トヨタ自動車での12年間 その1

今現在のキャリアの中心というべきトヨタ自動車での12年間
本当に書きたいことは別にあるのですがそれは別の記事にてフィクションとして記載していきたいと思います。

当時、トヨタ自動車では電子ユニットおよび半導体の内製工場を持っていました。
※2022年現在はデンソーに移管されています。
主にエアバックECUやABS-ECUなどを生産していましたが
私が転職した2005年当時は2代目プリウス用主機インバータや電動ブレーキECB-RがHVの販売拡大とともに主力となっていました。
自動車メーカーとしては珍しい内製電子ユニット工場での経験は非常に良い経験であり、日本製造業の闇を感じた12年間でした。

1.転職と最初に感じたこと

 2005年にNECエレクトロニクスから転職しトヨタ自動車に入社しました。
 いまでも当時のメモを持っていますが、優秀な技術者が集まりボトムアップで自由な風土を感じたNECと比較して、トヨタ自動車はトップダウンの雰囲気を強く感じていました。
 たとえば、当時NECエレクトロニクスでは故戸坂社長が「なぜ事業所内で上履きに履き替えるのか?」との発言に対して、社員および管理職が「半導体のような異物に対して敏感な製造を行っているのに、異物を持ち込むことを許容するような発言をするとは、社長は何を言っているのか?現場をみていないのか!?」といった強い発言が下から上がってくる社風でした。
 ほかにも、人事から「出張は寮を使うように」と通達があっても、「何も設備が用意されていない寮で数か月の出張をしろと言われるなら今後、出張を拒否する!」とはっきりと発言をしていました。
 トヨタ自動車での現状はわかりませんが、当時は上からの指示は絶対!それに対して拒否や不満を口にすることなく皆が粛々と業務を遂行する。といったように見受けられました。
 ある意味、私にとっては新鮮なことで、まるで軍隊のように規律が整った環境だと感じておりました。

2.転職後の最初の仕事

 私が配属されたのは当時は企画管理室という部署名でしたが、いわゆる品質保証・品質管理を単担当する部署でした。担当製品はプリウスなどのHVシステムで使われる主機インバーターと呼ばれる製品。このインバーターは近年のEV化のおかげで知名度はあがりましたが、バッテリーの直流電流をモーターを動かすために交流電流に変換するユニットです。モーターとセットでエンジンの代わりになるものだと思っていただければわかりやすいかもしれません。
 ちなみに私のいた工場では電子ユニット以外にも半導体も製造していたので、トヨタ自動車のキャリアの途中で半導体にも深くかかわったので、NECでの経験は十分に活用できました。
 さて、そもそも半導体の生産技術者だった私が電子ユニットの品質担当になったところで、正直右も左もわかりません。
 まず自動車業界特有のしくみや、そもそも品質保証、品質管理ってなにするの?ってレベルでした。
 配属して最初に任された仕事は今でも覚えている、市場不具合品の解析。不具合解析は返却された不具合現品を目の前に簡単な解析シートと回路図を渡されて不具合の原因部位を調査する、といったものでした。当時インバータの中身や機能も十分に理解してない中で調査しましたが、後にわかったことですが、指示した管理職や主任を含めてまともに回路図が読めたり、不具合解析する能力がある人は1割以下で、9割の人はできる人や設計に丸投げという人たちばかりが集まっている部署でした。まぁこの辺はまた別の機会にお話しできればと思います。

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