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wacana*
2021年3月7日 16:43
2014年の1月、岩手に行った時の話である。収穫はとっくに終わっていたと思われる、葉もないりんごの木。なぜそれがりんごの木であるとわかったかと言えば、赤茶のりんごが1玉、枝に寄り添っていたからだった。ひとつの畠の中に、そんな木がいくつもあった。その光景はあまりに不自然だったので、赤茶のりんごが残されていたのが、故意あることは容易に考えついた。「なんだろうね。」「なにかあるのだろうね。」と