セカンドワイフ、テミス
ゼウスの2番目の嫁になったのはテミスさんでした。
それにしても、最初の妻(メティス)が「知恵の神」で、
2番目のテミスは「掟の神」・・・
ゼウスは割と「優等生タイプ」が好きだったのか・・・?
と思いきや、特にゼウスに好みはないようで。。
美人なら良いみたいだね、、
ははは。
ゼウスとテミスの間に生まれた子達
ゼウスとテミスの間には、6人の女の子が生まれたんだ。
まず「ホーライ」と呼ばれる、
「エウノミア(秩序)」
「ディケ(正義)」
「エイレネ(平和)」
の3姉妹。
ホーライは「ホーラ」の複数形で、
「ホーラ」は「時間」という意味。
季節、という「時」の移り変わりを規則正しくする、という意味も含んでいるからホーライは「季節の女神たち」と呼ばれてるんだ。
続いてこちらのエピソードにも出てきた「モイライ」。
クロト(運命の糸を紡ぐ女)、
ラケシス(割り当てる女)、
アトロポス(逃げられぬ定め)
の、運命を司る3姉妹。
これら6人の女の子(女神)たちがゼウスとテミスの子達。
真面目(?)な奥さんと6人の女の子に囲まれ、さぞゼウスも幸せだったでしょうな〜
・・・と思いきや、、、
ヘラと運命の再会しちゃったゼウス
ある春の日、ゼウスは姉でもある「ヘラ」とばったり再会。
ちょうど聖なる泉で沐浴をしたばかりのヘラは眩いほど美しく、ゼウスはぞっこんになってしまう。
何とかヘラを口説き落とそうとするゼウス。
だけど「結婚を司る神」でもあるヘラは、既婚者のゼウスの口説きに中々乗らず・・・
ヘラのために「掟の神」テミスとの離婚決めたゼウス。
テミスは・・・
ゼウスのしつこい口説きに、「テミスと別れたらね」・・・とヘラが言ったかどうか分からないけど、ヘラにぞっこんになったゼウスは、テミスに離婚を切り出すことを決意・・・
しかし、テミスは「掟の神」ですよ・・・そんな易々と離婚に応じる訳ないじゃないすか・・・
応じたんかーい
しかもあっさり、、、
いいのかい。。
いやでも、テミスは、今後ゼウスの不倫に悩まされ続けるヘラの姿を予見したのかもしれないね。
「掟も大事だけど、自分の幸せあってこそだわ。」と思ったのかもしれない^^;
まぁそんなこんな?で、ゼウスとテミスの離婚はあっさりと成立したのでした。
◇◇◇◇今日のおまけ◇◇◇◇
残念ながら、ホーライのエピソードは神話にほとんど出てこないんだ^^;
絵画もちょっと少なめ。。
もちろんない訳ではなく、麗しいホーライが描かれてる絵画はあるんだけど、、、
私の一押しはコレです。
ヴィーナスの誕生
作者:サンドロ・ボッティチェリ
制作年:1483-1485年頃
所蔵:ウフィツィ美術館(イタリア・フィレンツエ)
3人揃ったホーライの絵ではありませんが^^;
ヴィーナスの向かって右側で、マントをかけようとしてる女性、これがホーラ。
ただこれが、「エウノミア(秩序)」なのか、「ディケ(正義)」なのか、「エイレネ(平和)」なのか・・・は分からず。
個人的には絵の雰囲気からして「エイレネ(平和)」っぽいなーと思ってます。
(全然違ったりして)
しかし、ボッティチェリが描く服のセンスの良さにはいつも驚く。
個人的にはルネサンス時代の「ドルチェ&ガッパーナ」じゃないかと。
このホーラの衣装もそうだけど、「プリマヴェーラ(春)」に出てくる女神の衣装もオシャレだしなぁ。。
現代にボッティチェリがいたら、有名デザイナーになってたかもしれない、と個人的に思ってます。
続いてモイライ
彼女達についてもう少し具体的に書くと、
その人の「運命」を表す糸をクロトが紡ぎ、
ラケシスがその長さを測って運命を割り当て、
死の瞬間にアトロポスがハサミで糸を切る。
つまり、その人の生死を含めた運命は、モイライ達によって決められる、と。
古代ギリシャ人たちは、自分たちが味わう運命の不条理さを「モイライの気まぐれのせい」にしたかったのかもしれないね。
また、モイライの決定は人間だけじゃなく、神をも対象だったんだ。
最高神であるゼウスすら、モイライの決定には逆らえなかった。
てことは、、、ゼウスは自分の娘達に「運命」を握られてた、ってことだね。
皮肉としか言いようがないけど、テミスがあっさり離婚したのも、モイライの存在があったからかもしれないね。
そしてモイライといえば、、、
「運命の女神たち」
作者:フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス
制作年:1819−1823年
所蔵:プラド美術館(スペイン・マドリード)
すみません、またゴヤですが・・・^^;(個人的に好きなものでつい・・・)
向かって左、人形のようなもの(一説には新生児の姿とも!)から黒い糸を引き出しているのがクロト、
その奥で、天眼鏡(人相を見るレンズ)を持っているのがラケシス、
右側で後ろ向きで鋏を持っているのがアトロポス。
ちなみに真ん中の男が誰なのかは謎だけど、「個人の誰か」というより、
人類自体、もしくは「国」を表してるのではないか、という説もあり。
(研究家の中でそれぞれ意見が飛び交ってるようだけど)
この絵は、「我が子を喰らうサトゥルヌス」と同じ、黒い絵シリーズの1枚。
つまり、ゴヤが聾者の家に閉じこもっていた時に描かれたものになる。
醜く描かれたモイライ、
両腕を後ろで縛られ、諦めた表情なのか薄笑いを浮かべてるのかよく分からない謎の男、、
この後、糸はバッサリ切られ「男」は死ぬのか・・・?
「ジタバタしても人や国の運命は、結局はこのふわふわ浮く、醜いモイライの手に委ねられてる。」
この絵は、ゴヤのそんな皮肉から生まれたのかもしれない。