(タイトル、なし)
例えば、よだれがでているとき
起きているときならばきっと多くの人が拭くだろう。
わたしは、そういうのですら
しばらくのあいだ、放っておきたいと感じるにんげんなのだ
『えっ、そのまま、、?』
あるサロンでその話をしたときに(のみものを飲んでくちのまわりについたすいてきだったかな?)
わたし、このまますぐにふくの嫌なんですよね
みたいなことをいったらその
自然派のサロンのお姉さんに上のようなことばで返されたことがあった
みずがしたたるそのはもんを、きっとだれよりうつくしいとおもうのだろう
ものごとや、できごとのそのありのままのすがたをそのまま、そのままみとどけ、かんじることは、てきぱきとうごくだけでは見ることがかんじることが、想像することができない世界を
教えてくれると、わたしはおもうのだ
だから、まちがった文法、まちがったスペル、まちがった漢字、まちがったことばの使い方ですら、一般の人は違和感をかんじることばのつかいかたですら、じぶんがそれでいいとおもえばそれをつかいたい
そういうひとなんだ、わたしは
かんたんに、間違えた漢字を笑って『ここ、なおさなきゃね』といわれるととてもとおくかんじてしまう、その人の世界が
こばかにされるような、対応をされると表面的にはさらっと受け流していてもとても悲しくかんじてしまう
どうしてひとは、かんたんにじぶんの価値観というサングラスを通してものごとやひとを解釈してしまうのだろうか、そしてどうしてひとは他者に対してあまりにもかんたんにあざ笑い、理解しようとしないのにかんたんに批判したり、非難したり、賞賛するのだろうか
わたしをかんたんに評価する人は、わたしをかんたんに遠ざける
あまりにも薄っぺらい世界だけど仕方がない。せかいはひろいし、人生は限られているから
ただ、わたしはそのたびに傷つきおちこみ、いきることがこわくなる
じぶんをいきることがこわくなること
それいじょうの恐怖はないのではないかとおもうほどの恐怖であった
かわいいチューリップが、チューリップであることを怖く感じるせかいなのだ
わたしはかわいいチューリップではないけれど、たとえのはなし
じぶんをいきることがこわくなる
かかわったすべてのひとがまったく支えにならない世界
そしてこたえをもみいだすことができない、それこそもじどおりのくらやみの、まっくらやみのせかいだ
じかんをかけて、じぶんを理解してくれているひとのことばがけによって
わたしはわたしを大事にして生きる方法を紡いできた
ひとりではとうてい、いまのわたしにはなることができない
すきなひと
きらいなひと
にがてなひと
だいすきなひと
たくさんのひとびとが生きる社会では
きっと、たくさんの『ひと』にたいするおもいがめぐりめぐっている
できるだけ、そのおもいがおんどをあげて
できるだけ、表面的ではなく
しっかりとした揺るぎない愛情とともに意思表示をし、
できるだけほんもののかんけいせいを
できるだけ、うつくしいみらいをつくるかんけいせいを
みながきずいているくには
とてもうつくしく、いきるに値するとおもうのだ
しぬことをえらばないしゃかいを、みんなでつくろう
ころなも大変だけど、自殺者がたくさんいるってちょっとなにかがおかしいんだよってこともあわせてみんなで認識してなにかをかえたい。
生きたいって思う毎日を
あかんぼうも
こどもも
せいねんもしょうじょも
おとなも
おばあも、おじいも
みんなが生きたいっておもうまいにちを
みんなでつくりたいからつくる
どうやって?わからない
いまのじぶんがするべきことを
しっかりとするだけだ
しっかりと
いきる
するだけだ