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生き辛さを感じる日本で生き生き生きる

こんにちは!

突然ですが、
皆さんは日本に住んでいて毎日ストレスなく、将来の不安もなく過ごせてますか?

これだけ便利で経済発展した国
なのにストレス性の高い国やと思いません?

4年間ほど
バングラデッシュやベトナムに住んでみて、より日本での生きづらさを実感

日本より不便で自由が無い国
バングラにいたっては
コンビニない、夜歩き回れない、食べるもん限られている、停電は頻繁
ネットも繋がりづらい、水も出ずらい、雨季は頻繁に洪水

しかし意外に不便な事にはすぐになれる。
そして便利な事への感謝が強くなる。
食べ物のおいしさは感動ものですわー

何よりノーストレス

日本ではあれだけストレスを感じていたのに...

では
このストレス性は一体何やねん? と考えてみた。

それは

「人間関係」


日本に帰国してから、これまで何十年も通勤していた満員電車をまた使用する事になった。

ところが1週間余りで電車に乗ることへの恐怖心を感じた。

その恐怖心とは
全く知らない人から感じる目線と独り言
そして車内の雰囲気

これから働き行くと言うのに
みんな目が死んでません?目がつり上がってない?
何であんなにネガティブな事を独り言で言ってんの?

この電車は強制労働者乗せてる電車か?雰囲気悪すぎるやろ―
車内にはドナドナ♪♪が流れてるよ

挙句の果てには「押した」だ「踏んだ」だと喧嘩が始まる。
みんなイライラしてるんやなぁー

で、
結局、イヤホンで耳をふさぎ、目線を感じないように目を瞑る。

気づかぬ内に
気を使い、気疲れする。その内、気分が悪くなり、気持ちが下がる。

あれっ 文書化しても「気」めっちゃ使ってる。

そう日本人の日常は「気」を使い過ぎ、だからストレスが溜まるんちゃう?

じゃー
この「気」コントロール出来たらええんじゃない?と思ったわけです。

それで「気」て何やろ―と考えた時に「情報」なのかなぁ―と
*本当の「気」の意味は知りません。

だったらその情報のすべてを良い捉え方に変換すればエエのとちゃう?

物事に対して良いイメージする事はタダやし、
誰にも迷惑を掛ける訳じゃない。

電車の中で目線や独り言に意識を捉えて気が滅入るより、
「うぁーこの電車の中でひょっとするとおれが一番ラッキーなんちゃう!
だってみんな目死んでるやん!今日俺が一番仕事出来そうな雰囲気やん!」なんて気でいれば、押されようが、足踏まれようが大らかな気持になれるんとちゃう?

捉え方が変えれば、見る景色がまったく変わるでー

どうせなら毎日、どの瞬間も良い景色が見れる方が良くないですか?

と言いつつ無意識状態になるとまた捉え方が悪くなる。
習慣化されたモノを変えるには少し苦労と努力が必要やけど
人生どちらがお得かと言うと
生き辛さを感じるより生き生きした方が良いでしょ。

「世の中そんな簡単ちゃうわー」と言う声が聞こえてきそうやけど、
そんな声も自分にとってプラスになる情報に変換

捉え方を変えれば人生変わる

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