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詩集 幻人録

316
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2021年5月の記事一覧

赤と黄金

赤と黄金

僅かな晴れ間の梅雨の午後

憶えたばかりの自転車ならし

まだランドセルの残感が背にあまるなか

日頃は縁遠い駅の裏側まで

私は両足を回していた

緑広がる田の間

立っているのは畦角に地蔵

表情無くても私に対し

友の様に朗らかにはにかむ

地蔵の立つ畦道の角っこを

私は軽快に曲がっては

地蔵にまたねとはにかみ返す

緑広がる田の間

瞬き終わると黄金色

摩訶不思議に逢う田んぼの変身

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淡水人魚

淡水人魚

川に住む人魚は

顔立ちは綺麗だが泳ぎが汚い

濁流に抗い

もがき苦しんでいる

息継ぐ顔はしかめっ面で

命乞いをしている様にも見える

もしも彼女が海に住んでいたならば

潮の流れに停泊で

流線法則に沿り緩やかに泳ぐのだろう

珊瑚礁からの贈り物を携え

名画のモデルになるのだろう

川に住む人魚は

海の存在を知らないから

世波に抵抗しては自分を強固に鼓舞する

海に住む人魚は多分

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高台に吹けば

高台に吹けば

ここの墓地は清く方々に広く伺う

入り口から私の入る墓まで数分と歩く

途中の水道で手を洗う

まだこの時期はちと掌が傷む

窪んでメッキの剥がれたやかんに水を注ぐ

砂利道を菊とやかんと火種を抱え

私は墓まで歩いた

私の入る墓は高台にある

丁度街を見下ろせる角っこにある

若者の少ない田舎町の中を線路が突き通る

二つ箱の電車がたまに走る

やかんの水を墓石にかけては雑巾で磨く途中に

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恭平の宿

恭平の宿

向かいの民宿旅館の恭平は

大人になればそこを継ぐのであろう

10歳半ばでこの街に背を向けた私の鼓膜には

いまだにその健やかな答えの振動は届いてはこない

恭平は私のふたつ下

いつも飴玉の様に笑って

サイダーの様に活発的だ

紙製のインパルスに乗り大旋回

段ボールの要塞基地で立て篭もり

毎日赤い頬と痛い耳を携えては

この邪魔の少ない小さな田舎町で

遊々と駆けずりまわっていた

恭平

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月光

月光

月灯りっつうのはあんがい眩しいもんだな

父は暗隠染まる居間の隅端で

萎れいく百合の項垂れた花弁の様に

湿気混じりの篭声を床に落とした

貧格などは要らんと無駄打ち気張り

紙幣のない20時の居間は

江戸の夜より影めいている

簡易のガスコンロの火種を世風から守る

純母の手は赤子を撫でる様に健気で無垢い

私と妹は昼間に通う小学校の水飲み場から

捻った蛇口より吐かれる痰の様な水を

ペッ

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祖母と地蔵

祖母の生涯は大谷川の激流に佇む巌の様に

耐え居座った時間であったのであろう

私の乳児の妹を恰幅ある背中にくくりつけ

祖母いつも算盤を刻み良く弾いては

帳簿が横並びに整列する箪笥から

売上を書き残す一冊を取って欲しいと

子供の私に指示を投げつけた

私は小さいながらに家業の潤滑油にでも

なったかの様な使命感から

鼻下に髭を整え生やすが如くの心得で

祖母に売上台帳を献上した

昭和の

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停刻のホテル

停刻のホテル

春だというのに

金谷ホテルへと向かう並木の日陰は

いまだ残雪が氷々と残る坂であり

私はそれを身体の底に蔓延る鎮静を保ち

こつこつと登っていた

木製の回転扉が軋み廻ると

私は時代の坂を抗い登って来たことに気づく

黒服のベルボーイの挨拶が

私の懐を律儀にノックした

老いたホテルの木柱は

大谷石であつらう壁が

無骨に屋を支え生き長らえている

靴裏には威吹くはずの激しい赤模様の絨毯

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文字の亡霊

文字の亡霊

黒鉛の気が触れるほどに

殴打烈しく書き捨てた文字の亡霊達

手を合わせる暇も余白もなく

紙帳の墓場に野晒し御免

感情の性で野心や情念を宿した文脈の一節に

太陽が当たることはない

湿気の多いぼたぼたに散らかる部屋の

擦れ押す引き戸の押し入れに

お祓いを受けずに暴殺に押し込まれる

私が殺した文字の山は

私を黒く塗り潰す

私が吐き出す感謝や慈悲の一文も

取り憑かれたら紫黒色

腹を

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そよげ胎海

そよげ胎海

無の荒野を泳ぐ宇宙船のなかじゃ

おそらく私は心が虚震して潰されるのであろう

海面を遠くに見上げる潜水艇のなか

それは私ひとりの操縦席で

無駄なものなど何もない

引っ越したての狭い部屋の様に

簡素な布団でうたた寝中

操縦桿は存在しないから

ずっとこの場所で停泊している

たまにカモメが海面の上で

騒ぎたてている様が好きだ

ぴゅー

ぴゅー

ららら

私は身体を揺らし潜水艇を少し

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湖畔に住む人

湖畔に住む人

亀色をした五十里湖は私を一瞬で引き摺り込む

私は湖畔の蕎麦屋から亀色の溜まりを見下ろしては

あそこに落ちたら言葉も叡智も

インクが滲み落ちた白紙の本に

なりさがるであろうと

私の拙い空論は圧迫されてつつあった

それ故私は湖畔の蕎麦屋で

鴨蕎麦を啜っては

胸中の踊り子をゆったりと舞踊させた

蕎麦屋のざらついた砂壁のおかげで

私と水面との関わりは

あくまで客人と住人になりかわる

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郷愁の山

郷愁の山

男体山にうしろめたい

小さい身体がぱたぱたと帰る

鼻水垂らして暮らした家は

頬を張り殴る痛みに混じり

彼の吹き下ろす尊風の御加護を

猛紅と冷々に受けていた

大きくなった身体が帰る

汗水垂らして暮らす家は

鉄筋の巨塔と鉄人の黒い頭が邪魔で

彼の目の届かぬ街に生えている

見失った己の希に

窺い知れない他人の傷に

私は目を糸で縫い

たらたらと目廻りを起こす

決められた理の笑顔

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