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愛子様人気を考える

皇室ウォッチャーでもない私が、日々のニュースに差し挟まれる愛子様の笑顔を、楽しみに見ている。近影の筍掘りの笑顔は、何とも清々しくて「良いなぁ、素敵だなぁ」と思う事しきりである。

いつかの様々なバッシングが信じられないくらい、今の天皇御一家は年頃の愛子様の話題もあって、多くの人が好感を持って眺めている。

本当に可憐な蕾が開かんとしているのが、今の愛子様の年齢だろう。カメラのフラッシュを訝しげに眺め、雅子様の後ろに隠れがちだった愛子様も、儀式や視察で、自然でいて品のある振る舞いと、笑顔を周囲に向ける様になった。

特殊過ぎる生い立ち、環境。その暮らしや心境を、私達は想像する事さえ出来ない。「国の象徴」として存在するというのは、どれ程自分を律するのだろう。今の天皇陛下が登山好きというのを知っていたが、いくつか登った山のうち、甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根ルートは、私自身が登ってみて体力も技術も必要なハードコースのそれで、天皇陛下が登られていると聞いてかなり驚いた事がある。あの穏やかな佇まいの天皇陛下が、それに万が一の事を考えると、よくぞ登った、よくぞ周囲が登らせた、そう思うのである。

私達が皇族たり得ないと同時に、皇族の方々も国民にはなれないのである。生まれついた役割が全く違うのである。先頃の眞子さんの結婚までのゴタゴタはお気の毒、とも思った。守られて暮らす、何もかもが揃っている事は、自由や伸び伸びとした幸せとは縁遠いものだろう。

女性天皇、愛子様の呼び声が高まる中、年頃の彼女が選び取る人生とは制約の中でなのかも知れないが、父である天皇陛下の慎ましさ、控えめな明朗さ、慈しみを持ち国を眺める心を受け継いで、折々にあの優しさの滲む清々しい笑顔を私達に見せて欲しいと願うばかりだ。天皇や皇族の姿というのは、私達日本人が、日本人である事を誇りに思う、そう言う事と繋がっている。

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