マラソン大会のあり方
年数回、仲間とウルトラマラソン大会に参加する夫がボヤいていた。「参加費が高くなったなぁ、そのクセ、エイドなんかショボくなって、地元ボランティアなんか全然居ない」。大手企画会社の大会に、私も過去幾度となく出ていて、エントリーにまつわる様々な費用に対して、「ぼったくり」の声が上がっていたのを知っている。ましてやコロナ禍だ。規制緩和に伴って、各地の大会再開を心待ちにしていたランナーが、戻りつつある今、更なる値上げに不満が出ているのだ。
余裕が無くなった。世の中はまだ病み上がりの段階で、走るどころでは無い人だっている。走る事に割いた時間、お金、気持ちの余裕が無くなった。健康を損なった。コロナをきっかけにパラダイムシフトが起きた人だって居るだろう。大会を支えていたスポンサーが減る。スポンサーの体力だって落ちる。少なくなった参加者、減っていくスポンサー、エイドが貧弱になるのも頷ける。
反対に、活況を呈している分野がある。それはコロナ以前からじわじわと人気を集めていたが、一般人の企画する大会だ。参加費の安さ、エイドの充実、人同士の交流、これに惹かれてリピーターは勿論、宣伝なんかしなくても新たな参加者は口コミでどんどん増える。ただ、交通規制を敷くわけでもない、何かあれば自己責任である事、その辺の理解が出来ていない参加者や、開催場所からの苦情など、こちらも万全ではないという事は付け加えておかねばならない。
今、社会に余裕が無い。思えば「高い、高い」と言いながら参加費を払って、ツアー代も払って、オフィシャルスポンサーのブースで何か無いかひと通り覗いてみて、旅先でお土産を買って帰る、という生活は、本当に贅沢過ぎる贅沢だったなと思う。しかして、その時代よ戻れ、とも思わない。皆、余裕が無くなった。即ち、コロナにより地に足が着いたのだ。
大会もよし。自分だけのランもよし。現実に即した走り方を続けて行く他、無いではないか。