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冬隣

「日が短くなって、何だか暗いこの時期って落ち込む」と言う同僚は、どちらかと言えば明るい常識人だ。私だけかと思っていた晩秋の寂寥感を思い掛けず共有する人が居て、少し驚いた。

朝から風が鳴っている。強い風に煽られた何かがガラガラと立てる乾いた音も少し哀しげで、それでも雨の少ないこの地域を有り難く思う。炬燵はとうに出していて、パンの発酵に使ったり、テレビを見る時潜り込んだりしている。それでも「エイヤ!」、気合いを入れてランニングに出る。

正面からまもとに風を受けるが、真冬はこんなものじゃない。いくら温暖な地域でも冬の早朝は氷点下辺りまで冷え込んで、縁側で洗濯物を干す指先が凍って痛い。そういう時季もとにかく走る。風に身体が持って行かれる。耳も足先も手の指も、感覚を失う。頭蓋骨で守られている脳味噌は凍っているかのように、頭も少し痛む。数年前からニット帽も手袋もしなくなった。大して変わらないのだ。むしろ発汗するとそこが凍って痛くなるので、それはそれで不快。修行のように薄着で走る。結局は暑くなる、どんなに寒い日でも。雪が舞っていても。

自然のもたらすもの、暑さ寒さに抗わずに居てみたい。生物として自然の中に生きる時、引き出される機能を確認したい。暑さも寒さもそのままに。無理の無い範囲で。

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