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激動の音楽シーン, The Band結成秘話, スーパーギタリストとの出会い‼︎The Band編② -チナバナ
このnoteはルーツミュージックバンド『wabisabi 』によるポッドキャスト番組
『音楽オタクのちなみに噺 -チナバナ』を文章で楽しんで頂こうという場です。
この番組では主に60年代70年代の音楽シーンにまつわる物語やアーティストの裏側をお話ししています
前回に続き、The Bandを徹底解剖していきます。
まずメンバーの出会いは、1959年ロニーホーキンスというロックンロールシンガーのバックバンドとして出会います。
当時アメリカで活動していたロニーホーキンスはアメリカ人のバックバンドを連れてカナダにツアーに行きます。
カナダのツアーが好評で長いツアーになったので、段々とバックバンドのメンバーがホームシックになりアメリカに帰り、ドラムのリボンヘルムだけが残りました。ドラム以外のミュージシャンをカナダで入れる必要があったのです。
そこでロニーホーキンスの公演で前座をやったミュージシャンなどから引き抜いたりして、The Bandのメンバーはアメリカ人1人, カナダ人4人という編成になりました。
ロニーホーキンスのバックバンドは1963年頃までしていたみたいです。
このロニーホーキンスのバックバンドにいた期間1959-1963年は、音楽業界は激動の時代です。
まず1955年頃〜1959年頃までエルビスプレスリー、チャックベリー、リトルリチャードとかロックンロール黄金時代。
それから1962年ビートルズ、ビーチボーイズ、ボブディランがデビュー。翌63年ストーンズ、デビュー。ソウル界ではスティービーワンダーが1962年に12歳でデビュー。
これは推測ですが、バックバンドを辞める原因の大きな理由に、この音楽業界の変遷が関係しているんじゃないかと思います。古いロックンロールをやってる場合じゃない、新しい音楽をやらないとって思ったんじゃないでしょうか。
それからThe Bandは、ドサ周りをして下積みをしている中、ブルースシンガーのジョンハモンドジュニアのレコーディングを手伝います。
そこでかなり気に入られて、まさかのあのボブディラン(ジョンハモンドジュニアの父ジョンハモンドがプロデュースしていた繋がり)のバックバンドに推薦、抜擢されて、いきなりのワールドツアー!
しかしこのツアー、世界中でまさかの大ブーイング!
なぜかというと、ボブディランはそれまでフォークの人で弾き語りをしてたのに、この頃急にロックへ音楽性の変更したんです。(この時代は今よりもフォークとロックで客層も全く違い, 隔たりが大きかった)
ライブをやる度にブーイングの嵐、それに嫌気が差して、ドラムのリボンは脱退、メキシコの油田へ行きます。
ロイヤルアルバートホールのライブアルバムの音源にボブディランと客のやりとりが残ってます。
客「ユダ(裏切り者)」、
ボブディラン「I don’t believe you, you’re liar.(私はあなたを信じない、嘘つきだ)」
そしてボブディランはバンドに向かって
「Play fuckin’ loud(バカでかい音で演奏しろ)」
と言って"ライクアローリングストーン"という名曲に雪崩れ込むカッコ良すぎる一幕があります。
是非お聞きください❗️
それからこのツアー最中にイギリスに行った時に、ボブディランと以前から交流のあったビートルズと出会います。
発売前の「リボルバー」を聴かせてもらったとか。のちにザ・バンドメンバーとも交流していきますね。
その頃ボブディランに推薦してくれたジョンハモンドジュニアのライブをギターのロビーロバートソンが観に行くと、そこでもの凄いギタリスト、ジミージョーンズに出会います。背中や頭の後ろで弾いたり、歯で弾いたり。これがのちのジミヘンドリクス。まだ表舞台に出る前の若かりしギタリスト同士がこんな時期に出会っていたんですね。
ちょっと脱線すると、このジョンハモンドジュニアはエリック・クラプトンとジミ・ヘンドリックスの両者が同時に1つのバンドに参加した唯一のミュージシャンであり、1960年代、ニューヨークのカフェで5日間だけ演奏したみたいです。でも彼らとレコーディングを行なわなかったことを後悔しているそうです。
それからボブディランが事故にあってツアーのスケジュールもキャンセル、ディランは療養するのにウッドストックに住みます。
ツアーも無くなり仕事の無くなったザ・バンドも誘われて、ウッドストックに家を探します。その時に大きなピンクの家を見つけるんです。そこがザ・バンドを知ってる方には有名な”Big Pink”。
「モータウンのヒッツヴィルスタジオみたいに質素だけど何か特別なものを感じた。エンジニアには音響的には最悪だと言われたけど、それが逆に気に入った、このスタジオにしかないサウンドを作りたい。」
とロビーロバートソンは語っています。
ここの地下室でディランとザ・バンドはセッション、曲作りに明け暮れていました。このセッションは他のアーティストへの曲提供するつもりで録音していました。
これが勝手に販売され(音源を配送する業者がやったとか)、それがおそらく世界初の海賊版といわれています。真っ白のジャケットに「Great white wonder」と印刷されて。
ボブディランは、この頃の音源をのちに正式に発売、「Basement tapes」
ジャケットもかっこいい。
ここでのセッションで作られたオリジナルなサウンドが、ザ・バンドのデビューアルバム”Music from Big pink”に繋がるわけですね。
このアルバムのことをエリッククラプトンは「人生を変えた一枚」と言い、この頃やっていた伝説のバンド、クリームを辞めた一因とも言われています。
違うジャンルではプログレバンドのピンクフロイドのロジャーウォーターズは「ビートルズのサージェントペパーズ以降のロック史で最も影響力をもったアルバム。ピンクフロイドはより深い表現をするようになった」とも言っています。
一見関係ないようなプログレのバンドへも影響を与えた歴史的名盤”Music from Big pink”、
このアルバムの話は次回したいと思います!
今日も皆さん明日に使えない音楽の予備知識をつけて脳みそのキャパシティ狭くなりましたでしょうか?
我々の目標は皆さんの頭の中をルーツミュージックの無駄知識でいっぱいにして、全国に仲間を増やしていこうではないか、と言うことですので。
また次回もお会いしましょう♪
ルーツミュージックのあの日を定点観測
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時には楽器を使っての解説もします。
番組内でのBGMもwabisabiで制作してますのでその辺りもお聴き頂けると嬉しいです。
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