「教育に携わっていて、どんな時に”やっててよかった”と思いますか?」
先日、自宅フリースクールの運営について話が聞きたいとお越し下さった女性から、こんな質問をされました。
「渡辺さんが教育に携わり続ける理由は何ですか。どんな時に”やっててよかった”と思われますか」との質問を受けました。
教育の仕事…
昨今ますます人気が落ちていますね。
私自身もパワハラセクハラ校長との出会いがありましたし、教職員いじめも広く世間に衝撃を走らせました。
生徒から「今は学校の先生大変でしょ?今は保護者のほうが強いから」なんて言われたこともあります笑
先日、教職を目指す学生さん達を招いての勉強会をさせて頂きましたが「こんなご時世によく教師など…」と頭の下がる思いでした。
なぜ教育の仕事を続けてしまうか。
まず一つに、”中毒性”のようなものが私にはあります。
現代の教師の仕事って、真剣にやればやるほど本当に辛いんですよね。
364日、休む間もなく過酷な労働環境が待っています。
ただ、たった1日”一瞬の絶頂”を知ってしまうとやめられなくなる。
どんな競技でもいいんですけれど、めちゃくちゃハードなトレーニングを364日続ける。
1日1日の練習が吐くほど、本気で逃げたくなるほど辛い。
「もう今年で終わりにしよう」と心に誓いながら帰路につく。
それなのに、大会の1日でものすごく納得のいくレースなり演技ができた瞬間「もっと上を、来年はさらなる高みを!」などと言って、また同じ1年間に飛び込んでいく…。
私の場合、こんな感じでした。
嫌な事も腹の立つ事も山ほどあるんですけれど、ほんの1瞬垣間見た子どもの笑顔で「明日もがんばるぞー!」となってしまう。
ほぼ毎日「死ね」と「ウザイ」と暴言を吐いてきた生徒に、卒業式で「先生、ホントはすげー感謝してる」って言われただけで、あぁ、次の3年間もがんばろうかなと思ってしまう。
単純すぎてあきれてしまう…。
でも本当にそういう感覚です。
本題の「やっててよかった」の瞬間は、私は今も昔も変わりませんね。
生徒の人生に少しでも影響を与えられたかなと思えた時です。
完全な自己満ですけれども。
はい、そんな自己満の喜びだけで、ずっとこの仕事を続けられています。
単純です!
学校教員を辞めた時、全然違う職に転職しようかと割と真剣に考えていた時期もありました。
すっぴんガングロジャージの毎日とはおさらばだとヤケになり、同年代の友達の9割がやっているネイルやエステなどに行ってみようとした時期もあります。
でも全然面白くなくて、一つも続かなかった。
結局週7日、中学生と体当たりで勝負している日々が一番合っていたんですね。
今は週7日、中学生とイヌにかまってもらう生活に落ち着きました。
相変わらず化粧もせず、ジーパンで。
これが私の生き方です。
自分のスタイルが教師として正しいかどうかはわかりません。
卒業後何年間も継続して集まりを開いてくれる生徒や保護者の方もたくさんいます。
一方、正面きって私を嫌う人も、他の教員に比べてとても多かったですね。
子どもとちゃんと向き合おうとすると、嫌われ役もやらなきゃいけない。
見て見ぬフリしても何とかなるのですが、そうすると進路選択の時になって生徒・保護者ともに本当に困るからです。
「アンタ最低な人間だね!」とか「今すぐ教師やめろ、うちの子どもに2度と関わるな」とか「うちの子どもの名誉にかけてクラス全員の前で謝罪しろ」とかいう保護者もいました。
ジャージ下校禁止の学校でジャージで正門を通過した子に「着替えてから帰ろうね」と伝えたら、その翌日その母親から休日に電話でどなりたおされました。学校にも乗り込んできて、ある事ない事(いや、ない事ない事笑)言われましたが、「謝る理由がないので謝りません」と丁重にお断りしました…笑。
ジャージの件は氷山の一角でしたので、この子の進路は一体どうなったのか。
この子自身は、とってもいい子だったんですけれどね。
親をはじめ周りの大人の接し方が、子どもの運命をズタズタにしてしまうケースは悲しいけれど、よくありました。
「生徒をあきらめない」という言葉を大切にしていますが、このようなケースに限り潔く手を引くようにしていました。
まぁ生徒指導担当をやらされていると、こういうのは日常茶飯事です。
でも、子どもや保護者からの暴言なんてほとんどどうでもいいって感じでしたね。
うるさい外野の声はほとんど耳に入らないタイプなので、何を言われてもどんなに理不尽な事があっても精神的にやられることもありませんでした。
味方をしてくれる保護者様や生徒のほうが断然多かったからというのも大きな理由です。
何よりも、私が教師をやる目的は先にのべたとおり「生徒の人生に触れ、根本的な成長を手助けすること」でした。
その目的の達成のためなら、嫌われても暴言を吐かれても痛くもかゆくもなかったですね。
最後の最後まで壊滅的な(=あきらめて手を引いた)関係に終わった生徒は、学校教員時代7年間の中で5人だけでした。
あとはみんな「マジでウザかったけどなんだかんだイイ先生だったぜ!」とかわかりづらい誉め言葉を残して卒業していきました。
これが私の教育です。
今は亡き恩師が、最後に手紙に残してくれた言葉があります。
"A teacher touches one's life forever."
これが私の座右の銘です。
教育に嘘はつかない。
嫌われても暴言吐かれても、生徒の人生の核に触れる教師でありたい。
そんな理由で、”生徒の人生に何かを与えられたとき”、私はこの仕事を続けていてよかったと実感します。