幸せ家族の弊害
私の義父は、東大の博士課程を修了し、半官法人の研究職に就き、最終的には役員まで上り詰めたとても優秀な方だ。
温厚で、妻(祖母)や子供達(夫や義姉)にも声を上げてる所は見た事がないし、私の事を嫁扱いする事もない。孫の面倒も良く見てくれる。
夫の幼少期には、義父は一家の大黒柱としてシャカリキ働き、義母は専業主婦で家を守るという典型的な昭和家庭で、義父は平日は家族と夕飯を一緒に食べることは無かったらしい。一方で日曜日は家族サービスに費やすという、CMに出てきそうな父親だったそうだ。
当然、夫はそんな義父を尊敬している。結婚前は誇らしげに父のような父親になりたいと聞かされたものだ。
しかし、そんな理想の舅にも、弊害がある。
夫の、「理想の父親像」が全くアップデートされないのである。
夫は、私がフルタイムで働くことに反対はしないし、私が義母(夫の母親)に日々の家事育児をほぼ頼りっきりになる事にも嫌な顔をする事はない。休日に1人で出掛けるような趣味は無いし、2人の子供を自分1人で一日中面倒見る事も可能だ。こう書くと一見理解あるイクメン夫のようだが、当の私としては何故だか手放しで感謝できない。
それは、子どもが生まれて以来の数年間、日々の家事育児分担の中で積もり積もったウラミツラミがあるからだと思う。
インティライミ夫
「コウノドリ」というドラマが放送されていた時、ナオト・インティライミ扮する自称イクメンの夫の言動がクローズアップされ、同じような我が家の夫の言動を揶揄して妻が
#うちのインティライミ
というハッシュタグを付けてツイートするのが流行ったらしいが、うちの夫もコレに近い。
インティライミ夫は、妻の役割を”手伝っている”感がその言動から溢れ出ている。家庭を維持するために必要なタスク対応者リストの1番後ろにいると思っている所以だ。なので、自主的に何かをやったとしてもそれに対する感謝や称賛を求めるものだから、妻は内心「オマエも当事者(父親)だろうが!」と思っている。
以下は昨日の我が家のインティライミ夫のエピソードである。
息子の担任との個人面談の日程調整で、学校側から提示された候補日でたまたま夫が休日出勤の代休で休みを入れている日があった。
私は既にどの候補日も会社で会議が入っていたので、夫に対応してくれないかと打診した。
予想通り夫は渋った。その際の夫のセリフがこれだ。
「どうしてもママがダメならオレが行くけど、担任とは母親がコミュニケーション取っておいた方がよくない?」
こういうセリフが夫の口から出てきた時、流石にその場で声を荒げる事はしない位には、耐性ができてきた。
しかし、心の中では夫の発言ひとつひとつにツッコミを入れている。
何の予定もなく平日父親が居るのにも関わらず、仕事の予定が入っている母親に会社を休ませて対応させる事に正当性があると思っているの?
あなたの仕事と比べて、私の仕事はそんなにも優先度が低いの?
そもそも何故、担任とは「母親」がコミュニケーションを取るほうか好ましいの?
夫に問いかけてみた
最後の点は、聞く人によっては普通に聞き流せる。おそらくそういう人は、少し前に話題になった萩生田光一議員の「子どもにとっては当然パパよりママがいいでしょう」的な発言も、何の違和感もなく、むしろ子どもに寄り添った意見に聞こえるのだろう。
しかし、ご存知の通り、この発言は炎上した。
私も、夫に聞いてみた。
何故、担任とは母親がコミュニケーションを取った方が良いのか。
夫の答えは、
「何かあったときにまず連絡来るのはママでしょ」
だった。
だから何なのだ。
それは単に連絡先の1番目に私のケータイ番号を書いたからであって、私が電話に出られなければ次は優先度2番目に書いた夫のケータイに電話されるだけの事だ。
「何かあった時にオレよりもママの方が対応する事が多いだろうし」
怪我などですぐに会社から駆けつけないといけないケースの事を言っているらしいが、同じ都内勤務でほぼ同じロケーションに勤務先があるのに、私の方が常に対応する前提なのだろうか。
ひとつひとつ論破しようにも、目的地の遠さに心が折れる。
夫はTwitterで情報収集したりはしないし、インフルエンサーなどにも興味がなく、私よりそういう類へのアンテナが低いため、自分が何も考えずに発したそのセリフがどんなにダサいかということを知る機会がない。
しかしそれ以前に、そもそも夫のこの考えの根底にあるものは、自分が生まれ育った家庭へのリスペクトである点が始末に困るのだ。
私自身、夫の家族のことはみんな大好きで、私もこんな家庭に生まれたかったと思う。自分の生家に誇りに感じる、それ自体は素晴らしい事であるからこそ、半面教師として古い考えをアップデートするといったきっかけにはなり得ない。
しかし、有り体な表現だが、時代が違う。
私は、家庭だけでなく、仕事でも自己実現したいと思っている。子どもは母親だけが面倒をみるべきなんて全く思わない。その意見を通すだけの収入を得、キャリアも積み重ねてきた。義母と私の個人の特性の違いというよりは、社会的に女性にそういう生き方が認められている「時代」なのだと思う。
そして、家事育児を全面的に手伝ってくれるジジババが近居という点で、ワーキングマザーとして物凄く恵まれている。
ただ、夫の感覚だけが全くアップデートされていない。
子ども達が手を離れるまでにあと何回こういう事があるのかとウンザリしてくる。対話が必要とは分かっているが、前述したとおり、あまりにも長い道のりに思えてチャレンジする気になれないのだ。