そう思ったとき、あたしはそれが意外と的を射ていることに気付いた。
そうだ、もともとアルカ王は小惑星採掘屋の親方だった。だから請われて王様になっても、そのあり方を変えなかったんだ。いってみれば、アルカ王にとって国民は従属させる対象ではなく、文字どおり家族同然だったんだ。
カルヴォノはそんな賢王による統治が奇跡のように続いている国家だった。
「そしてそこにはこう書かれているのです。『カルヴォノ建国100年の節目に、王の座にある者は我が墓を訪れよ』と。そしてそれがなされない場合はカルヴォノ王室は即時解体するものとする、とも」
いいじゃん、行けば。要するにお墓参りに来いってことでしょ?王室解体ってのは厳しすぎると思うけど、ちゃちゃっと行ってお花でも供えてくればいいんじゃない?もしかして今回の依頼ってそれ?だったら悪いわあ、お花供えてくるだけで破格の報酬をいただけるなんて。
「どちらにあるんですか、アルカ王のお墓は?」
カルヴォノには大陸がないから、いまあたしたちがいるいちばん大きなこの島だろうか?それとも広い広い海のど真ん中にオベリスク的なものが建ってるとか?
「それを知っているのは、耳と呼ばれる一族だけなのです」
「アフティ?」
「ええ、カルヴォノ王室の血を引く一族の1つです。カルヴォノ王国の開祖アルカ王には3人の子供がいました。その3人に、アルカ王はそれぞれの役割を与えたのです。第1子である兄には王位を継ぐこと、第2子である弟には手足として実務面から国を切り盛りすること、そして第3子である妹には耳として王族の諮問にあたることです。それが現在のカルヴォノでも受け継がれています」
なるほど、ということはオクイドル議長も元を正せばアルカ王の血を受け継いでいるということか。
「そのアフティしか、アルカ王の霊廟の場所は知らないのです」
そんなことないでしょ。数千年前に失われた王朝の話じゃないんだから。お墓の場所くらいわかるでしょ。
「正確には、アルカ王が眠る墓のある小惑星、我々が始まりの小惑星と呼ぶものの座標なのですが」
「え、それってもしかして……」
「そうです。アルカ王の霊廟は彼が購入した浮遊惑星にあるのです」
え、なに?ホワイトドワーフ・ダイヤモンドでできた小惑星まるごと売り払ってカルヴォノの開発権買ったんじゃないの?WDD、まだ残ってるの?
「アルカ王は存命中に始まりの小惑星に霊廟を作り、死後はフェリシアさんのようなクーリエに依頼して移動するよう取り計らいました。そしてその座標を封印し、アフティのみが代々その座標を受け継ぐようにしたのです」
モノを輸送するという点において、小惑星の移動もクーリエに依頼されることは多い。資源豊富な小惑星を採掘しやすい場所に引っ張ってくるとか、そのままほっとくと人が住む惑星に衝突しそうな小惑星の軌道をずらすとか、それはかなり大がかりな仕事になる。
大がかりな仕事ということは、それだけ報酬も高いということだ。
いいなあ!その仕事を請け負ったクーリエがうらやましい!
だってWDDでひと山当てて、バカみたいに潤ってる最中の依頼でしょ?そんなの払いがいいに決まってるじゃない。
「でも、なんだってそんなことを?」
「フェリシアさんもそう思われますよね」
うん、思う思う。だってそのままWDDの採掘を続けていれば、カルヴォノはますます潤ったんじゃない。一族安泰、贅沢し放題よ。
「アルカ王のお考えは、よくわかりませんよ」
天井を見上げるオクイドル議長の顔には、諦めにも似た表情が浮かんでいた。
「子孫に対する試練のようなものなのかもしれないと、私は思っているのですが。国は作った、財政基盤も整えた。あとは自分たちでなんとかしてみせろと。そして100年後、まだ国家として、そして王室としてカルヴォノが存在しているのなら、褒美としてWDDを分け与えてやろう。そんな思惑だったのではないかと推測しています」
なんとまあ、迷惑なご先祖様ですこと。あたしが子孫だったら墓に「ケチ」って書いてくるわ。
「ともあれ、今年建国100周年を迎えるにあたり、現国王であるバシレクス・シン・カルヴォノ陛下がアフティの1人を引き連れ、始まりの小惑星に向かわれました。ところが、です」
そこでオクイドル議長は言葉を切り、声を潜めるようにしていった。
「そのバシレクス陛下の行方が、わからなくなってしまったのです」
議長の顔がにわかに曇る。ロマンスグレーの前髪がはらりと垂れる。
執務院議長なんていうとおじいちゃんを想像しちゃうけど、オクイドル議長は老人というには程遠い。おじいちゃんというより渋いおじさまだ。
「どういうことです?」
陛下って、王様でしょ?王様はそう簡単に行方不明になったりしないものよ?
「典章の定めにしたがい、王の座にあるものとしてバシレクス陛下は始まりの小惑星に向かわれました。しかしカルヴォノをご出立のあと、位相空間に進入してすぐに陛下からの連絡が途絶えたのです。通常の通信だけでなく、位置ビーコンもです。遭難信号も発信された形跡がありません。もっとも、位置ビーコンは最初から切ってあったのですが……」
「どうしてそんなことを?」
位置ビーコンの常時発信は、事故や遭難を防ぐために銀河連邦法に定められた規則だ。ただしいろんな事情でオフにしてる船は多い。足取りをつかまれたくない海賊やら犯罪者やらは当然切ってるし、あたしも仕事の関係上、チョイチョイ切ってることが多い。
「始まりの小惑星の座標は秘中の秘です。外部に漏らさないためには必要な措置だったのです。実際に出立してからでなければ耳が座標を教えないのもそのためです」
「陛下とアフティ以外には?護衛や随伴船団なんかは?」
「ありませんでした」
「え?」
かぱっと開いてしまうあたしのお口。おまけにその開いた口がふさがらない。
だって、陛下でしょ?王様でしょ?なんでそんな重要人物に護衛付けないのよ?
「典章の定めにあるからなのです。始まりの小惑星を訪れることができるのは王の座にある者とそれが引き連れたアフティのみと、厳に定められているのです」
だからって、ねぇ。
「バカバカしいと思われるのは重々承知しています。ですが、カルヴォノの王室に正統性を与えているのは神でも秘蹟でもありません。アルカ王の偉業とその人が定めた典章のみなのです。それを破ることは、我々にはできません」
「それじゃ、捜索は……?」
「捜索もなにも、どこを探せばいいかすらわからない有り様です。アフティたちは座標を知っていますが、王の座にある者以外には決して明かしません。我々には手の打ちようがないのです」
ああ、これあれだ。伝統に縛られて身動きできなくなっちゃってるやつだ。伝統という鎖でがんじがらめにされて、その重さで海の底まで沈んじゃうやつだ。
「陛下が出発されたのは、いつなんですか?」
「いまから3週間ほど前のことです……」
それは、死んでる……。
正確なところはわからないけど、王様ともう1人ってことは小型船でしょ?食料の備蓄なんてあるわけがない。水は再処理でなんとかなるかもしれないけど、それだって怪しい。
「そこで、ここからが本題なのですが……」
え?ここまで本題じゃなかったの?結構ヘビーな話したよ?外部に漏らしたら消されちゃうレベルの。
「フェリシアさんに始まりの小惑星まで行って、霊廟を展墓していただきたいのです」
「あたしが?」
「はい」
「WDDでできた小惑星に?」
「はい」
「アフティ連れて?」
「はい」
オクイドル議長、さっきから壊れた立体映像みたいに同じ返事しかしてくれないんですけど。
「確かにクーリエの仕事は幅広いですけど、指定された場所に行くだけっていうのはどうも……」
「クーリエのお仕事には集荷も含まれますよね?」
もちろんだ。それどころか、荷物となるブツを探して手に入れてくるなんていうこともざらにある。
「今回のお仕事は、集荷先と配達先が同じとみなしていただけないでしょうか。始まりの小惑星そのものを荷物とみなしていただいて」
み、みなせるかもしれない。特に、今回みたいに報酬が抜群に高い場合には。
やり手だわ、オクイドル議長。決してあたしが報酬に目がくらんで細かいことには目をつぶろうと思ってるからじゃないわよ。法律的にもきっとなんの問題もないはずよ。だって報酬が高いもの。
だけどなにをどうやっても、どう考えても問題になる点がある。ていうか、あたしがこの依頼を受けるのを不可能にする点が。
「ご依頼をお受けしたいのは山々なんですけど、始まりの小惑星に行けるのは王様だけなんですよね?そうなると、あたしがそこに行くのは不可能なんじゃ……?」
王様が行方不明になっても小惑星の座標を教えないっていうアフティだ。クーリエなんぞに教えてくれるわけがない。
「ですので……」
オクイドル議長は意を決するように両手を握り合わせた。
「フェリシアさんに、カルヴォノの女王になっていただきたいのです」
「んあ?」
変な声出た。
4 カルヴォノの女王
「カルヴォノの女王になっていただきたいのです」
オクイドル議長はまるで自分に言い聞かせるように繰り返した。
わかる、わかるわよ。あたしってほら、そこはかとない気品というか、にじみ出る優雅さっていうか、そういうのあるじゃない?だからオクイドル議長が王室に迎えたくなる気持ちは痛いほどわかるわよ。
だけど!だけれども!
「あくまでも非公式の、という形でですが」
いや、あたしが問い質したいのはそこじゃない。
変な声だけじゃなく変な汗も出るわ。
「それは、どういう……?」
「王の座にある者しかアルカ王の霊廟には入れません。ですからフェリシアさんにカルヴォノの女王になっていただき、典章の定めを果たしていただきたいのです」
いってることはわかる。あたしの溢れる気品がそうさせるのもうなずける。だけど、ちょっと確認させて。
「他にその、誰かいないんですか?王位継承権のある人は?」
バシレクス陛下が行方不明なら、その子供なり兄弟姉妹なりが小惑星に行けばいいじゃない、次の王様として。その場合、あたしの仕事はなくなっちゃうんだけれども。
「バシレクス陛下はまだお若く、結婚もされていなければお子様もいらっしゃいません。従兄弟にあたるメイラス様がいらっしゃいますが、メイラス様はまだ10歳にもならないお方です。それに、万が一バシレクス陛下の失踪が事故ではなく事件だとしたら、つまり何者かに襲われたのだとしたら、王族の人間を危険に晒すことはできません。
カルヴォノは国家だけでなく、王室そのものの規模も小さいのです。王族の人数自体が少ないのですよ。これ以上、王室から犠牲者を出すわけにはまいりません」
オクイドル議長が渋面を作る。
王族、アクラ、アフティ。この体制ができて100年、王族への忠節は変わらないようだ。
だけど、これってあれでしょ?王室のメンバーからはこれ以上犠牲を出せないけど、クーリエからなら出しもいいと、そういってるわけでしょ?舐められたもんだわ、いくら忠義に厚いとはいえ。
この仕事をしている以上、危険は承知だ。覚悟はしてる。だけど、こうもあからさまに命が軽いっていわれちゃうとおもしろくない。
ジャガンナータ号でサラが見せてくれた報酬金額は確かに魅力的なものだった。でも、だからって命を安く見積もられて、はいそうですかと承知はできない。こっちにだってプライドってものがある。
「そんなのお断り……」
開きかけた口を塞ぐように、オクイドル議長はあたしの眼前に一枚の書類を突き付けた。
なによこれ?サラが見せてくれた契約書と同じじゃ……、同じものじゃ……、同じものじゃない!
「命に軽重なし。これも典章に記されていることです」
桁が1つ違う……、もちろん上の方に。
「典章にしたがい、フェリシアさんには相応の対価をお支払いしたいと思っています。もちろん、女王の地位は一時的なものであって、契約の満了あるいは破棄の時点までの便宜的なものとなりますが、ご了承いただけますか?」
「お断り……できるわけないじゃないですか!みなさんがお困りでいらっしゃるのに!」
ご了承した。ご了承しちゃった。気が付くとあたしは光の速さで契約書にサインしていた。その間、顔にはきわめて真面目な表情を貼り付けておいたはずなんだけど、自信はない。
「その過程でバシレクス陛下についてなんらかの情報が手に入った場合には、それも速やかにこちらに教えていただきたい」
「もちろん」
そんなのOKに決まってるじゃない。この金額ならお釣りが来るわ。
「では、まいりましょう」
オクイドル議長にうながされて、席を立つ。そのまま後を付いていくあたしの足取りは軽い。
なんてったっておカネがたくさん手に入るのだ。これでひもじい思いをしなくてすむ。船の燃料をケチらなくてすむ。借金だって返せちゃうかもしれない。
おまけに、クイーンである。
王様と結婚したわけでもないのに、いきなりクイーンである。
そう思うと自然と背筋が伸びる。背筋っていうか、なんだか首そのものが伸びたような気がするわ。
なんのおもしろみもないこの廊下すら輝いて見える。
カネと地位は人の心を豊かにするわね。
「こちらへ」
オクイドル議長が開けてくれたありきたりなドアにさえ、いまなら慈愛の眼差しを向けられる。
それで、このお部屋はなんなのかしら。中央に真っ白なトーガを纏った老人の彫像が飾ってあるこの部屋は。
彫像は部屋のカーペットにある王家の紋章の上に直立している。左から女性が2人、男性が1人だ。いずれも老人で、男性の彫像はゴツゴツとした杖をついている。男性の右側にやけにスペースがあると思ったら、そこにもう1つ紋章あって、どうやら空席になっているようだった。
この彫像たちは、もしかしたら歴代のカルヴォノ王たちのものなんだろうか。そして空いているところには行方不明になってしまったバシレクス陛下が納まる予定なんだろうか。
「こちらのクーリエ、フェリシアさんとのあいだで契約が成立しました。これから彼女に女王として始まりの小惑星に向かっていただきます」
ああ、こうやってご先祖の像だかなんだかに報告するのね。アルカ王も同じようにここに鎮座しててくれればこんな面倒なことにならなかったでしょうに。だけどそのお陰であたしは桁外れの報酬にありつけるんだから、文句はいうまい。行方不明になっちゃったバシレクス陛下には悪いけど。
などと思っていたあたしは、次の瞬間飛び上がった。実際に数センチ浮き上がっていたと思う。もしかしたら1メートル近く飛び上がっていたかもしれない。それくらいビックリしたのだ。
だってね、動いたのよ、目の前の彫像が。
オクイドル議長の言葉を聞くや、右側に立っている男性の彫像が溜息をつきながら首を左右に振ったのだ。おまけに女性の像たちも、その男性の像に視線を向けた。
「外の人間に頼らねばならんとは……」
しかもしゃべった!
なによ、彫像かと思ったらただの人間じゃない。やけに血色がいいとは思ったのよ、彫像にしては。あらかじめいっといてほしいわ、と思ってあとから契約書を確認したら、その旨しっかり書いてあった。ここに並んでいる人たちはアフティ代表の方々なのね。事前確認て大事。
「アエブロ卿……」
オクイドル議長にそう呼ばれたおじいちゃんは、禿げ上がった頭にトーガと同じくらい白く立派な顎髭をたくわえていた。そのおじいちゃんが口をへの字に曲げてこっちを睨んでくる。あたし、睨まれる覚えないんですけど。
「何度もご相談申し上げて、アフティの皆さんの承諾も得たお話ではないですか」
「儂は承諾した覚えなどないわ」
「アエブロ卿……」
さっきのオクイドル議長そっくりの言い方で、アエブロ卿の横に立つ女性がいった。人間てこういうとき、みんな同じ言い方になるんだなあ。
この人もお年を召しているんだけど、なんだろう、揺るぎない品位を感じる。それはきっと、すらりと伸びた背筋のせいばかりではないだろう。結い上げた髪とセンスのいいネックレスが、まるで女神のような印象を与える女性だった。
「もちろんわたくしも、王室内でどうにかできるものならそれに越したことはないといまでも思っています。しかしそれがかなわないのなら、助力を求めるのは決して恥ずかしいことではないでしょう」
「恥ずかしいかどうかの問題ではない!王室が王室たる意義の問題じゃ。よりにもよってカルヴォノ建国100年、アルカ王の遺詔を受けての大事だというのに、それをどこの馬の骨とも知れんような人間に頼ろうとは……。ましてやそれを王室に迎え入れるなどと……」
誰が馬の骨だ、誰が。
見なさいよ、この妖美な鎖骨を。そしてこの繊細にして大胆な骨盤を。どこの馬がこんなセクシーな骨してるってのよ。
あたしたちクーリエはね、銀河連邦にバッチリ登録されてるし身許もしっかり調査済みなの。それは初期のクーリエの中に荷物持ってトンズラしちゃう輩がいたからなんだけど、いまではそんなことはない。
と思って自分の姿を顧みるに、睨まれる理由にちょっぴり思いあたっちゃった。
胸元の大きく開いたオープンシャツに、ヒップの下ギリギリでカットされたホットパンツ。これはお年寄りには刺激が強すぎたかもしれない。アエブロおじいちゃんとの共通点といえば、トーガとホットパンツが同じ白ってことくらいだもの。
だめよね、それじゃ?共通点、なさすぎるよね?
「アエブロ卿!」
あたしの横でオクイドル議長が大声を出した。ああ、ビックリした。
「その王室存立の危機だからこそ、このような手段を取らざるを得ないのです。それともまだメイラス様を小惑星に向かわせるおつもりですか?それこそ王室を危険に晒す行為だと、なぜおわかりにならないのです?」
冷静沈着、泰然自若、事務方の鑑みたいなオクイドル議長がこんなに感情露わに反論するとは思わなかった。あたしの印象なんてさっきの商談から受けたものでしかないから、あてになるわけではないけど。
「むうぅ……」
アエブロ卿は唇を噛んで、杖を握るこぶしをブルブルと震わせていた。
「わかった……」
オクイドル議長が溜息をつく。察するに、ここまで話をまとめるのも大変だったんだろうなあ。それを最後の最後でひっくり返されちゃたまらない。感情的にもなろうというものだ。
「フェリシアさん、大変失礼しました。契約を交わしておきながらこのような物言い、深謝いたします」
オクイドル議長が目礼し、張りつめた空気が少しだけ緩んだ。
そのとき。
「ただし!」
ふたたび耳を聾する声を発したのはアエブロ卿だ。この王室はよそ者をビックリさせる習わしでもあるのか。
「今回は儂が行く。このクーリエには儂が随伴する。文句はあるまいな!」
うわぁ、誰か1人ついてくるとは思ってたけど、このおじいちゃんだけは勘弁してほしい。できればほら、その横で微笑んでる女神然としたおばあさまがいらっしゃるじゃない?そっちの人の方がいいんですけど。2人でブリッジで紅茶でも飲みながら、「ほほほほ」なんて、上品に笑いながら小惑星に向かいたいんですけど。
焼きたてのスコーンかなんかをかじってさ、カルヴォノ王室の歴史についてお話をうかがったりして、「フェリシアさん、このまま王室に残られては?」なんて誘われてさ。王室の一員として優雅に暮らすのもやぶさかじゃないわよ?
なのになんでこの禿げ頭のおじいちゃんと、どこにあるんだかわからない小惑星を目指さなくちゃならないのよ。誰も得しないじゃない。ほら女神、いってやってよ。「わたくしが行きます」って。
あたしの内なる願いを受けて、口を開いた女神はこういった。
「わかりました。アエブロ卿がそれで納得なさるのでしたら、どうぞお行きになって、耳としてのお務めを果たしていらしてください」
そこ、わからないでほしかった。
断固反対してほしかった。
いまなら間に合うよ?
あたし実はスコーンなんて焼いたことないけど、できるだけ高いの買ってくるよ?あとマカロンとか。
女神と議長が目を合わせる。そして2人ともやれやれといった表情を浮かべた。
がんばれ、女神。ねばれ、議長。スコーンとマカロン両方あげるから。
「わかりました。ただし、バシレクス陛下のこともあります。くれぐれもお気をつけて」
そうかあ、議長もわかっちゃったかあ。
一緒に行くアフティを選ぶ権利、クイーンにはないのかな?あったとしても臨時クイーンにはないんだろうなあ。
頑固でへそ曲がりなおじいちゃんと行く、初代王様墓参りツアー。そんなツアーがあったら、パンフレット焼き捨てるわ。
ていうか、そんな迷惑なツアーを企画する旅行会社はまるごと焼き払っちゃっていいと思うの。対艦用のブラスターで。
5 海と王様
「じゃあ、フェリシアさんは女王様になったんですね」
万能端末のモニターの中、サラがうっとりした表情でいう。
「うん、まあそうね」
一時的かつ離籍確約付き、なおかつ小惑星に行って王様の墓参りしてくる以外なに1つ実権も特権もない名前だけの女王様なんだけど。
「いいなあ、素敵」
そうね、素敵よ。素敵なのよ。
報酬もいいし、経歴に「元女王」なんて書ける人そうそういないでしょ?微妙に非公式だから書けないけど。
隣で「ふんっ」と鼻を鳴らすおじいちゃんがいなければ、文句なしに素敵だったわ。
アフティたちとの謁見を済ませると、あたしは王室専用車に乗った。ビックリするほど少ない荷物のアエブロ卿と一緒に。
見た目は普通のセダンと変わらないそれは、おそらくホントに普通のセダンと変わらない。その証拠に窓ガラスを軽くノックしてみると、それはそれはごく普通の音がした。つまり、防弾でも耐爆でもなんでもないガラスの音が。
ほんとに開かれたっていうか、庶民と共にある王室なんだなあ。
カルヴォノ王室の紋章が描かれている以外なんの変哲もないセダンが走り出してすぐ、あたしは様子がおかしいことに気付いた。てっきりそのまま軌道エレベーターに向かうんだと思っていた車は、まるっきり逆方向に走り始めたのだ。
あたしの宇宙船ジャガンナータ号は外洋型、つまりは宇宙航行専用型であって地上に降りるようにはできていない。宇宙で建造され、退役するまでその生涯を宇宙で過ごす。だから地上との行き来には搭載された小型宇宙往還機か、ドッキングした軌道エレベーターを使うことになる。
宇宙まで物資を運ぶのに、化学ロケットは怖ろしく効率が悪い。それが人間だけとか、小さな荷物だけとかいうならともかく、何十トン、何百トンもの物資を宇宙に運び上げようと思ったら、燃料を燃やして上昇するロケットは効率最悪。ロケットの中身がほとんど燃料になってしまうほどだ。本末転倒きわまりない。
そこで人類はどうしたか?
作ったのだ。ただ登って行きさえすればいい、宇宙まで届く高い高い塔を。
人類の想像力、いや創造力には驚きを禁じ得ない。地表から宇宙にまで届く軌道エレベーターの異容には、いつ見ても圧倒される。
よほど貧しい星でもない限り、どこの星にも軌道エレベーターの1本や2本はある。だから見慣れているはずなんだけど、巨大な建造物ってやつにはいつだって人を畏怖させる力があるのだ。だって地面からにょっきりと宇宙にまで届く塔が建ってるんだよ?
そしてその高い塔に、重力素子で駆動するケージを走らせる。つまりは上下に走る列車だ。
静止軌道レベルにはたいていステーションがあって、外から来た宇宙船はそこに停泊し、人の乗り降りや荷物の積み卸しをする。ジャガンナータ号もいまはそこであたしの帰りを待ってるはずだ。
小惑星に行くんだから、あたしはそのままジャガンナータ号に向かうんだと思っていた。つまりは軌道エレベーターに。
ところが、あたしとアエブロ卿を乗せた車がたどり着いたのは小さなビーチ。
カルヴォノはどこもかしこも海だらけ、ビーチだらけだ。大きい小さいの違いはあるけれど、いずれも美しいビーチばかり。
カルヴォノのビーチの多くは白い砂浜が延々と続き、それに寄り添うようにいくつもの壮麗なホテルが建ち並んでいる。ところが、あたしたちが足を踏み入れたビーチはまわりを木立に囲まれた入江になっていて、地元の住民でもないとその存在にすら気付かないような場所だった。いちばん奥まったところには砂浜と、その上には簡素な木造の平屋が建っていた。
入江の中だけでなく、外海の方も波は静かで、沖では若者たちがジェットスキーや水上スキーに興じている。
賑やかなビーチに疲れたら、こんなところでゆっくり過ごすのもいいかもしれない。
いいのかもしれない。
いいのかもしれなかった。
隣にむすっとした表情のおじいちゃんさえいなければ。
車から降りたあたしは「アエブロ卿?」と声をかけたけど、当の本人は「ふん」と鼻を鳴らしただけでそそくさと平屋の中に入ってしまった。
建物はどうやらバーを兼ねたビーチハウスらしく、アエブロ卿はカウンターのスツールにどっかと腰を下ろして口をきかない。仕方なくあたしも隣に座りはしたけれど、いったいここはどこなのよ?
しばらくのあいだ、あたしとアエブロ卿はなにをするでもなく海を眺めていた。ねえ、いいの?王室存亡の危機なんでしょ?こんなところでのんびり海を眺めてる場合じゃないんじゃないかしら?
クイーンなあたしの心配をよそに、アエブロ卿は動こうとする気配もない。
閑静なビーチとはいえ、こんなところにブルネットの美女が腰かけてたら普通はナンパの列が引きも切らず、ラッシュアワーの地下鉄かっていうくらい次から次へと男どもがやって来るものよ。実際、順番待ちの列ができたっておかしくない。
ところが、あたしに声をかけようと近付いてきた男たちは、隣に座るアエブロ卿に気が付くとみんな急に進路を変えて別の方向に向かってしまう。違うでしょ、あんたたちが目指してたのはあたしの眩しい太ももでしょ。どうして急に目的地を変えて、ボードの様子とか見に行っちゃうのよ。
あたしだって仕事中にナンパされてホイホイついて行くような真似はしない。でもさあ、ハナから声をかけられないのと、「失礼、仕事中なもので」って妖艶な微笑みでお断りするのとではワケが違うじゃん。
いま笑顔でこっちに近付いてきてる男だって、アエブロ卿に気付いたらくるっと方向転換するに決まってるんだ。まるでジェットスキーがドリフトターンを決めるみたいに。
ところが驚いたことに、その男はアエブロ卿を見ても怖じ気づく気配を見せなかった。それどころか、日焼けした顔に白い歯を輝かせてあたしのもとにやって来る。
いいぞ!がんばれチャラ男!
もちろんあたしはあんたとひとときの恋を楽しむわけにはいかないけれど、気分だけでも潤いがほしいのよ。
サンオイルの匂いがわかるほど近くまで来ると、日焼けしたチャラ男は口を開いた。
「あれ?」
ああ、わかる、わかるわ。顔見知りと勘違いしたという古式ゆかしいナンパの作法よね。その作法に則って、あたしも応えてあげるわよ。
最初はつれなく、それでも食い下がってくるようなら笑顔の1つも見せてあげるわ。
「アエブロ卿じゃん、なにしてんの?」
いいえ、あたしはアエブロ卿じゃ……って、ちょっと待て!
なぜだ!なぜあたしじゃなくてアエブロ卿に声をかける?しかも名指しで?
「うむ」とうなずいて応えるアエブロ卿。
なに?ホントに知り合いなの?
「バシーは?」
彼はバーの中を見渡しながら訊いた。
「今日はいらしておらん。儂1人じゃ」
「ふーん」といってからようやくあたしに気付いたのか、チャラ男はニヤリと笑っていった。「1人じゃないじゃん」
そしてそのまま、サングラスをかけてビーチに出て行く。
ちょっと待て、チャラ男!説明していけ!特にあたしほどの美女に声をかけなかった理由を!
まわりに人がいなくなるのを待って、あたしはアエブロ卿に声をかけた。
「どういうこと?」
「バシレクス陛下が行方不明になっていることは、まだ伏せられておる」
「なんで?」
一国の王様が行方不明だってのに?ていうか、死んじゃってるのに?
「まだ詳細がわからん。いまの段階で公表しても、観光立国である我が国にはマイナスにしかならんそうだ。我々アフティは速やかな公表を主張したが、アクラが頑なに反対しよった。アクラというか、オクイドルがな」
海を見つめたまま、吐き捨てるようにいう。
うーん、どっちの気持ちもわかるような気がするなあ。王室を中心に考えるアフティと国家運営を中心に考えるアクラか。そもそもこのおじいちゃんとオクイドル議長の相性が悪そうな気がするけど。
深入りしてもいいことはなさそうなので、あたしは話題を変えた。
「さっきの彼は?バシーって、バシレクス陛下のことでしょ?なんであんなチャラ男が一国の王様を愛称で呼べるのよ?」
もしかして彼も王族?と思ったけど、どうやらそれはなさそうだった。
「海の好きなお方でな」と、アエブロ卿はいった。「海は、この星のすべてじゃ。じゃから儂らはみな海を愛しておる。しかし陛下は、それを別としても本当にこの星の海を愛しておられた。幼少のみぎりから海で多くの時間を過ごされ、中でもこのビーチはお気に入りでな。ああした市井の者とも分け隔てなく親しくされておったのじゃ。
初めの頃こそみな陛下に気を遣って接しておったが、陛下の気さくな性格もあり、すぐに打ち解けて、旧知の仲のように交わっておられた」
カジュアルすぎない、おたくの王様?
とはいえ、辺境の小国の王様なんてそんなものか。王族と国民のあいだにある垣根は、あたしが思っているよりずっと低いのかもしれない。そうか、だからこそあたしなんかが臨時のクイーンになれたりするわけだ。
「あるときなど、ここでこうして見ているうちにジェットスキーに挑戦したいと言い出されてな。ほれ、ちょうどさっきの若者じゃ。あやつのを借りたはいいが、それが競技用の大出力モデルでの。
初心者にしては筋がいいなどとおだてられたのをいいことに、陛下は調子に乗ってスロットルを全開にしなさった」
アエブロ卿は海を見つめたまま、懐かしそうに続けた。
「そして制御不能になって突っ走ったあげく、振り落とされて大回転じゃ。あまりの勢いに両手両足を広げたまま、車輪のようにクルクルと海の上を回転しておられた。いまでもその様子が目に浮かぶ」
バカじゃないの、あんたのとこの王様?
垣根が低いどころか、それじゃただのアホじゃない。それを楽しそうに語ってるあんたもあんたよ、アエブロ卿。
「怪我とかは、しなかったの?」
「もちろんなさった。幸い大怪我にはいたらなかったが、それでも全身打撲と複数個所の捻挫で一週間は安静じゃったな」
それを大怪我っていうのよ、世間では。
「それで、彼はお咎めなし?」
あたしはジェットスキーで水柱を上げているチャラ男の方を目で示した。
「陛下ご自身はまだご存命であった先王に大変叱られてな。病院のベッドから海での危険行為をたしなめるメッセージを配信することになった。もちろんマリンスポーツへの悪影響があってはならんから、その匙加減は難しい。じゃから、注意喚起をしつつ、安全に十分配慮してマリンスポーツを楽しもう云々という話をするはずじゃった。
ところがじゃ、いざ配信が始まってみると危険性を訴えるどころかマリンスポーツの楽しさ、挑戦することの大切さを大演説じゃ。『完璧に安全なものなんてない。過度に安全を追求すれば、可能性の芽を摘んでしまうことになる。だから、なにができてなにができないのか、それを知るためには挑戦する以外に方法はない』とな。
配信はライブじゃったから誰も止めることもできず、包帯とギプスで固められて自説をぶつ陛下の姿が延々配信され続けた。そんな様子が全国に流れたものじゃから、ジェットスキーを貸したあやつを責めるわけにもいかず、先王は頭を抱えておられたな。それ以来、陛下はあやつとは特に親しく接しておられた」
なるほど、それで「バシー」呼びが出てくるのか。
「私、それ知ってます!」と、カウンターに置いた万能端末からサラが声を上げた。「それはもしかしたら、バシレクス陛下の深謀遠慮だったのではないですか?」
アエブロ卿は「ふふっ」とだけ、わずかに笑った。
それからしばらく、アエブロ卿は打ち寄せる波を見るともなしに見ていたけど、おもむろに立ち上がると杖をついて「ゆくか」と店をあとにした。
それに気付いたチャラ男が遠くから「バシーによろしく!」と声をかけ、アエブロ卿は背中越しに空いている方の手を上げて応えた。
6 ボックス・フィッシュ
ボックス・フィッシュともあだ名されるあたしの船――ジャガンナータ号はいままさにカルヴォノの軌道を離れようとしていた。
惑星表面に降りる必要のない外洋型の宇宙船は、重力や空気抵抗を考慮しなくていいから形状の自由度が高い。それこそ昔のSF映画にそっくりな船や、位相幾何学の限界に挑戦したかのような船、デザイナーが酔っ払って図面引いちゃったんじゃないかって船まで、いろんな形状の船が造られている。
その点、貨物船であるジャガンナータ号は無骨だ。荷物を運ぶという機能に忠実に、潔く作られている。もっといえば、ほとんどレンガのような直方体だ。
だからこそボックス・フィッシュってあだ名なんだけど、それでも細部を見れば、ただのボックスじゃないってことはすぐにわかる。
あらゆるところに借金をして手に入れて以来、あたしはこの船の運動性能を高める様々な改造を施してきた。各部にスラスターを増設したし、エンジン出力そのものも通常の3倍近くにまでパワーアップしてあるのだ。
そしてその改造は武装にもおよぶ。
宇宙海賊を筆頭に、やばい連中から積荷を守り抜くために施した数々の艤装。レーザーキャノンやらブラスターやら、内緒だけど光子魚雷も何発か……。武装だけで考えたら、もはやハコフグというよりハリセンボンに近い。
さらにさらに、いまのジャガンナータ号はまるで新品のようにピカピカだ。
「私からの気持ちです」とオクイドル議長はいった。厄介な仕事を引き受けてくれたことと、それ以上に厄介なアエブロ卿の相手をしなくちゃならないことへのせめてもの心付けというわけだ。
おまけに外装を磨き上げてくれただけでなく、「クイーンの船ですから」と細部にわたるチェックと整備までしてくれた。こんなにきれいな状態のジャガンナータ号を見るのは久しぶりっていうか、初めてかもしれない。すばらしいぞ、クイーン特権。
そんな完璧な状態のジャガンナータ号が、海洋惑星カルヴォノをあとにしようとしていた。
そうなの、ようやくあとにしようとしているのよ。アエブロ卿のいうままにビーチに寄り道してたから、ずいぶん時間食っちゃったけど。
でも、それでちょっとわかったことがある。
アエブロ卿にとっては、バシレクス陛下は孫のような存在だったんじゃないかな。王様といえどもアエブロ卿から見れば生まれたときから知っている子供。ましてや王室からの相談を受ける立場であれば、その成長を間近で見ていたことだろう。
そのバシレクス陛下の安否が不明というのは気が気でないはずだ。自分は少なくとも陛下がどこに向かったかは知っている。それでも典章の定めのせいでそれを明かすことができない。
気持ちと義務のあいだで板挟み。
そう思うと、アエブロ卿の意固地な態度も許してあげられる気がした。
ちょっとだけだけど。
うん、ちょっとだけ許してあげられる気がした。
気がしたんだけど、やっぱり気のせいだったかもしれない。
だってさあ!アエブロ卿ったらジャガンナータ号に乗り込んでくるなり、やれ通路が汚いだの、やれブリッジに物が散乱してるだの、口うるさい舅みたいにあちこちをつついてまわるのよ。
そんなだからあんたオクイドル議長に煙たがられるのよ!
だいたいねえ、本来クーリエは人員の輸送は行えないの。それって旅客業っていう他の業種を侵すことになるから。積荷への随行が必要という例外的な場合を除けば、人を乗せると旅客輸送組合からしこたま怒られる上に、罰金まで搾り取られるの。
ところが、ところがだ。
オクイドル議長はその例外規定を使ってくれという。小惑星の位置を示す羅針儀はアフティがいなければ動かないからって。万が一罰金を科された場合にはそちらもカルヴォノで補償してくれるって。
これはもうとにかくことを進めたいんだな、オクイドル議長。ていうか、投げやりになっちゃってない?どうにかしてアエブロ卿を連れて行っちゃってくれっていう、そういうことなんじゃない?
わかる、わかるわよ。
アエブロ卿がジャガンナータ号に乗り込んできてから30分、あたしはもうすでにこのおじいちゃんをエアロックから放り出したくなっちゃっているもの。
そんな気持ちを知ってか知らずか、アエブロおじいちゃんはブリッジのシートで憮然とした表情を浮かべていた。
「それで、どちらへまいりましょうか?」
あたしは心のすみっこの方に残る愛想をかき集め、さらにはクイーンというバフまでかけて笑顔を作った。
それに対してアエブロ卿は、白いトーガに沈み込むようにしてむっつりと押し黙っている。
ああ、腹立つ!
あんたが小惑星の座標教えてくれないとこっちはいつまでも軌道エレベーターにくっついたままこの星をグルグルまわってなくちゃならないのよ!
ドッキングを解除して高速ロールかましてやろうかしら。その白いトーガごと洗濯物みたいにクルクルまわる様子が目に浮かぶわ。
「アエブロ卿、バシレクス陛下のこと、心中お察し申し上げます」
笑顔の下で奥歯を噛みしめるあたしに代わって、コンソールのモニターからサラがいった。
「バシレクス陛下が連絡を絶たれ、安否も不明となれば心穏やかでないのはわかります。しかし、いまはカルヴォノ王室の存続を考えるべきときではないでしょうか」
アエブロ卿がチラと目を向ける。モニターの中のサラはアエブロ卿をまっすぐに見つめ、あくまで落ち着いた声で話しかける。
「アエブロ卿がお困りになっているのはカルヴォノ王室を大切に思うが故です。王族を危険には晒せない、けれども王室が拠って立つ典章を無視するわけにもいかない。そうであれば、一時的に外部の人間を王族に迎え入れ、虎口の難を逃れる術とするのは詮方ないことではありませんか?」
難しい言葉知ってるわね、あんた。
「カルヴォノ王室は開かれた王室と聞きました。王族のご成婚も、王族内でのみ行われるわけではないでしょう?その際には外部の人間が王室に入ることもあるはずです。今回の件も、その例の1つとお考えになってはいただけませんか?」
こういうときのサラは強い。あくまで冷静に、理屈で話を押してくる。そのくせ同時に相手の感情を慮ったりするから手に負えない。かくいうあたしも、口喧嘩ではサラに勝てたためしがない。最終的には「うっさいわね!」としかいえなくなる。
それに加えて、あの深い緑色の瞳だ。邪念も邪心もない、真心と思い遣りを結晶化させたようなあの瞳。こちらに少しでも引け目があろうものなら、たちまち己の卑小を恥じて、胸が痛むこと請け合いだ。
アエブロ卿も、自分が意固地になっているのはわかっているはず。そうなるともう勝ち目はない。
「うむぅ……」と唸ったきり、外の世界を遮断するように固く目を閉じてしまった。そして長い長い溜息をつくとようやく目を開き、「ここへ向かってくれ」と王室の紋章が入ったメモリーカードを取り出した。
なによ、羅針儀とかいうからたいそうな機械でも出てくるのかとおもったら、ただのメモリーカードじゃない。
あたしはひったくるようにそれを手に取ると、流れるような動きでコンソールのスロットに差し込んだ。アエブロ卿は恨みがましい目でカードを見つめていたけれど、気が変わらないうちに中のデータを読み込まなくちゃ。
カードに入っていたのは、なんのことはない標準的な形式で記述された位置座標だった。
それだけ確認すると、大急ぎでジャガンナータ号を軌道エレベーターから切り離す。高速ロールをお見舞いしなかったのは時間がもったいなかったのと、主にあたしがお淑やかなクイーンだからだ。
それでも可能な限りの推力で、アエブロ卿が泡吹いて倒れない程度の急加速で、ジャガンナータ号は惑星カルヴォノを離れていく。アエブロ卿が多少のけぞってるような気がしないでもないけど、まあご愛敬。一刻も早くご先祖様のお墓参り済ませたいでしょ?王室存続させるんだから。
そうやってカルヴォノから遠ざかるあいだに、あたしはQドライブを起動して先ほどの座標を入力した。
Qドライブ――広すぎる宇宙を相手に人類が生み出した究極の発明。
宇宙は広い。地球から太陽までだって光の速さで8分かかるし、お隣の恒星までなら4年もかかる。もう1つ先まで行こうと思ったら、なんと片道6年だ。
そんなの、どうにもならないじゃん?
その「どうにもならない」を「どうにかしちゃった」のがQドライブだ。
Qドライブは宇宙船の推進機関の1つだけど、厳密にはなんら物理的な推進力で船を航行させたりはしていない。
量子の世界では物質とエネルギーは等価で、粒子は確率の波として存在する。人間がその粒子を観測することで、「そこに存在する」という事実に収束するのだ。Qドライブはそれをマクロなスケールで実行する。
つまり、宇宙船が「ここ」ではなく別の「どこか」に存在する確率を計算し、その可能性が最大になるよう収束させるのだ。宇宙船の存在確率はいまいる場所から遠ければ遠いほど小さくなるから、目的地である「どこか」が遠いほどQドライブによる計算は時間を要し、これが実際の移動時間にあたる。
計算では、今回の旅にかかる時間はおよそ半日。半日のあいだ、あたしたちにはすることがない。
窓の外に見えるものといえば、Qドライブによって作り出される位相空間であたしたちが確率の波となって消えていかないように守ってくれている干渉コクーンの光だけ。その虹色の光以外、窓の外に見るべきものはなにもない。
そういえば、カルヴォノには虹色に輝くビーチってのがあるんでしょ?行ってみたかったなあ。あんなちっちゃな入江じゃなく、ましてやこんな性格のひん曲がったおじいちゃんとじゃなく。
おじいちゃんご本人は相変わらずトーガに埋もれるようにして、隣のシートに腰かけている。半分閉じかけた目は、虹色の光をうっすらと反射していた。
寝てるのかしら?と思った。
そうよね、時刻的にはもう遅いもの。あたしだってちょい眠い。美容と健康のためにはもう寝たいわ。あ、でも潮風浴びてるからちゃんとケアしてからじゃないと……。
なんてことをうっすら思っていたとき、気付いた。
アエブロ卿の目は寝るどころかせわしなく動きまわっている。
その目は計器やモニターに映し出される情報を細大漏らさず追っていた。決して適当に眺めてるんじゃない。的確に、正確に、アエブロ卿の目は宇宙船の航行に必要な情報を拾い上げていた。
本来、宇宙船の航行機能の大半は自動化されていて、人間が見守っている必要はない。異常があれば警報が鳴って教えてくれる。手動でコントロールするのでもない限り、数値なんて読み取る必要はほとんどないのだ。
だけど生粋の船乗りはそうはいかない。身体が勝手に船からの情報を吸収しようとしてしまう。
目は撫でまわすように計器の上をさまようし、耳はエンジンの音を探り続けるし、肌は船体の振動を感じ取り続ける。意識していようといまいと、起きていようと寝ていようと、まるで呼吸をするように。
アエブロ卿、あんた……?と思って真っ白なお髭の横顔を見直すと、「ぐー」といういびきが聞こえた。
寝てるし!
このおじいちゃん、寝てるし!
なんなのよ、まったくもう!
7 三重連星
半日後、位相空間を抜けたあたしたちの目の前に現れたのは、青白い3つの恒星が互いのまわりをまわる三重連星だった。それもお互いがくっつきそうになるほど接近している、近接三重連星。
荘厳華麗な宇宙の名所、胸躍る驚異の景観。
遠くから見ているだけならね。
涼しげな青白色をしている星ほど、実はその表面温度が高い。つまりここは、宇宙船の外殻をも瞬時に蒸発させる超高温の地獄が3つ、楽しそうにダンスしている場所なのだ。
青白く染まるメインスクリーンを見つめて、アエブロ卿がいった。
「あの三重連星の重力中心に向かってもらいたい」
「へ?」
なにをおっしゃっちゃってるのかしら、このおじいちゃんは?と思ったのはあたしだけではないはずだ。その証拠に、モニターの中のサラも目を点にしている。
連星系なんて、そうめずらしいものでもない。むしろ恒星が単独で存在している地球の太陽の方がめずらしいくらいだ。だから二重星を主星とする惑星国家も少なくない。
銀河系の開発が始まった当初はいわれたそうだ。「二重星の恒星系なんかに住めるわけがない」って。軌道が複雑になりすぎて、惑星が安定していられないって。
ところが実際に二重星を調べてみると、意外と多くの惑星が安定して軌道をまわっていることがわかった。恒星同士の距離が十分に近ければ、2つの恒星を1つの重力源とみなして惑星は安定した軌道を描くことができるのだ。
だからいまでは、二重星のまわりをまわる惑星国家も多い。
とはいえ、三重連星を主星とする惑星国家は聞いたことがない。二重星ならともかく、三重星ともなると重力の干渉が途方もなく複雑になって、惑星がまわるべき重力中心の位置が安定しないからだ。
これってたぶん、犬にたとえるとわかりやすい。
3匹の犬が取っ組み合いのケンカをしているところを想像してみて。想像した?じゃあ、ここで問題です。そのしっちゃかめっちゃかに絡まり合ってる3匹のちょうど真ん中はどこでしょう?
わかるわけないわよね。噛んだり噛まれたり、動きまわってる3匹の犬の中心点なんて、誰にもわかりっこないわ。
そこに手を突っ込んでみろと、アエブロ卿はいっている。
できるわけないでしょう、そんなこと!
ましてやこの三重連星は、お互いの距離が近すぎて滝のように物質をやりとりし合ってる近接三重連星なの。宇宙スケールで考えると触れ合ってるにも等しいほどに近いから、恒星はお互いの重力で超高温のガスやプラズマを吸い合ってる。その奔流がどこから発生してどっちの方向に向かうのか、これまた予測なんて不可能だ。
要は、「危険!近付くな!」と立て札がぶっ刺さってる場所なのだ。それがいま、ジャガンナータ号のメインスクリーンいっぱいに広がっている。
赤外線はシャットアウトしてるから船内は暑くないはずなんだけど、見ているだけで汗が浮かぶ。ちょっと気を抜いたらこんがりカリッといっちゃいそうだ。
「重力中心に向かってもらいたい」
聞こえた、聞こえたから、聞こえちゃったから。
2回もいわなくていいから。ていうか、1回もいってほしくないから。
そこにあるの?カルヴォノ王室ゆかりの小惑星が?秘密の場所だっていってたけど、よりにもよってあんなところ?
しかしもし、それが典章に記された定めだというのなら、王家の血脈に連なる者の務めだというのなら、臨時とはいえクイーンを拝命したあたしの答は1つだ。
「嫌です」
だってさあ、危ないじゃん、あんなの。
恒星同士の距離が近いから、物質のやりとりが行われてるって話、したよね?しかもそれが超高温のガスやプラズマだっていったよね?
ついでにいうとね、いや、ついでっていうにはあまりにも重要なことなんだけど、大量の物質が恒星間を行ったり来たりするってことはね、そのたびに星の質量が変わるってことでね、さっきの犬の話でいうとケンカしてる最中の犬の大きさがコロコロ変わるってことなのよ。そうなったらもう、中心がどこかなんてサラにだって予測は不可能だ。
あたしはチラリとサラを見た。するとサラは、すました顔でまっすぐ前を見つめている。 ああ、これあれだ。「やっべーぞ、これ」っていうときの顔だ。ジャガンナータ号に住みついて以来、サラは事態がヤバくなると決まってこんな顔をする。
以前、ある生物の輸送を頼まれたことがある。
それは地球に似た惑星原産の猫くらいの大きさの動物で、ふわふわの巻き毛がそれはそれは可愛らしい生き物だった。鳴き声なんてか細い声で「ピウー」なんていうのよ。可愛らしいったらないでしょう?
可愛らしくないのは、そいつがある一定以上の温度になると巣作りのためにそこら中の金属を切り刻んで集める習性があるってことだ。
その温度たるや、摂氏マイナス48度。
もちろんそうならないように、船に搬入する前から特殊なケージに入れて冷たく冷たく冷やしておいた。
あたしはバッチリその温度を維持していた。維持していたつもりだったのよ。ところがケージの温度計に降りた霜のせいで、表示されている数値が48だか46だか、それとも43なんだかわからなくなった。
そんなことあるかって思うでしょ?あるのよ。単調な輸送業務に飽き飽きして、退屈しているところに血中アルコール濃度が上がって、温度を確認するのが面倒くさくなっちゃったときにはあり得るの。どうしてあたしの血中アルコール濃度が上がったのかはいまだに謎だわ。ブリッジには何本かお酒のビンが転がっていたけど。
多少の二日酔いを抱えて目を覚ましたあたしは、切り刻まれたケージを見て血の気が引いた。
あいつら可愛らしい見た目をしてても所詮は野生動物だから、船の外壁に穴空けたら自分も死んじゃうってことがわからないのよね。空気がなくなるくらいサラにとってはなんでもないけど、それでも船のメインフレームを噛みちぎられたら一巻の終わり。
動物の逃走を知ったとき、サラはちょうどいまと同じ顔をしていた。
ちなみにそのあと、あたしは船内温度をまるごとマイナス48度以下に設定して大捜索。船体に大きな被害はなく、輸送を完了した。船内の壁には何カ所か穴空いてたけど。
なんにも知らない依頼主——どっかの研究者だったっけ?——は、「こんなに大切に運んでいただいて」と大感激。そりゃそうでしょうよ、動物1匹のために船全体を冷凍庫代わりにするなんて、あたしだって聞いたことないわ。
その間あたしはずっと宇宙服を着て過ごしたんだけど、ねえ、知ってる?宇宙服って着たまま食事できないのよ。
それにどんなに温かいもの作っても一瞬で冷める。ていうか、凍る。なんとか食べようとフェイスシールドを上げると、その瞬間に冷気があたしを抱きしめる。
それと同じくらい「やっべーぞ、これ」な状況が、いまあたしたちの目の前に広がっていた。
あのときとは、温度が数千万度違うんだけれども。
8 じゃあ、遠慮なく
「あの三重連星の中心を……」
わかった、わかったから3回も繰り返さないで。
「危険すぎます。船の、ひいてはアエブロ卿の安全が保証できません」
コースをミスったら、燃えたぎる恒星に突っ込んで終わり。予測できないプラズマ流に飲まれたら、これまた瞬時に蒸発して終わりだ。仕事といえども、そんな危険は冒せない。
「あのマーキングは飾りかの?」
明らかに嫌そうなあたしの顔を見て、アエブロ卿は船体の後ろの方に頭を振った。
アエブロ卿がいっているのはジャガンナータ号の横腹に描かれた曲がりくねった矢印——エリオネア・アローのことだ。宇宙の難所と名高い——ていうか、好きこのんでそんなとこ通る人なんかいやしない——エリオネア星系の小惑星群。そこを無傷で通過した船だけに与えられる、船乗りの羨望を集める至高のエンブレム。
このマーキングがある船は、銀河のどこに行っても一目置かれる。「本物初めて見たぜ」とか「写真撮っていい?」といわれることはしょっちゅうあるし、敬意を表して一杯おごらせてくれって人もいるくらいだ。
エリオネア・アローにはそれだけの意味がある。
あのマーキングを偽装しようものなら二度と船になんて乗れないし、逆にあのマークがあるのに下手な操船を見せれば今度は物笑いの種になる。
それを指して、アエブロ卿はいっているのだ。「おまえのエリオネア・アローはただの飾りか?」と。
煽ってくれるじゃないの、この年寄りは!
冗談じゃない。見せてやろうじゃないの、あのマークを持つ船になにができるかを!年寄りだからと下手に出てればいい気になって!え、出てなかった?出てたわよ!
「フェリシアさんが心配しているのは、アエブロ卿のお身体に負担がかかりすぎるのではないかということです。かなり変則的な機動を行う必要がありますので」
いいや、サラ。あたしはもはやそんなことちっとも心配してないぞ。仕事じゃこんなことやりたくないけど、ことはもうあたしの船乗りとしてのプライドの問題だ!アエブロ卿がやめてくれっていったって、もうやめないからな。
「変則機動、大いに結構。やっていただこう」
やっていただこうの前に「やれるものなら」って聞こえた気がするんですけど!クイーン空耳かしら!
あたしはサラと目を合わせると、アエブロ卿そっちのけでコースの算出を始めた。
理屈は単純だ。3つの恒星はお互いに重力で引き合ってる。その力がちょうどつり合う場所を狙えばいい。単純じゃないのはその場所が刻一刻と位置を変えること。恒星が動きまわってる上に、質量まで変わるんだから。
それでも、この船の生きるコンピュータ——誰がなんといおうと、あたしは彼女が「生きてる」と思ってる——サラの能力をもってすれば大まかな見当をつけるくらいはできなくはない。そして接近すればするほど、その精度は上がっていく。
だけど突如として現れるプラズマ流、こっちの方は厄介だ。あらかじめ軌道計算に組み込んでおくことができない。
つまり、あたしがマニュアルでかいくぐるしかないってことだ。
断りたい、本当は心の底から断りたい。
だけど大切なお客様からのご要望だもの。
あたしに挑発的な態度をお取りになったお客様からのご要望だもの。
エリオネア・アローを引き合いに出してあたしのことを煽りやがったお客様からのご要望ですもの!
「船室にいらした方がよろしいのでは?」
あたしは満面の笑みで煽り返した。違う、アエブロ卿のお身体を心配していった。
「ここで結構」
あら、そう。じゃあ遠慮なく。
終わった頃に関節がいくつか増えてても知らないわよ。
9 白目剥いて泡吹いて気絶する程度に
「行くわよ!」
かけ声とともに、あたしはジャガンナータ号を大きく旋回させ、近接三重連星の絡まり合う軌道奥深くに進路をとった。
目指すは三重連星の重力中心、基本コースは設定済みだ。
「ふんっ!」
スタートするやいなや、あたしは操縦桿を思い切り左に倒した。
三重連星からいきなりのご挨拶をいただいたからだ。右舷で青白く燃える星から、滝のような火柱が襲いかかる。
恒星間を渡る火柱の正体は超高温のプラズマ流だ。こいつの直撃を食らったらひとたまりもない。そしてさらに厄介なのは、そこから枝分かれして触手のように伸びてくる支流だ。この細いプラズマが絡まり合い、三次元の網の目となってジャガンナータ号の行く手を阻む。
ジャガンナータ号はあたしの操縦にしたがって、左に旋回しながら下方に向かった。太いプラズマ流の下をかいくぐるような格好だ。船内では重力素子が慣性を和らげてくれているはずだけど、それでも下り坂に差しかかったローラーコースターみたいに身体が、髪が、胸が浮き上がる。
チラリとアエブロ卿に目をやると、必死で肘掛けにしがみついているのが見えた。
うん、生きてる。しがみついてるうちは大丈夫。船長権限で無理矢理5点式ハーネスを着けさせたけど、意識を失ったら手足が宙を泳ぐはず。はたから見たら踊ってるみたいに見えるだろうけど、とても楽しいといえる状況じゃない。
ここが年寄りのダンスフロアになってないってことは、まだいける。
とはいえ、重力中心を目指す旅は始まったばかりだ。
最初のプラズマ流をくぐり抜けたあたしはジャガンナータ号を上昇させ、新しいコースに乗せた。
この動きをどれだけ素早く正確に行えるかが鍵だ。
事前に設計したコースには、突如現れるプラズマ流の回避運動なんて当然入ってるわけがない。その都度、あたしがマニュアルでプラズマ流をすり抜ける。
そうやってるそばからサラが軌道を再計算し、あたしはそれを見て新しいコースにジャガンナータ号を乗せる。まるで2台のピアノによる即興演奏だ。
2人が息を合わせないと、旋律はたちまちノイズに変わる。そうなればジャガンナータ号は乱れたメロディーに乗ってプラズマのまっただ中に叩き込まれることになる。
新しいコースに乗ったところに、もう一度右手からプラズマ流が走った。今度はそれを乗り越える形で避けようと、あたしは操縦桿を手前に引いた。ジャガンナータ号が船首をもたげ、プラズマ流の上に出る。
そこへ。
真下から別のプラズマ流が現れた。奔流から枝分かれした鋭い流れが突き上げるようにジャガンナータ号に迫る。サラが瞬時にエネルギーシールドを船底側に集中させる。あたしは同時にジャガンナータ号を急速右ロール。この辺は頭でなんか考えてない。身体が勝手に反応する。
間一髪で直撃は免れたけど、それでも衝撃が船体を襲い、ジャガンナータ号を激しく揺さぶる。
船の姿勢を立て直そうと操縦桿と格闘しているわずかなあいだだけは、アエブロ卿のことを忘れかけた。いまは目の前のディスプレイと計器から目が離せない。離したら最後、船もあたしも一瞬で蒸発して、原子レベルに崩壊したアエブロ卿と仲良く宇宙空間を漂うことになる。
「アエブロ卿!」
目は離せないけど、声はかけられる。あたしは船体の軋む音に負けないくらいデカい声で呼びかけた。
「うむ!」
よかった、老人の割には意外と頑丈。だけどこの先もこんなのが続くかもしれない、ていうか間違いなく続くから覚悟して。
「プラス20!」
サラの声がスピーカーを震わせる。
ディスプレイを見ると、ジャガンナータ号は当初のコースからも、再計算したコースからもずいぶんと外れてしまっていた。
もともと計算どおりにいくなんて思ってないし、それは構いやしないんだけど、大きくズレればそれだけ修正が大変になる。
三重連星の重力中心は常に動きまわる。サラが叫んでいるのは、予想される重力中心とジャガンナータ号との動的な位置のズレだ。そのズレが、20秒あるといっている。
船乗りなら、時間を教えてもらえば自分がいるべき位置からどれだけズレているか直感的にわかるのだ。その直感によると、あたしたちは結構まずい。
つまり、このままいくとジャガンナータ号は重力中心が20秒前にあったはずのなにもない空間を素通りすることになる。
サラがジャガンナータ号に居座るようになってから、あたしは彼女に操船の英才教育を施してきた。その成果が遺憾なく発揮されて感慨深いったらないんだけど、いまはそれに浸ってはいられない。そんなものに浸っていたら、同時に恒星の業火にも浸ることになってしまう。
「了解!」
あたしはスラスターを吹かして船のロールを止め、乱暴にメインエンジンの出力を上げた。ドンッという音が背後から聞こえ、船が遅れを取り戻そうと加速する。
あたしたちを焼き尽くそうとするプラズマ流のお陰で恒星の質量は刻々と変化し、それにともなって重力中心の位置も動いているはずだ。
そっちの計算はサラは裏でやってくれている。その証拠に、ディスプレイに示される目標地点は少しずつ位置を変えている。
ほんの一瞬、それに気を取られたのがまずかった。
後方から迫るプラズマ流が、ジャガンナータ号の船尾をかすめた。放り出されたサイコロのように、ジャガンナータ号が三重連星に取り囲まれた空間を転がる。
こうなるともう、上も下もない。
あたしは両手両足を使って船の姿勢を安定させようとし、その動きに合わせてサラが船体各部のスラスターを微調整する。
「プラス30!」
サラが叫ぶ。
ごめん、アエブロ卿。先に謝っとくわ。
これだけの遅れがあると、もう間に合わない。ジャガンナータ号が到着するとき、そこに三重連星の重力中心はない。あたしたちは重力中心から1000キロ以上離れたなにもない空間を無意味に通過することになる。
普通は。
普通ならば。
だけどあたしたちは、普通じゃない。
あたしとサラは、普通の船乗りじゃない。クーリエだ。それも歴戦のクーリエだ。
クーリエの仕事はなにがあっても積荷を目的地に届けること。そのために宇宙船を駆る。どんな危険があろうとも、命がけで積荷を運ぶ。
これはもう、単なる仕事を超えたあたしたちへの挑戦だ。なんとしても重力中心に到達する。
さっき心の中で謝ったからね、アエブロ卿。
いまから、無茶をする。
アエブロ卿が死なない程度に、白目剥いて泡吹いて気絶する程度に、あなたの想像を絶する操船をお目にかける。気絶しちゃってたらお目にかけられないけど、その方がいいかもよ。
「行くよ、サラ!」
そのひと言だけでサラには伝わる。モニター内のサラの顔を見なくても、力強く——え?呆れてた?——唇を引き結ぶのがわかる。
あたしはジャガンナータ号をドリフトさせると、サラが割り出した重力中心の方に船首を向けた。
船首を重力中心に向けたまま、船尾を下げて加速する。こうすることで相対的に目的地よりいったん上に出る。ジャガンナータ号から重力中心を覆い隠すように、何本ものプラズマ流が行く手を遮っているからだ。
いったん上に出ることで、そいつらをまとめてやり過ごす。
そうなると当然余計に時間がかかる。重力中心も移動してしまう。それを逃さないように、尋常ならざる加速をする。設計許容値を超えた加速を、ジャガンナータ号に強いる。
船の許容値なんて、どうせたっぷりマージン取ってあるんでしょ?
地上を走る車でいえば、山をグルリとまわる代わりに尾根を乗り越えていくようなものだ。いや、自分でトンネル掘って行っちゃう感じかな。
当然すさまじいパワーと加速を必要とするけど、ジャガンナータ号にならそれができる。
なにしろ中古で手に入れて以来、あたしが手塩にかけて改造してきた船なのだ。それに加えて、いまでは船の頭脳は銀河一の人工知能サラスバティー・クリシュナなのだ。これで失敗したら、全部あたしが悪い。墓には「銀河一のマヌケここに眠る」と刻んでくれて構わない。
ブリッジのシートがもげそうなほどの加速をして、プラズマ流をやり過ごす。眼下で交差する何本ものプラズマは、まるで凍った湖に走るひび割れのようだ。
それを乗り越えて重力中心に迫った瞬間、目の前に一際大きなプラズマ流が走った。
避けるのはたやすい。
だけどそれをしていたら、動き続ける重力中心に追い付けない。
「サラ!」
「了解!」
サラにはそれで十分だった。
もし究極の人工知能にはテレパシー能力が備わるといわれたら、あたしはそれを諸手を挙げて信じるだろう。
あたしのひと声で、サラはすべてのエネルギーシールドを船首側に集中させた。
雨の降る日にオープンカーに乗ったことある?もちろん屋根を開けて。十分な速さで前に進むと、フロントガラスが雨を弾いて乗ってる人には雨が当たらないの。
あたしたちがやろうとしているのは、まさにそれだ。
すべてのエネルギーシールドを前方に集中させて、スピード勝負でプラズマ流を突っ切る。
ジャガンナータ号のシールドがプラズマ流に耐えられるかどうか、確証はない。確証はないけど、サラもあたしも勝負に出た。
推進機関以外、すべてのエネルギーがシールドに注ぎ込まれる。船内の照明が落ちた。重力素子が切られた。もしかしたら生命維持装置もオフになってるかもしれない。
一瞬だけ光った非常灯も、即座に消えた。
本来なら非常用の回路はサラでさえ手が出せない設計になってるはずなんだけど、なにをどうやったのか、サラはそれすら管理下に置いているらしい。
あとでお説教してやらなくちゃいけないけど、こんなときに限ってあたしが内心喜んでいることをサラはモニターの向こうからあっさり見抜く。明らかに演技とわかる表情で、「ごめんなさい」とションボリしてみせるのだ。
「プラス04!」
船首でプラズマ流とエネルギーシールドが干渉し、火花が散る。実際のところは火花なんていう可愛らしいものじゃないはずだ。だって温度は優に数百万度を超えているはずだもの。
前方スクリーンが真っ白になる。空間そのものが、どんなに減光フィルターをかけても追い付かないレベルで白熱化してる。
ブリッジの中が白く染まったその刹那、突然の静寂が訪れた。
プラズマ流を突破したのだ。
本当は船体の軋みが、エンジンの唸りがブリッジを満たしているはずなのに、プラズマ流との干渉から解放されてハッとするほど静かに感じる。
だけど休んでいる暇はない。
差を縮めたとはいえ、相対位置ではまだ追い付いたわけじゃない。
真正面からプラズマ流に突っ込んだせいで、船体は大きく右に流されている。取り戻すにはさらなる加速をするしかない。
あたしは抗議の声を上げるエンジンに鞭打って、限界までパワーを絞り出した。おまけに後部補助スラスターも全開にして、少しでも余分な推力を稼ぐ。
幾筋ものプラズマ流に取り囲まれた中、内部からの熱と外部からの輻射でエンジン外殻が白熱化する。
「プラス02!」
もうちょい、もうちょい!
重力中心までの最終アプローチを示すCGが前方スクリーンの実写映像に重ねて映し出される。
暴れるジャガンナータ号を無理矢理ねじ伏せ、わずかなズレを修正する。
さらなる加速のお陰で、顔の皮が後ろに引っ張られるのがわかる。目を開けているのがやっとだ。
「プラス01!」
最後の最後、サラが側面スラスターを噴射してジャガンナータ号を正しいコースに乗せた。
「よっしゃああああ!」
光の矢となったジャガンナータ号が重力中心を貫く。
貫く?
ダメじゃん、貫いちゃ。
あたしたちは正確に重力中心に到達した。到達したのならそこにあるはずなのだ、カルヴォノ王国始まりの小惑星が。
ところが、なにもない。
あるはずの小惑星が、どこにもない。
ジャガンナータ号はなにもない空間を一直線に貫いていた。
プラズマに灼かれて崩壊してしまったんだろうか?それとも重力中心から外れて、恒星に落下してしまったんだろうか?はたまたあたしたちの位置計算が間違ってた?
疑問は尽きなかったけど、いまは悠長に悩んでいられない。一刻も早くここから逃げ出さないと、あたしたちも存在しなくなってしまう。
あたしは目視でプラズマ流の少ない方を確認すると、全力で脱出にかかった。ゴールが決められている突入と違って、離脱はどの方向でもお好み次第。
そうなれば、ジャガンナータ号はまさに水を得た魚だ。
ねえ、知ってる?ボックス・フィッシュって魚は、見た目に反して抜群に機動力が高いのよ。
ジャガンナータ号はその名に恥じない動きを見せて、次々とプラズマ流をかいくぐる。外から見たら、ピンボールみたいにプラズマ流に弾き飛ばされているように見えただろう。それくらいの曲芸を見せて、ジャガンナータ号は安全宙域に逃れた。
完璧だ。
エリオネア・アローの横に、三重連星のイラストをペイントしたいくらいだ。
あたしは満足して息を吐いた。
灯りの戻ったブリッジ内のすべての計器が、ジャガンナータ号が安全圏にいることを告げていた。
そう、完璧だった。
小惑星が存在しないことと、アエブロ卿のことをすっかり忘れていたことを除けば。