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4.「世の中にちょっぴり愉快な悪戯をしかけたい。」片桐はいり『もぎりよ今夜も有難う(幻冬舎 2014)』

自分を置いてきぼりにしがちな方だと思う。1人の人間として、1人の経営者として、1人の女性として、夫の妻として、3人の子の母親として、友の友人として、、ああ、役割が多い、時間が足りない、いろんな言い訳をして自分を置いてきぼりにする。
今の私は、今、この瞬間だけ、であって、過去に行った選択の積み重ねがあって今の日常があるはずなのに、
時間も忘れて没頭した、あんなこと、こんなこと。自分を満たしていたことを簡単に忘れてしまう。
そうすると、自分が何をしたいんだっけ?と迷走し始める。

角ばった輪郭を持つ人は私にとっては特別な存在だ。
亡き父は、それはもう角ばった輪郭の持ち主で、時代のせいなのか、父がかけていたメガネも真四角で、さらに輪郭は強調されていた。
父の遺伝子を見事に受けついだ3歳上の姉のその輪郭は、からかうのにうってつけだった。今でもそう。
そのせいで片桐さんを見ると父と姉をすぐに連想する。血のつながりを感じさせる、いとこか何かかと思うくらい。

いとこは年一回会えばいいくらいで、私と片桐さんのそれも同じような距離感。特に彼女の舞台が、映画が、と追っかけにはならないのだけど、でもどこかで、一挙一動が気になる。もちろん、すべて私からの一方通行で。

「あなたにも、いきつけのバーとかあるでしょう?仕事帰りにふらと隣の町でおり、お気に入りの場所でひと息入れる。好きなお酒があって、誰かおしゃべりの相手がいる。あなたはダーツなんかするかもしれない。カラオケがあれば歌ったりもするでしょう?わたしのそれが、もぎりなんです。」(P172 やわらかな生活)

長らく、なぜだかいとこの姉のようなあの人を気にしてきた理由に気づいた気がして、ハッとした。この人は全身全霊で、「自分を置いてきぼりにしないぞと決めている」。

映画館のまっくらやみも、かび臭い匂いも、席取りのためのあれそれの作戦だても、パンフレットの手渡し方も、チケットの点線箇所をもぎり、映画へ没頭する人を見送る行為も、その場その場に没頭しているそのさま。
一見単純作業のようにみえても、片桐さんにしたら、1つの映画上映にまつわる動線そのものも映画の一部だと捉え、愛しそうに文字を並べる。
片桐さんの過去において、映画を観るためにチケットをもぎるのか、もぎるために映画館にきているのか、目的と手段が時々いれかわったことだってあるのかもしれない。
目的だとか手段だとか、普段仕事柄考えることが多いのに、そんな自分に阿呆と言いたくなってくる。どうだっていい、その瞬間瞬間に没頭して、自分をちゃんと満たしているんだったら、それでいい。

ふと翻って、自分が時間を忘れて没頭したことってなんだったっけ?と考える。
好きな建築家の設計した建物を巡る旅をして、その建築の階段でぼんやりしてうとうとして、何時間も過ごすのが好きだった時期もあった。未だに建築物の名前が思い出せないのに、寝ぼけながら眺めた風景は忘れたことがない。
知らない島や町や国に行って、誰も自分のことなんて知らないことを確認することが好きだった。自ら飛び込む異文化はいつだって刺激的で、自分を孤独にさせて、自分の中の何かを試したりした。時差も好きだし、移動する時間も好きだ。帰ってから、自分の家が整理整頓されていて、わたしを待ってくれていたんだ、と確認するのも好きだった。
秋や冬の風を鼻にツンと感じながら、単車をぶっ飛ばすのだって、大好きだった。

表現が過去形になっているのは、もうしばらく、自分の「好き」に没頭していないからだ、と気づく。多様性云々に悩むよりも、自分を満たしていない、あまりに張り詰めた毎日を送りすぎている、そんな簡単な理由で心身のバランスを崩す、結構シンプルな構図だなと我ながら思う。

堂々と自分の「好き」をしたら、もう少し違う光景が見えるかもしれない。その行為がありふれたものでも、きちんと自分を満たしさえできていれば、1人1人にとって唯一無二の「好き」になる。ちょっと、いろんな人が、自分の肩に力を入れすぎているかもしれない。


世の中に、ちょっぴり愉快な悪戯をしかけたい。どうやら私という人間は、それだけの、ほんとうにただそれだけの衝動で、もぎりも、そして演じる仕事もやっているようだ。微妙な拍手を聞きながら、今さらそんな自分に気がついた。(P212 アカルイキンミライ )

ケアに関わっていると、人思いだねだとか、誰でもできることじゃないねだとか、なんだか持ち上げられているような、落とされているような気がする。

違う違う。高尚な目的なぞなくてもいい。ちょっぴり愉快な悪戯をしたい、ちょっぴり美味しいドーナッツを食べて欲しい、ちょっぴり驚いてしまう仕掛けを考えて実現したい、、、そんな衝動があっていいじゃない。

人様のためだとか、そんなことよりも、自分の衝動に素直であれよと、いとこのお姉さんのような人は言っている(のかもしれない)。

いつかこの人にわたしのチケットをもぎって欲しい。映画館でもつくろうかな。気持ち良く、迷走中。


これは2020年夏から秋ごろまでの、本にまつわる記録です。本来ならば、何冊と決めて記録したいと思っていたけれど、思いの外私は本をよく読んでいて、そしてその本を読む行為が、ここ数年は不本意ながらすっかり止まってしまっていた。きちんと取り戻すかのように、この記録を書いています。

本。読むのも好き、そしてとうとう共著として2019年6月に、守本くん、西さんと『ケアとまちづくり、ときどきアート(中外医学社 2019)』を発表。8月現在、重版も決まりましたと、出版社の方からご連絡をいただいた。
書き手がワクワクして書いたもの。読み手の方たちにも、ケアのこれからのワクワクを、伝えられますように。


藤岡聡子
株式会社ReDo 代表取締役/福祉環境設計士
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http://redo.co.jp/