たいとるなし
死ぬことが、こわい
いまをあいするひびをおくるほどに
じんせいとは、『いま』の連続でしかないと きづく
そしていつかその先には
肉体として果てるときがやってくることをかんじる
ひとはいつか、しぬ
わかっているけれど
みんなそれを知っていて いきているはずなのに
きょういちにちが 楽しかったなら なおさら
その『いつか』が ぜったいに あることを
わたしはまだ、どう うけとめていいのか わからずに
『いきることが、こわくなる』
と、かんじてしまうのだ
いまをいきていること それは
いつか ぜったいに、しぬ と いうことだから
だからこそ、いま
なにを するのか
どうやって いきを するのか
いま どうやって いま どのように
いきるのか
いま
なにを えらび、ひびを つみかさねるのか
ぜったいに
ぜったいに
ほんとうのせんたくをつみかさねて いかなくては ならないと おもう
だって
いま いきている
その
『いま』
って
いきているっていうことだって
いっしゅんでおわるんだから