市川思迷のビデオ録 #3 学校の祭壇
私はマンションの9階に住んでいる。
別に高い場所が特別好きというわけではないが、
9階という文字のもつ愛らしさには多少親しみがある。
「キューカイ」
口に出すと発音のくだけたマヌケな耳心地が良い。
「ハチカイ」「ジュッカイ」
これは少し角ばった印象だ。
そんな私の部屋の窓からは静かな住宅街が一望できる。
朝8時と夕方15時くらいの時間帯のみ、隣に建つ都立高校の通下校における賑わった音が、窓ガラス越しに遠くで聴こえるくらい。それ以外は静かな空間だ。
朝早く起床したものの、今日は仕事のしたくない日。
これといった理由があるわけでもないが、ただただまったりとした時間を過ごしたい。そんな気分だ。
フリーランスの強みとでも言えるだろう。
ソファーに深く腰掛けながらアプリゲームでもやろうかと思いスマホに手をかけた。
メッセージが1通来ている。
仕事の依頼だろうか。一応目を通すが返信も行動も今日はしない。何故なら今日はそういう日だから。
市川思迷さん
こんにちは。はじめまして。
私の通っている高校で少し不思議なことが起こっています。万年都大会1回戦敗退の男子バスケ部が、今年は全国大会に出場することが決まりました。男子バスケ部は練習もろくにしていないし、顧問コーチの先生も熱を入れていません。強力な転校生が入部したわけでもありません。私はこれが不思議で仕方がありません。調べて頂くことは可能でしょうか。よろしくお願いします。
〇〇高校 女子バスケ部主将より
〇〇高校。
このマンションの隣にそびえ建つ高校じゃないか。
どうしたものか。
弱小バスケ部が全国大会出場。そんなのただこのメッセージの送り主が知らないところで部員達が頑張った結果なだけではなかろうか。なんともどうでもいい依頼だな。
やはり今日はゆっくりしよう。このメッセージは見なかったことにしようじゃないか。私はソファーでくつろぎたい。
15時
窓の外が微かにザワザワしだした。
下校時間の様だ。帰宅部達が騒いでいる頃だろう。
バスケ部は全国大会の練習か。
私はごくわずかな暇つぶしの材料として、ベランダから双眼鏡を覗いた。体育館は見えても、館内まではここからじゃなにも見えない。
私が学校の敷地を歩いていたら不審者とみなされることだろう。かといって帰宅部達に聴き込みするのも気が引ける。
うん、やっぱり申し訳ないが女子バスケ部の主将さんの依頼は受けない方向でいこう。
そう思うと私はソファーで寝落ちた。
21時
疲れていたのだろう。ぐっすり眠ってしまった。
起きた頃には外は真っ暗。
お腹も空いたし、身体も怠い。
一旦外気を取り込もう。
私はベランダに出て深呼吸をした。
息をゆっくり吸って、ゆっくり吐く。
これを何回か繰り返しているうちに私の目は光を捉えた。
それは学校の屋上からだ。懐中電灯がユラユラ灯る。
私は思わず双眼鏡を覗き込んだ。
そこには男子数名が屋上でなにか作業している様子が伺える。夜の屋上に忍び込んでパーティーでもするのか。
そういう好奇心が楽しい年頃だろう。そう思った。
しかし彼等は何かを造っている様にもみえる。
なんだか棚の様な、階段のような。
私のちょっとした好奇心が背中を押したのか。念のためビデオカメラをRECした。
「みなさんハロー、現代社会に渦巻く謎を解明し真実を伝える新進気鋭の動画配信者。市川思迷です。
本日はこんなメッセージが届いています。“私の通っている高校で少し不思議なことが起こっています。万年都大会1回戦敗退の男子バスケ部が、今年は全国大会に出場することが決まりました。男子バスケ部は練習もろくにしていないし、顧問コーチの先生も熱を入れていません。強力な転校生が入部したわけでもありません。私はこれが不思議で仕方がありません。調べて頂くことは可能でしょうか“
こういった依頼が来ています。そしてみなさんが今ご覧頂いていただいている映像が、その学校の屋上の様子です。時刻は21時。本来なら学生達は帰宅や塾に行っている時間帯。そんな彼等とバスケ部との因果関係はまだ判らないですが様子を見ていきましょう!」
彼等の動向は懐中電灯の灯りではっきりと伺える。そして彼等は3段の階段の様な物を組み上げると、白い布をそれに被せた。
そして各々が鞄から何かを取り出し、それにどんどん置いていくのがズームにしたビデオカメラ越しに確認できる。一体何だ?じっくり観察していると彼等が鞄から取り出したものはバスケ部のユニフォームとバッシュに見えなくもない。
するともうひとつ、屋上の端から懐中電灯の灯りが近づいてくる。
その人物は頭からすっぽり全身白い布の様なものを被っているようだ。
「これはみなさん、奇怪な香りがしますね。道具から見て噂の男子バスケ部と考えたくなりますよね」
そしてその白装束を中心になにやら手を合わせている。
それは30分くらい続いた。
彼等は手を合わせ終えると、祭壇の様な物に置いたユニフォームとバッシュらしきものを身に纏い踊りだしたのだ。なかにはバスケボールでドリブルする者もいる。
これはなかなか珍しい。
「刮目せよ。これがこの学校の男子バスケ部の時間外練習だ。古から戦士達は狩や武闘の前に神に捧げる舞を踊ってきた。彼等男子バスケ部はその戦士達と同じだ。普段の練習より、この儀式には数倍の効力があるのであろうか。最近でいうところのハカってやつと同じ部類だ」
その後、彼等は朝まで踊った。ダムダムする音が遠くでずっと聴こえてきていた。
私はこの映像の写真を女子バスケ部の主将にメッセージで送った。これが彼女のいう男子バスケ部と同じ顔なら真相にグッと近づく。偽りは配信できないから。
数分後、すぐに返信があった。
彼等は男子バスケ部に間違いないようだ。
彼女が虚偽を言っていないかぎり。
「この映像はあくまで現代の日本にも神に捧げる舞の風習が残っている可能性があるということの映像にすぎない。男子バスケ部の全国大会出場の要因と直線的に紐付けることはできないが、戦士達の信仰心の継承は未だ日本にも存在するといっても良いのではなかろうか。それではまた次の動画でお会いしましょう」
結局仕事をしてしまった。お腹も空いている。
一日中ソファーで眠っていたからいい休日ということにしておこう。しかし徹夜は堪える。もう登校の時間だ。外が少し騒がしい。
市川思迷のビデオ録 【マガジン】